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ルミナリエに行きました

阪神淡路大震災の復興を象徴するイベント、神戸ルミナリエに先日行きました。感染症のせいで数年ぶりに開催されたのですが、なにげに初開催からほぼほぼ参加しています。参加といっても、なにせ小学生時代に始まったものですから、私は親に連れられて行っていただけでイベントの意味など考えてはいませんでした。キレイなイルミネーションを見ながら、普段なら絶対に買い与えてもらえない高めの価格の屋台で飲食できる素敵なイベントという認識でした(復興支援という意味ではこれも間違いではないけれど)。

さて、今年(度)は通常12月に開催されているものが1月に変更となっていました。阪神大震災があった1月中旬に開催しようという趣旨だそうです。開催されるならば行くだけなのですが、今回ばかりは1月開催でよかったのかもしれません。

1月1日。
能登半島で大きな地震がありました。多くの方が被害に遭い、いまだに大変な状況かと思います。その状況下で神戸ルミナリエは開催されました。


分かりにくいけど、たくさんの人がいました。


会場に来ていた人達のどれくらいが阪神大震災や東日本大震災等を経験したかは分かりませんし、何を目的に来場したのかも人それぞれです。それでもきっと多くの人が石川のことを少しくらいは考えたのではないだろうかと思います。

ボランティアに行ったり多額の寄付をしたりするわけでもないのならば、一般市民が被災地に出来ることなんて大してありませんし、する必要も無いと思っています。我々がするべきことは、ニュースで耳にしたことを自分に置き換えて考えてみたり、実体験を思い返してみたり、そうして明日からどう行動していこうかという指針にしてみたりといったことくらいだと思います。もしかしたら、地震がきっかけでルミナリエに足を運んだ人もいるかもしれません。その程度のことで十分だと思っています。だからこそ、1月開催でよかったと思えます。


ちなみに私、募金関係はほぼほぼ無視するタイプの人間ですが、ことルミナリエに関しては会場に設置してある募金箱に必ず100円入れています(公式で来場者に100円の募金をお願いしています)。これは次年度もルミナリエを開催するための予算となるものですが、そういうのはどうでもよかったりします。阪神大震災を風化させないために!なんていう高尚な意識があるわけではないし、かつて被災したときに受けた恩を返そうだなんて思ってもいません。むしろ逆で、感情が一切乗らないお金というものが一番シンプルで、送る方も貰う方も機械的に授受できて気楽に参加費として納めてもいいと考えているからです。とはいえ、その程度の意思すら無いと募金なんてのは成立しないことであるし、そこに一切の感情もなく行うというのもなかなか難しいので、何かしらキッカケがあったほうがいいわけです。それが私にとってのルミナリエ100円募金なわけです。初詣のお賽銭のように何かを願うわけでもなく、誰かの助けになることを期待するでもなく、淡々と投げ入れるだけです。結果、誰かのなにかの役に立ったかもしれない、と思えたらそれだけでハッピーだと思います。


キラキラしたモニュメントを眺め終えた帰り道、飲み物を買いに入ったドラッグストアのレジに能登半島地震の募金箱が置いてありました。1000円札で支払って受け取ったお釣りから硬貨1枚入れてきました。


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