見出し画像

澄んだ風に目を瞑る

「心にぽっかり穴が空いた」ってこういうことか。

言葉の意味として理解はしていたけど、自分の中で腑に落ちる瞬間。
最近は、それをよく体験する。



11月4日。金曜日。

『齋藤飛鳥 卒業のお知らせ』の文字。
いつか来る。しかも、もうそう遠くの話ではない。
分かっていたから、心の準備をしていた。覚悟もしていた。はずなのに。
いざ現実にその文字を突き付けられると、全然耐えられなかった。


しばらくぼーっとして、一緒に乃木坂を好きになった親友に連絡した。そしたら、二つ返事ですぐに駆けつけてくれた。私がこのような形で、人に助けを求めたのは人生で初めて。今日ばかりは、どうしても一人じゃ抱えきれなかった。その夜は、中高生時代に戻ったように、私たちが好きになった時代のLIVE映像を見た。何か情報解禁される度に、学校の廊下に集まって盛り上がっていたあの頃。ぱっとしない田舎で部活に励む毎日だった私たちの目には、今より乃木坂がキラキラして映っていた。そんな乃木坂一色だった中高生時代の思い出を語って、笑いながらもずっと涙目だった。でも、まだ理解するのには時間が掛かるようで。発表当日は、しっかり泣くことはできなかった。


短いブログタイトル。でも、全然嬉しかった。
トークが始まって、モバメの意味深な題名がなくなっちゃったから。
「あのね、」から始まった文章。
人生で一番読んでいる大好きな人の言葉なのに。
全然手を進められなくて、読み終えるのに2日かかった。
いつもの飛鳥ちゃんらしい綴り方のせいで、余計に悲しさが増した。


13歳で加入した彼女は、24歳になった。
出会ったときは13歳だった私も、21歳になった。
8年も経てば、変化していくのは当然で。
大好きなものは、季節が巡る中で徐々に形を変えていった。
もう、ほとんど原形を留めていない。
ふと振り返った時に、それ気付いて胸が締め付けられた。
だから、ここまで残ってくれたことに感謝しかない。


残り2か月で、彼女は乃木坂46から飛び立つ。
ちゃんと理解はしてる。
でも、やっぱり受け入れられなくて。
自分の中には、しこりが残っている。
それは、まだ私がひとり立ちできていないから。


10月、私は全てが上手くいかなくて、日を追うごとに沈んでいった。
そして、どん底に落ちたのが10月23日。
ちょうどその日、飛鳥ちゃんがInstagramを更新した。

「自分もまわりも、信じてはみるんだけど、期待はしない」

何年も前から度々口にしており、飛鳥ちゃんの紡いだ言葉の中でも私が一番大切にしている言葉。私が人生で一番読んだ文章である、飛鳥ちゃんのエッセイでもこの話が書かれていた。言い始めたのは、初センターに選ばれて一気に変化が訪れる17歳あたり。私は自分の内にある違和感に気付き始めて、ちょうど悩み始めた14歳。当時は、現在の達観した人間になる片鱗が垣間見えつつある飛鳥ちゃんの脳内に圧倒された。あのエッセイを読んでいなかったら、今の思考を大切にする自分は居ない。こうしてnoteを書くような、言葉を大切にする人間にもなってない。

時には失敗したり悩んだりしながらも、愚直に努力し続けて大人へと自己を確立してく姿を見て、いつしか自分も変わりたいと憧れを抱くようになった。勿論容姿も一番好きだけど、これ程好きな最大の理由はこれで。飛鳥ちゃんが大好きだった人に言ったように、齋藤飛鳥の人間性でアイドルをやっていることに魅力を感じていた。それからは、現在の飛鳥ちゃんと同じ年齢になる3年後に人間性の面で追い付いていたいと、自分と対比しながら彼女のアイドル人生を追いかけてきた。

この図ったようなタイミングに、飛鳥ちゃんから渇を入れてもらった気がして。私もここ数年は自分でも頑張ったと言えるくらい成長できて、もう一人立ちできるかなと思っていた。しかし、まだまだ飛鳥ちゃんから教わることは多そうだと、久しぶりに改めて飛鳥ちゃんの雑誌をゆっくり読み返した。そして、11月からまた前を向いて頑張れていたところだった。だからこそ、ダメージが大きかった。



11月5日。土曜日。

飛鳥ちゃんの画像加工を始めたことがきっかけでデザインを好きになって、今はデザイナーを目指して勉強してるんだよな。そんなことを思い出して自爆しそうになりながらも、インターン先のオフィスでひたすらタスクに集中した。そして、足早に帰宅して、新曲発表の生配信を待った。

