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初投稿 起業に際して


22年の秋、新卒で入り7年間ほど務めた商社を退職、その翌月にいまの会社を創業しました。

noteは始めたばかりで使い勝手はよくわかりませんが、小学生の頃、6年間毎日欠かさず日記を書いて担任に出していたことが、心の耕し方を知ったきっかけになったように、Twitterや会社や共同創業者にはわざわざ言えない、言う必要もない、目的のないことを書いていこうと思います。

今回は起業に際して、振り返り。まだ起業したばかりですが、一旦、整理のために振り返り。

  1. これをしたい!というアイディアなんてなく、「なんかしたい」といった、それだけ聞くと非常に低次元な思いしかありませんでした。人はこれを後で振り返って野心とか、向上心とか、挑戦だとか、言葉というのは対象をすべて分類してしまうので、分類されてしまえば見栄えはいいのですが、そういったいわゆる動機に突き動かされたわけではなく、なんかしないと緩やかに穏やかにいつの間にか死ぬのではないか、という気持ちしかなかったです。だから、そういうなんかするぞという思考回路がうまれつき備わっていて、そこに弱々しい電気が流れ続けて、その回路が死なずにいた(あるいは無意識のうちにその電気回路が死なないように電気を細々と流し続けていた)というだけの話でした。だから、いざ、ああ、30歳だそろそろ、いい加減「なんかしたい」を「これをしたい」に変えて自分に言い聞かせないと、という理性は幸い備わっていて(育った環境に感謝しています)、ようやく26歳くらいから何がいいアイディアか色々考え始めた、という経緯で、いまがあります。

  2. とはいえ、だらだらと過ごしていたわけではなく、商社マンとして、いろんな人に大げさな事を言って、口先だけでビジネスっぽいことをやって、会社の名前を武器に闘えばなんらかの戦利品は得られるだろうと7年程がんばりました。そこで得られた戦利品は、決して自信やハードスキルではなくて、サバサバしてると自称する女子を片足のかかとだけで踏み潰せるほどサバサバしていて強い妻(会社の同期)と、サラリーマンらしさ、の二つでした。自信なんて全くつかず、むしろ妻を筆頭に、闘うサラリーマンのかっこよさに圧倒された7年間でした。だから、情けないながら、これといったアイディアが見つかったとて、少しでもいまの事業が軌道にのったとて、多分私には少しも自信はつきません。サラリーマンを、とくに商社や古臭い会社のサラリーマンを、私にはそれができないから、と決めつけて、あるいはそれを否定する人がいます(なぜかそういう人には時々、若干のサラリーマンへの軽蔑が見え隠れします)。それならそれでいいですが、世界へ枝葉を伸ばすにしても日本の土壌に根を張るなら、少なくとも日本企業と日本のサラリーマン文化に敬意を抱くべきだというのが私の持論です。それが正しいかどうかは人それぞれですが、サラリーマン文化を否定するのは適切ではないと思うわけです。

  3. というわけで何が言いたいのかというと、「なんかしたい」の先に、どうにかこれならやってみたいかも、というアイディアはようやく29歳のときに見つかって、そのときにはサラリーマンらしさ(と妻)を手に入れていたので、ようやく日本で起業する準備が整ったな、と考えられました。

これから、気づきをたくさん書き連ねていきますが、往々にしてなにが言いたいのかはわからないかもしれないので、何がいいたいかはっきりした言葉たちはTwitterやプレゼンやHPで頑張って絞りだすので、ここではご容赦ください。


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