「うっせぇわ…なにやってもうまくいかない、かなわんなぁ…」 うっせぇわ篇

タイトルを見て、この記事を見てくださった方は「うっせぇわ」「なにやってもうまくいかない」を聞いたことがある方たちがほとんどかと思います。

この2曲は言わずもがなバズりにバズった有名曲で、私がいまさら説明することもないでしょう。
キャッチーなメロディで若者にハマるよう緻密に計算されたヒットソングでもありますが、裏側には閉塞感の日本社会で明るい未来を見ることができない若者を象徴しているように感じます。
(本来はこの2曲の歌詞から若者の閉塞感をまとめたかったのですが、軸がぶれてしまってまとめきれなかったので「うっせぇわ」パートと「なにやってもうまくいかない」パートで分けていこうと思います。)

この2曲は社会での生きづらさが根底にあります。

今の10~20代は高度経済成長期のような好景気の日本を知りません。
生まれた時点で既に日本という国は「失われた10年」を迎えていたからです。(10代だと少し範囲から外れてしまうかもしれませんが)
私も20代後半なので上記に該当するカテゴリに入り、「ゆとり世代」「さとり世代」にも合致します。
私達が抱く日本という国はモノを作れば作っただけ売れ、仕事をすればするほど給料が増えるという時代に見ないふりをされた負の遺産が残る東アジアの島国のイメージしかないのです。

バブルの恩恵を受けた人々は現在40~50代あたりだと思うので、企業の中ではそれなりのポストの位置にいると考えられます。
バブルを生きた人々にとっては今の若者の上昇志向のなさや「~離れ」に象徴される財布の紐の固さにやれやれと思っていることでしょう。実際、若者は賃金の上り幅は少なく、何かをしようとするのにもお金がかかるのでは「~したい!」と思っても諦めざるを得ません。

これらをジェネレーションギャップの言葉で片付けるのは簡単ですが、この世代間分断はもう少し危機感を持ったほうがいいのかもしれません。
明るい未来が保証された「バブル世代」とお先真っ暗で一寸先は闇の「ゆとり・さとり世代」ではそもそも見ている先が全く異なっているからです。
日本という国は世界から見て経済的にも文化的にも成熟した国ですが、黄金期は過ぎてゆるやかに衰退と向かっています。
衰退をゆるやかな曲線にしていくのか、それともまた上昇させていくのかでも世代間の考えが大きく意見が分かれそうです。


さて、お説教臭い感じの論はこの辺にして「うっせぇわ」「なにやってもうまくいかない」がこんなにも若者に刺さったのか。

端的に言うと、口にしてもどうしようもない不平不満を代弁したからではないでしょうか。

「ゆとり・さとり世代」の特徴はよく言えばお利口さん気質、悪く言えば指示待ち人間であることです。
大きなミスはしないけれど、成果を出すために自己犠牲を払ってまで努力しないというところでしょうか。
(成果に対する報酬があればまた変わってくるかと思いますが)

怒られたくはないけど、何もしていないと思われるのは困るので最低限のことは卒なくこなすことが一種のステータスとなっています。
ハイリスクハイリターンで「人よりも優れた」存在でいるより、「普通」であることのほうが価値が大きくなってしまったのです。

「ちっちゃな頃から優等生 気づいたら大人になっていた 」

うっせえわ 歌詞より

この歌詞部分はここに当てはまります。
学生時代は周りと合わせること(=空気を読むこと)が美徳とされますが、社会に出れば競争社会。いかに競争相手より優れているかをアピールしていかなければなりません。

しかし、今までそんな方法は習っていないため、「自分はいったい何者なんだろう?」という大きな壁にぶち当たります。自分の価値とは?
なんとなく勉強して、周りがそうだから受験をして大学に入り、就職する。果たしてこれがいままでやってきたことの集大成なのだろうか?

「でも遊び足りない 何か足りない 困っちまうこれは誰かのせい」

うっせえわ 歌詞より

これには答えはなく、何が正しくて間違っているなんて決めることは誰にもできない。

多様性が認められる現代で自分の進むべき道は自分で決めるべきだと思います。最後に決断するのは、ほかの誰でもない自分自身なのだから。


「アタシも大概だけど どうだっていいぜ問題はナシ」


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