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夜隅の小鳥が旅立つ彼方


12月31日。
朝6時に目が覚めた。

雪の降っている山形に帰省して、一段と部屋が冷えているからか。
飛鳥ちゃんが飛び立ってしまう日だからか。
心がわざわざしてる。

あっという間に大晦日になってしまった。
もう彼女が、アイドルとして、乃木坂46として、朝を迎えるのはあと2回。




飛鳥ちゃんが卒業発表をしたのは11月4日。
それから約2か月間。
私は一体何をしていただろうか。


10月は久しぶりに酷く落ち込んでいたが、飛鳥ちゃんの言葉に救われてもう一度自分を奮い立たせた。そんなタイミングでの卒業発表。覚悟はしていた筈なのに全然受け入れられない自分が居て、思っている何十倍も飛鳥ちゃんが心の支えになっていたことを自覚した。そして2日後に更新したnoteでは、「いつまでも飛鳥ちゃんに寄りかかってはいけない。弱い自分にケジメを付けるために残り2か月死ぬ気で頑張る。」と意気込んでいる。


結果を先に言うと、頑張るどころか寧ろ悪い方向に沈んでいった。
そして、今日までnoteを全く書くことができなかった。




現在大学3年生の私は、憧れだったデザイナーになるために毎日藻掻いている。
そもそもデザインに興味を持ったきっかけも、今デザイナーとして働けているのも、冗談ではなく本当に飛鳥ちゃんのお陰。


私が乃木坂46を気になり始めたのは、10枚目シングル『何度目の青空か?』の辺り。そして本格的に乃木坂の沼へ足を踏み入れたのは、13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』の時期。当時中学2年生の私は、ショートカットの橋本奈々未に人目惚れして、徐々に乃木坂を知っていく中で齋藤飛鳥が気になるようになった。


乃木坂のTwitterアカウントを作ってから画像加工を知り、中高生時代は乃木坂のデザインをすることが趣味になった。その影響で高校の進路選択では、デザインの選択肢も視野に入れたが、凡人の自分には無理だとすぐに諦めて普通の大学の経済学科に進学。しかし、大学入学と同時にコロナが蔓延し、大学はフルリモートに。自粛による膨大な時間と物理的に孤独な環境で、色々模索した結果、私はプログラミングに出会った。そして、大学2年はプログラミングスクールでWeb制作の勉強を開始し、徐々に”Webデザイン”の部分への興味が強くなった。そんな中、お世話になったプログラミングスクールの運営会社の方に声を掛けていただき、大学2年の1月からインハウスデザイナーの長期インターンをしている。声を掛けた理由を聞いたら、私が齋藤飛鳥が好きな理由を書いたnoteを読んだからだと言われた。もし飛鳥ちゃんのnoteを更新していなかったら、私が選ばれていなかったかもしれない。もしそうだったとしたら、今諦めたデザイナーをもう一度挑戦しているなんてことはなかっただろう。だから、今の自分のやりたいことを見つけて、そのために毎日夢中になれているのは、本当に飛鳥ちゃんのお陰なのだ。


発表されてからの11月は、とにかく何かに没頭していた。ふとした瞬間に、飛鳥ちゃんのことが頭に浮かんで来てしまうから。別のことで頭をいっぱいにしていなければ、溢れ出てくる感情に溺れてしまいそうだった。会社のオフィスではとにかくタスクに没頭し、帰宅してから夜はランニングや自主学習をしていた。なんとかギリギリ自分を保っていた中、このタイミングで会社でも色々なことが起きた。そして元々体力はあるもののストレス耐性0な私は体調を崩してしまい、一度ゆっくり休んだ方がいいと言われた。でも、今休んで家に1人で居ることになったら、ネガティブ思考の沼に嵌っていくのは明らかで。そこからもう一度立て直せる自信も無かったため、無理を言って続けさせてもらった。


