テツガクの小部屋11 ソフィスト
ソフィストとは教養および徳の教師と称し、裕福な市民層から高額の報酬を取って一般的教養や雄弁術などを教えて回った一群の職業的教師たちのことをいう。
ソフィストたちの最も重要な教育科目は雄弁術(レトリケー)であった。レトリケー・テクネー(テクニック)とはことばのためのことばの技術であって、そのことばが真実性を有するか否かということには関知しない。ただそのようにみえれば、その目的は達せられている。それゆえソクラテスやプラトンは、ソフィストたちの教えた雄弁術を詭弁術として非難した。
ソフィストは前期、後期に分けられる。前期のソフィストとしてはプロタゴラス、ゴルギアス、ヒッピアス、プロディコスなどが挙げられ、後期のソフィストとしては、トラシュマコス、ポロス、カリクレス、アンティポン、エウテュデモス、クリティアスなどが知られている。前期のソフィストの思想の一般的傾向は認識論的主観主義、相対主義であり、懐疑論であるのに対し、後期のソフィストのそれは倫理的主観主義、懐疑主義であり、やや破壊的な危険思想の観を呈するにいたっている。
プロタゴラスは「人間は万物の尺度である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの」という言葉によって有名である。この命題によって彼は、真理、認識に客観的な基準は存在せず、各人がそれぞれ尺度であることを主張した。これを人間尺度論という。
またプロタゴラスは次のごとき当然なことを語ったために無神論の咎で告発を受け、死刑の判決を受けるにいたったとのことである。「神々については、それが存在するとも存在しないとも、またその姿がどのようなものであるかも私は知ることができない。なぜならそれを知ることを妨げるものが多いから。それは見ることができないのみならず、人間の命も短いから。」要するに彼の思想は神に関しては不可知論、認識に関しては主観主義、相対主義である。
ソフィストたちは既成の権威に向かって敢然と挑戦し、有害視されたが、彼らにも当然帰されるべき功績はある。それは探究の目を自然から人間存在に向けたことである。「自然存在から人間存在へ」の転換。ソクラテス以降、哲学の全ての問題は人間存在を通して問われるのである。
参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂
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