売上は、誰の手柄で責任か

売上の話をする。


新人のころ、編集さんに、こう言われたことがある。

「1巻の売上を決めるのは、表紙のイラストが7割で、タイトルが3割です!」

僕は思った。

(自分の作品の売上に自分が無関係なんすか!? なら自分がやってることってなんなんですかー!)

書籍の売上っていうのは不思議なものだ。
面白い/面白くないは作者の責任・コントロール範囲だが、売上はたくさんの人が関わった結果であり、コントロール範囲と言いにくい。
けれど、そのコントロール不能なものに、作家の命運は握られている。
1巻初速で打ち切りが決まったりすることもあるし、本が出せなくなったりもする。


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僕はそれまで、↑ こういう心持ちで書いていたんだよなぁ。
自分の努力と才覚で頑張ったことが、結果に反映されるってのが好き。
認められることも貶されることも、自分の力の結果でそうなるのならば、全然納得できるし面白い。
そこにやりがいを見出してきたんだけれど。

売上というものが、自分がやってることの外側の要因でほぼ決まるなら、自分が頑張ってやることの意味ってなんだろう?
せめて1割。5%くらいはほしいよなぁと。

まぁこれは、編集さんのパッケージング能力への自負心が言わせたものであって、そんなにまじめに受け取る必要はなかったと思う。(新人はえてしてまじめなものだ)
より客観的に、「本って、どういう要因によって売れるんだろう?」と考えてみると、おそらく表紙のイラストとタイトルもまた、無数の要因の中の一部でしかないからだ。
ほかにも要因はたくさんある。宣伝、広告、ブランド力、棚確保力、含めた営業力。同月の発行物、天候、時事、コロナ、その他諸々諸々……。
だれかがコントロールできるものから、だれにもコントロール不能なものまで、たぶん僕のまったく知らない世界がある。(そこそこエゲツない話も聞く)

で。

やっぱり、その中で、自分の力が及ぶ範囲……原稿の内容が占める領域は。たしかに、1割もないんかもなぁ…と、思ったりして…。


マンガは、母艦の雑誌が広告媒体として機能しているため、数十万規模の読者を確保できるから、内容が良ければ口コミで広がって売れる!! という前提を信じられる部分は大きいのだろう。
小説の雑誌にそんな機能はないし、書き下ろし単発勝負、かつ、棚の回転が早いジャンルということになると、売上……特に初速においては、本をひらく前の部分でほぼほぼ決まってしまうよな。

自分がデビュー前にずっと考えていた創作の力っていうのは、確かにそうした世界においては、あまり意味がないんかもなぁ…と。
なんか、虚しくなってしまったというか、ちょっと白けた気持ちになったりもしたんだけど。

ただ、まあ。

そうして、売上とかどうでもいいやって思って書いたものが多少なりと売れて、そのとき思ったのは。

自分の外側の人たちを、どれだけ本気にさせられるかどうか……というところには、自分の力も少しは及ぶかもしれない、と。
面白いから推す。
売上という意味で小説家にできることとしては、むしろ、それだけかもしらんなぁと。


とはいえまぁ、自分にコントロールできる範囲って、結局、自分だけなので。
自分が面白いと思うものを、粛々と書いていくしかないよなぁ、っていう、さして面白くもない基本に立ち戻る。

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