体調は徐々に回復したものの、その後もどうしても頑張ることができなかった。サッカー部時代の方が、肉体的にも精神的にも絶対辛かった筈なのに。私は高校生の時から、自分にHSPの傾向あることは自覚していた。その特徴の1つとして、どんな感情であっても一定のラインを超えると、生理的に涙が溢れてきてしまうというものがある。これがすごく面倒で。自分でも納得した理由で指摘をもらっているのに、勝手に涙が止まらなくなってしまう。勇気を出して本音を言う場面とか、言われたことが自分の中でどうしても腑に落ちない場面とかにも。不甲斐なさと情けなさが込み上げてきて、余計に歯止めが効かなくなる。凄く辛くて悲しいとかいう訳ではないのに。結果として、弱い人間に見えてしまう。見えてしまうというか、弱いんだけど。困ったことにこの2か月は、その感情メーターがバカになっていて、いつ何をしていても涙を堪えていた。よくこんな状態で生きていられるなと、もう自分でも呆れてしまう。とはいえ散々もう無理だと思いながらも、どうせ外では爽やかな振る舞いと平然とした顔を振り撒く。だからこんな状態だったものの、多分目の前で泣いた上司と数人にしか気付かれていなかったと思う。寧ろいつも冷静で落ち着いてる印象だとみんなに言われて、自分の生命のしぶとさに感心してしまった。こうしてネガティブには綴っているものの、沈んでいる自分を客観的に捉えている辺り、自分は内に溜まった消化不良を対処するために、一旦沈むことを受け入れるべき時もあるのだろう。


何年か前に飛鳥ちゃんが、「悩み事があると、わざわざ綺麗なお皿を出して無心で洗う。」と言っていた。それが私の中でずっと残っていて。10代の少女には重過ぎるものを背負ってきた飛鳥ちゃんには、「僕はやっとホッとして着ていた鎧を脱ぐ」瞬間があって、ずっと孤独で乗り越えてきたのか。そして、孤独の辛さを誰よりも知っているからこそ、後輩が1人で抱え込んでいる時に気付いてあげて、優しさを配っているのか。それを思うと、飛鳥ちゃんはもう本物の天使だし、そうやって見ていてくれる飛鳥ちゃんの存在自体がメンバーの大きな心の救いになっていたのだろう。と、私も皿洗いをしているときにぼーっと考えたりもした。




そうこうしている間に、気づけば飛鳥ちゃんのラストシングル『ここにはないもの』のフラゲ日である12月6日になっていた。中高生時代の環境的にオタクを満喫できていなかった私は、飛鳥ちゃんの握手会に参加した事がない。超ブラック部活を引退して念願のバイトで初めて貰った給料を、全額注いで買った『しあわせの保護色』の全握券70枚は、コロナのせいで紙切れになった。こんな感じで、私はとにかく飛鳥ちゃん運に恵まれていない。CDに封入された生写真も乃木フェスのガチャでも、悉く飛鳥ちゃんは私のもとに来てくれなかった。だから最後のミーグリも、抽選で外れる位なら、このまま会えないものとして諦めた方が潔いのではないか。そう思ったけど、やらない後悔よりやった後悔の方がまだマシだと改心して、勢いで買いに行った18枚と親友から授かった2枚の計20枚を応募した。そして結果は、最後の最後に推しメンに気持ちが届いたようで、4枚も当選。8年間ずっと追いかけてきた人と話すのは不思議な感覚だったけど、最後に直接感謝を伝える事ができて本当に嬉しかった。12年のサッカー漬け生活が終わり、大学進学と同時に上京して、これからはやっと飛鳥ちゃんに会いに行けるんだと思っていた矢先のコロナ。本当に絶望したけど、これまでの未練は綺麗さっぱり成仏された。これも、飛鳥ちゃんが11年間続けてくれたお陰。本当に感謝してもしきれない。


ミーグリの余韻に浸っていると、乃木坂46の活動も年末へ向けてラストスパートにかかっていた。テレビに出る度「齋藤飛鳥さん最後の」と紹介されるのに、当の本人はニコニコの笑顔で一番楽しそうにセンターで踊っている。その周りを囲むメンバーは、本人が明るく過ごしたいと言っているから笑顔を作っているものの、途中で飛鳥ちゃんに向ける視線には寂しさが垣間見えた。




