公募の使いまわし問題についての考察

公募の使いまわし問題の話って、もう1億回ほど見ているのだけど、自分の考え整理がてら、ちょっと意見をまとめてみる。


「使い回すより、新しい作品を書いた方がいい」という意見

これは完全に同意。
デビューしたらたくさん作品を書くことになるし、1つの作品にいつまでもこだわっていても成長しないし、どんどん新しい作品を書いた方が良い。

ただ、「新しい作品を書いた方がいい」と「使い回しをしてはいけない」って論点がズレてて、「新しい作品を書きながら、既存作は使いまわせばいいのでは?」となるので、『使い回しNG』への理由としては不十分である。

「選考側に負荷をかけるべきでない」という意見

これも同意。
小説はマンガより読むのに時間がかかるので、負荷が高い。
可能性の低いものの枝葉をいじったものを無闇に送って、負荷をかけるのはなぁ…というのはわかる。

ただ『使い回しNG』派の理由として、この理由があがることってほとんどないんだよな。なんでだろ? 言いにくいのかな?

「ある賞に落選した作品は、どちらにしろ他の賞でも落選するので出すだけムダである」という意見

これは、
「ある賞に落選した作品は、クオリティが低いので、どちらにしろ他の賞でも落選する」
には不同意。
クオリティの高さ低さというのは、計る物差しによって定義されるものなので。

ただ、
「ある賞に落選した作品は、同じような界隈の賞に出すと、似た物差しによって測られるので、どちらにしろ他の賞でも落選する」
には同意。
同じ下読みが読んだらそりゃ落ちるし、同じ界隈でやっている人たちは作品に対して着目する点が似通ってくるので。

ただ、違った物差しで測られると、1次落選作が受賞したりとかフツーにあることなので、河岸を変えて投稿することをNGとする意見はわからない。
そこはプライドとかメンツの話なのかなぁ。

「使いまわし作はテンションが上がらない」という意見

これは気持ちわかる。

新入社員面接とかでも同じだが、選考側の立場としては、「他社ではなく御社に入りたくて、御社のことをよく研究してきました!」って言われた方が、人情としてうれしいのはあたりまえなので。
使いまわし原稿は、「御社でも他社でもなんでもいい!」ってことなので、気持ちとして上がらないのは本音だろう。

ただ応募者側としては、入社してもない段階でそんな違いは見えないし、「入社してから弊社を好きにさせてやる!」って言ってくれる方が魅力的なのも本音だろう。

このへんのボタンの掛け違いは、小説賞の選考だろうと企業の新入社員選考だろうと同じものを感じるんだよな。

老舗と新興でもこのへん空気違ってる気がしていて、老舗の編集部や界隈でずっとやっていた人は、『使いまわしNG』って人が多い気がする。
それは、そうやって切っていっても、いくらでも高レベルな応募作とか、書きたいって人が集まってくるので。
新興はそんなこと言ってたらコマがなくなるので、『よそで落ちてても金になりそうならOK!』スタンスが比較的強い感覚。
このへん、大企業とベンチャーっぽかったりする。

「どうして募集要項に書かないの?」という話

僕はこれが一番よくわからなくて、「過去に他の賞で落選した作品は応募不可」って明記しておけばいいのに、どうしていつまでも暗黙のルールにしておくんだろ? というのが疑問。だれも幸せにならなくない?

どうしてそうならないんだろう? と考えたときに、「『使い回しNG』と感じる人たちが、社外の立場の弱いライターや編プロが主で、発注元である出版社に対して、意見をエスカレーションしにくい雰囲気なのかな?」と思っていたんだけど。

でも、本丸である出版社の正社員まで『使い回しNG』としている話もたまに聞いて、それなら募集要項を変更しないのはどうしてなんだろうとか。
年配上司が応じないのかな?
どちらにせよ風通し悪そうだよなあ、って話なんだけど。

さもなくば、「NGだよ」と言いつつ、その状態を解消することにはあまり興味がなくて、むしろ「NGだよと言う特権を保持しておきたい」のかな、とも。昭和のオッサンっぽいけど、世の中にはまだ昭和のオッサンが多い。

ちなみに募集要項への記載、児童文庫の賞だと以前は明記している賞が多かったんだけど、このごろなくなっているので、内部でも意見割れてんじゃねえかな。



まとめると、個人的には、
応募側には、「新作を書け」「選考側にあまり負荷をかけるな、敬意を払え」
選考側には、「暗黙の了解にするな、文句を言うなら明記しろ」
自分自身には、「現実逃避してないで仕事しろ」
くらいに思う。

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