「御伽原江良の地声配信」から考えるVtuberとして表現者としての葛藤

※筆者である私の個人的意見が多く含まれ、他の意見や考えを持っている方への非難を目的としていません。

※また、御伽原江良の今回の騒動について、全てを肯定しているわけでもありません。

以上のことを踏まえたうえで以下の文章を読みコメントがありましたら、お気軽にコメントいただければと思います。私自身もこの騒動については様々な方の意見を参考にし、今後のVtuber界隈の展望について考えていきたいです。


御伽原江良の4/14配信「魔法の解けた御伽原江良」を見て思ったことを端的にまとめると、表現者として求められている役割とその役割を自分自身が期待通りにできないという葛藤が垣間見えた。

御伽原江良はデビューして1ヶ月。配信当初からいろんな意味で見所や面白さを提供していると個人的に感じていた。
たった1ヵ月でトントン拍子に視聴者数・チャンネル登録者数を増やし、リスナーやVtuber界隈を含め、大きな期待を寄せられる。そんななか、公式オフコラボ「MIX UP」に出演、立て続けに先輩ライバーとのコラボ配信が続く。
先輩ライバーとの実力を否応にも感じたり、萌木三姉妹コラボでは炎上騒動があったりと本人は自分自身のふがいなさや他ライバーへの申し訳なさを噛みしめる結果となった。

大きな期待とともに迫ってくるのは、その期待に応えなければいけないというプレッシャー。

これは彼女にとってとても辛いことであったに違いない。
デビューしたばかりで何もかも初体験なのだから、緊張して実力を発揮できないのは当たり前だし、先輩ライバーとの実力差はあって当然。
行き過ぎた行動や発言について反省をし、今後に活かすことは重要だ。だが、深刻に考える必要まではないと思う。


批判の声は当然ある。が、応援の声も同じようにある。
表現者、エンターテイメントを提供する人間にとって批判や誹謗中傷はどうやっても避けられない。特にガチ恋勢が多いライバーとのコラボでの失態となればかなりヘイトの高い意見もあっただろう。
批判や誹謗中傷を全て鵜呑みにしてしまうのは1人の人間としてかなり辛いものがある。
だからこそ、マイナスの力ばかりに引きずり込まれるのではなく、応援してくれる人間への応援や励ましの声をもっとプラスの力に変えてもらいたい。

批判、誹謗中傷は簡単にできる。人間の嫌な部分は見つけ出そうと思えばいくらでも見つけ出せるからだ。
しかし、良いところを言ってくれる人間はしっかりと見ているからこそ褒めることができるし、励ますことができる。
不快な気持ちになったから傷つけてやろうとする人間の意見よりも、配信で元気をもらったり楽しみにしている人間の意見を見てもいいんではないのだろうか?(批判や誹謗中傷を受けてもしょうがない行動や発言があった場合は真摯に受け止めるべきだが)

ツイッターやマシュマロなど、簡単に人の意見を見ることが可能な今の状況ではどこまでの情報を確認するのかを決めておかなければ必ず心のキャパシティに限界が訪れる。

1万人近い配信を見ていたリスナーの多くは君の味方だから安心してほしい。

このことを文章にしたのは、私自身も同じようなキャラで同じ考え方をしているからだ。だからこそ、辛さもすごく分かるし、地声で弱音を吐きたくなった気持ちが痛いほど伝わってきた。

約半年、Vtuber沼に嵌った中で唯一、御伽原の配信を欠かさず見るようになったのはどこかでシンパシーを感じていたからなのだろう。

これからも彼女が彼女らしい配信をしてくれることを切に望みます。
コラボに関しても本人がやりたいと思えば、やるべきだし、しばらくは自重したいと思うならやらなくてもいいと思う。
これはリスナーがどうこう言ったから決めるのではなく御伽原本人が決めることだ。
周りの意見に流されるべきではないよ。

最後に私は御伽原江良の配信にとても元気をもらっている。配信の予定がある1日は少し嫌なことがあってもなんとか頑張ることができるのだ。

ギバラ!これからも配信楽しみにしているぞ!!

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※ここからは、Vtuberの在り方についての個人的な意見です。御伽原江良だけを対象にしているものではありません。

Vtuberとしての建前と魂

ロールプレイにこだわる人。

これはVtuberの立ち位置で決めるべきものでリスナーが決めるものではない。企業所属のVtuberであれば、個人勢に比べ多少の制限がかかるだろうが、配信者個人に委ねられるウエイトは高い。これは芸能人の所属形態に近い。

また、Vtuberはこうあるべきなんてものはないと私は思う。Vtuberという存在自体が現実からは少し剥離された存在(二次元と三次元の狭間を行ったり来たりする存在)だから、魂の部分が強調されることで拒否感が出る人もいるだろう。実際問題、魂は生きている人間なのだからロールプレイを厳密にこなしていくのにはかなり無理がある。

この文章を書きながらツイッターを見ていると賛否両論。
この世の中に万人に好かれるものなんて存在しない。好きな人は好きでいいし、嫌いな人は嫌いでいいのでは?

嫌いとか痛いとかそういう意見って言わなきゃいけないものだろうか?

あなたが簡単に言った「嫌い」っという言葉は考えている以上に強い力を持って、対象者にぶつかっていくんですよ?

簡単に意見が伝わるこの時代だからこそ、顔の見えないものの物言いの力を知ってもらいたいと思う今日この頃です。


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