最近は仲間の卒業を見送る度に、サヨナラに強くなっている姿を見ていた。だから、もしかして最後まで泣かないんじゃないか。卒業コンサートも強がりだから、悲しみを漂わせずに笑顔で旅立っていくんじゃないか。そんなことを考えながら待っていたのに。発表後初の登場で、彼女の目にはもう涙が溢れていた。本当は自分が一番卒業したくないと思っているんじゃないのって、くらい悲しそうに泣いてるし。

飛鳥ちゃんが泣いたタイミングで、私も初めてちゃんと泣くことができた。見られることが仕事のアイドルという職業で、飛鳥ちゃんは自分の魅せ方に一貫したこだわりを持っていた。その中でも、特に悲しみや辛さなどの負の感情は最大限抑えていたと思う。そんな彼女が堪えきれずにカメラに背を向けて涙を流す姿を見て、私の中で一気に何かが崩れてしまった。その後披露された新曲は、過去の大切な楽曲を思い出させる単語や曲調、振り付けが散らばめられていてもっと泣いた。飛鳥ちゃんは大人になってもかわいいなと思っていたけれど、最後の決め顔を見て初めて綺麗だと思った。



11月6日。日曜日。

やっと文章を書き始めることができた。飛鳥ちゃんの好きな干し芋を食べながら。落ち込んでいた私を見かねて、10月末に母が大量のサツマイモのお菓子を仕送りしてくれた中に入ってたやつ。合間に最近食べ切ってしまった飛梅チートデイの焼き芋も注文した。今のぐちゃぐちゃな感情を整理するのには、丸一日掛かった。


「ここまでやっているのは、好きだからとしか答えられない。」
セブンルールや情熱大陸で言っていた。
この言葉をすごく信用していた。
「乃木坂46で完全燃焼したいんです。」
去年の年末に、雑誌で言っていた。
自分が今まで仲間に貰ったものを、自分が後輩に与える側に。
今年は、特にその姿があらゆる場面で見受けられた。
飛鳥ちゃんの優しさは、濁りがなく純度が高い。
やさしくありたいと思うが、やさしくなりたいとは思わないと言っていた通りに。


飛鳥ちゃんは、冷めてるけど、冷めているように見せているけど。
本当にずっとファンのことを大切に想ってくれていた。
どんなに多忙でも、仕事を休んだことは11年間で数えられる程しかないし。
テレビ番組に出演する際は、必ず時間帯も添えてモバメを送ってくれた。
自分を語らなくても、大切な言葉だけはしっかり届けてくれていた。
伝え方は、伏線が張り巡らされ過ぎていて大変だったけど。
深いように思わせといて、何にもなさそうな感じあるのばっかだし。
本当の飛鳥ちゃんは、上手く誤魔化してほぼ隠し通してされているけど。
でも、そこが好きだった。全部とは言えないけど、ちゃんと伝わってたよ。


中高生時代は、東北住み・超多忙部活・バイト禁止だったから、LIVEに行けたのはエクスチェンジで前日に急遽いけることになった2018全ツ宮城のみ。モバイルで当選したLIVE(橋本・西野・玲香卒コンetc…)も、全部行けなかった。初めて行けることになって70枚集めた保護色全握券も、もう紙切れと化した。一度だけでいいから、目の前でその姿を見たかったな。自分の乃木坂運の悪さには、泣かされてばかりだった。

でも今年は、10th year birthday LIVEに2日間行けた。1日目はスタンド1列目、2日目はアリーナA3列目で、パフォーマンスを目の前で見ることができた。地方旅行も兼ねた全ツ地方参戦は叶わなかったけど、神宮は2日間当選して大雨LIVEも経験できた。上京してやっとLIVEに行けるって思った途端、コロナが蔓延して絶望した。でも飛鳥ちゃんがここまで続けてくれたお陰で、中高生時代の不可抗力による後悔を消化することができた。


虚無感。喪失感。悲壮感。
今は何かに没頭して紛らわしていないと、すぐに浮かんでくる。
ほんの少し記憶に触れただけで、涙が出てくる。
落ち着いてるよねって言われることが多いけど、今だけは自分にワレモノ注意って貼っておきたい。


飛鳥ちゃんが乃木坂46を卒業すると同時に始まる2023年。
それまで、残り2か月。
今から2か月前というと、私の誕生日あたり。
あっという間だった。時間がない。
それまでに、ひとり立ちしないと。
乃木坂46齋藤飛鳥の最後の日には、快く見送れるように。
飛鳥ちゃんの残りの活動を見届けながら、私も人生で一番頑張る2ヶ月にする。


飛鳥ちゃんの笑顔が、私の生活を彩ってくれました。
飛鳥ちゃんの姿を見て、勇気をもらいました。
飛鳥ちゃんの言葉に、何度も救われました。


私にとって齋藤飛鳥という推しの存在は、”憧れ”であり”希望”でした。
私の人生を変えてくれてありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?