そのようにして、今日の大晦日に至る。ここまで書いておいて、このnoteで自分が何を伝えたかったのか分からない。過去最高に殴り書きの、ぐちゃぐちゃな文章になってしまった。こんなに自分の考えを分解できなかったのは、初めてかもしれない。それでも、これがありのままの感情だった。単純に私は、まだ飛鳥ちゃんの卒業を内心では受け止められていない。だから、想いや感情が消化できてなくて、今は言葉に落とし込める状態ではないのだと思う。


でもこうなってるのは、飛鳥ちゃんのせいでもあると思っていて。
ここにきて他責にする上に、推しメンに罪を擦り付けるかと自分でも思うけど、ちゃんと言い訳はある。


そもそも飛鳥ちゃんは、乃木坂の活動中、意図的に”卒業”という概念から自分を物理的にも心理的にも遠ざけていたと思っている。同期の1期生や戦友と語る2期生が相次いで卒業していく中で、彼女は一貫してメンバーの卒業について自ら表舞台で語ることはなかった。また最近の飛鳥ちゃんは、ファンに向けて「変化を受け入れて」と言う旨を伝える役割を担ってきた。しかし、誰よりも変化に向き合い、受け入れてきたからこそ、その分変わらないことも大切にしていたと思う。それを私が1番感じるのが髪型で。他のメンバーはイメチェンをしたり髪色を変えたりする中で、飛鳥ちゃんはずっと黒髪ストレートを貫いてた。アレンジをして色々な姿を見せてくれるサービス精神旺盛な子も、勿論凄いと思う。しかし、大きな変化を迎えている中で、飛鳥ちゃんからは自分だけは変わらないという強い意志のようなものを感じていた。だからこそ、いい意味で時の流れに哀しむことなく、純粋に楽しく応援できていたなと思う。


また飛鳥ちゃんは20歳になった辺りで、「過去は切り捨てていきたいタイプ」という言葉を口にするようになる。ちょうどその時期は、これからの乃木坂を背負うメンバーとして確立してきた辺りで。その言葉には、過去を美談にして自分に甘えたくないからなどと、本人の中で明確な理由があった。飛鳥ちゃんのターニングポイントはいくつか挙げられるが、自己形成に一段落付いた20.21歳辺りがインタビューの言葉からも核だと解釈していた。藻がき続けていた中で自分でも整理できない葛藤が爆発したのが、ちょうどその21歳で3度目のセンターを務めた23枚目シングル『Sing Out』期間だったと本人も振り返っている。その『Sing Out』のMVを、12月に公開された『久保チャンネル』では目を離さず落ち着いて見ていたし、定期的に見返していると言っていた。それは、逃げずに向き合って乗り越えたから、今こうして当時のことを言葉にできているのだろう。しかし逆に、今回の31枚目シングルに収録された最後のソロ曲『これから』は、恥ずかしがってずっと目を背けていて、自分の卒業はまだ乗り越えられていないのかなとも思った。


そんな「過去は切り捨てる」と言っていた飛鳥ちゃんだが、卒業発表をしてからの2か月間は、箱に入れて大切に閉まっていた思い出を掘り出して浸っているように見えた。中々スポットライトが当たらず苦しい時期にアンダーセンターを務めた、6枚目シングル収録曲『扇風機』のMV撮影地の写真をInstagramに載せたり。MステウルトラSUPERLIVEで、初センターを務めた15枚目シングル『裸足でsummer』と同じサイドの三つ編みにしたり。そうやって、一つひとつ丁寧に思い出に触れていくことで、乗り越えたと言う確認作業をしていたのかもしない。


また最後の出演となる乃木坂工事中のコメントで、「私はこの番組で全部をさらけ出して、10代の全てを皆さんに見せてきたので、嫌った人もいるでしょうし、逆の人もいるでしょうけど、」と語った。これまでの飛鳥ちゃんだったら多分「嫌った人もいるでしょうけど、」と、否定のみで話を続けてたと思う。しかし、1番全てをさらけ出した乃木中で、自分だけにスポットライトが当てられた場で、「逆の人もいるでしょうけど、」と、飛鳥ちゃんなりに自身を肯定する言葉を言ったのを見て、本当に乃木坂で完全燃焼できたんだなと思った。


