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テツガクの小部屋10 原子論

原子論者としては、レウキッポスとデモクリトスの二人が分類される。
原子論はそれ以上分割しえない最小の単位としての充実体、すなわち無数の原子(アトマ)と、原子がそこを運動する空虚とを世界の成立のための根本要素とする。
原子とは性質上は全く同等で、ただ形と大きさとによってのみ異なる無数の不生不滅の微粒子をいう。原子を彼らはまた存在とも呼ぶ。また彼らはパルメニデスやゼノンに抗して、原子の運動を保障するために空虚を導入した。運動が可能なためには空虚の存在が不可欠だからである。ところで空虚は非存在である。それゆえ彼らは「非存在も存在に劣らず存在する」と主張した。

彼らによれば原子はすでに永遠に運動しているのであって、この運動から原子間に集合離散が起こり、一切の事物が生成してくるのである。例えば事物の質的な相違や変化も、原子論は純然たる物理的概念によって説明する。原子は質的には異ならない。ただ形と大きさによって異なるだけである。したがって事物の相違や変化は全て形、配列、位置といった物理的相違に還元されるのであって、世界のさまざまな諸相は原子の組み合わせの相違に過ぎないのである。「悲劇も喜劇も同じ文字からできている」のである。

原子論においても宇宙の生成は結局、旋回運動と遠心分離機の原理によって説明されている。しかもすべては機械的な原因によって必然性をもって起こってくるという。「何ものもいわれなくしては生じない。すべてのものは根拠から必然によって生じる」とレウキッポスは言ったといわれている。徹底的な唯物的、機械論的世界観が原子論者のそれであり、これは古代においてはむしろ異例な世界観であった。

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂

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