齋藤飛鳥は、プロのアイドルだった。プロの定義が曖昧でよく分からないし、大前提乃木坂46のメンバーは全員プロなのは間違いない。でも飛鳥ちゃんは、本当にアイドルの鏡だったと思う。個人での活動が幅広く共演者も多かったにも関わらず、スキャンダルなどの類で不安を感じたことは一切ないし。メンバーの中でも特に多忙な筈なのに、体調不良で仕事を休んだことは数えられるほどしかない。お陰で、こっちは飛鳥ちゃんが居ない乃木坂に免疫がないが故に、本当に居なくなるのが想像できないのも、実感が湧かない理由の1つだと思う。他にも長時間に渡る音楽番組の前には必ず出るタイミングをモバメやトークで知らせてくれていた。更にここ数年は、乃木坂46の先頭に立つメンバーとして、悲しさや辛さなどの負の感情を表に出さないようにしてくれていたと思う。がむしゃらに藻掻きながら進む姿が好きだった私からしたら、落ち着いて綺麗に進めるようになった今は見てて少し寂しいけど。飛鳥ちゃんは、11年間かけて築いた”齋藤飛鳥のアイドル像”を、最後まで貫いてくれた。


そして、乃木坂46最後の活動となる紅白歌合戦でのパフォーマンス。懐いていた3期生の大園桃子が「乃木坂も悪くないなと思った」と言ったことに対して、自分がそう思わせてあげる事ができなかったと後悔した飛鳥ちゃんが、イントロで「乃木坂っていいなと思ってもらえるように頑張ります」と言ったので、もう歌い始める前から耐えられなかった。卒業発表して以降、自身の心境についてコメントを求められる場でも、一貫して「キラキラしているメンバーを見てほしい」と言い続けた飛鳥ちゃん。今回披露する『裸足でsummer』は、思いれの強い初センター曲でもあり、曲調が豊富な乃木坂46の中でも数少ない純粋なキラキラ感のある曲だった。センターと告げられた直後に、「夏曲とか明るい曲似合わないし、今乃木坂はせっかくいい調子で来てるのに、私のせいで売れなくなっちゃう」と号泣したのは思い出深い。当時の飛鳥ちゃんは、まだ現在のように自分の負の感情を整理できなくて、自分を過度に卑下するなどのネガティブな発言が多かった。そんな彼女が、1年に1度の晴れ舞台で堂々とセンターに立ち、周りのメンバー全員を照らしながら、11年間集めた結晶で誰よりもキラキラして踊っていた。




乃木坂の披露が終わって、一気に虚無感と悲壮感に襲われた。
明るくとはいえ、「立つ鳥跡を濁さず」過ぎて辛い。
しばらくぼーっとしていたら、飛鳥ちゃんからメッセージが。
もう今日限りで送られてくることはない。
モバメに一喜一憂するのが、日常だったのに。
優しく語りかけるいつもの飛鳥ちゃんの言葉。
8年間でその言葉に何度救われたことか。
今年最後はラストシングル『ここにはないもの』で締めよう。
そう思って曲を聴いていた、23時59分。
最後に笑顔で笑った画像が届いた。
飛鳥ちゃんは、本当に最後の最後までアイドルをしてくれた。


飛鳥ちゃんが卒業してから乃木坂46が最初に披露したのが、『ごめんねfingers crossed』だった。飛鳥の子とまで言われる程懐いていた遠藤さくらが、「君の幸せをずっと祈ってるよ」と覚悟を決めたような顔でセンターで踊っていた。それを見て、これからの乃木坂も応援しようと心から思えた。未だに受け止められてないけど、これからゆっくり消化していこうと思う。そして、ちゃんと思い出を振り返りながら、言葉にしていく。卒業コンサートまでには、間に合ったらいいな。



今の私が居るのは、飛鳥ちゃんのお陰です。
『生きる理由、君に教えられた』だったよ。
本当にありがとう。
11年間お疲れ様でした。


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