なぜ私はメタバースに興味を持ちたいのにそこで留まっているのか
メタバース。
私はルッキズムに関する記事で、人類がメタバース上で自由にアバターを切り替えながら生活できるようになるのは、ルッキズム解消に向けた一つの方法だと述べた。また、誰がいったか何を言ったかという記事では、属人的であることが盲目的になることを示唆すると記した。アバターやユーザーネームを自由に書き換えられるメタバースなら、その力が弱まるかもしれない。
こういった意味で、メタバースには関心を寄せている。
noteでもメタバースの記事も多少は読んでいる。しかし興味をもちたい私が、そこまでで留まっているその理由は、身も蓋もない話だが、現実が忙しいこととメタバースの前段階ともいえるこのSNSで満足しているからでもある。また、メタバースで何をしたいかというのが決まっていないからでもある。
読んだ記事の中で、メタバースで何をするかという点において特に印象的だった2名を紹介してみよう。
一人は、メタバース上で初対面の人とでも相談を聞くという取り組みをしている人。金銭は発生しないため本人には何のメリットもないにもかかわらず何時間も話を聞くそうだ。メタバース上だからこそ話せる内容というのもあるだろうし、直接会わず身元も明かさずに“真剣に”音声での会話が出来るというのは、それだけで代え難い価値があるようにも思う。
もう一人は、メタバースの今後を見据えて、利用者としてではなく作り手として仕組みづくりをしたいと志す人。遠方に居たり、何かしらの理由で直接会えない人同士がその空間でなら会える。電話やSNSなどでは満たしきれないものを満たせる。そんな空間を構築したいと考えているようだった。
どちらも踏み込んだ発想と行動力だと思う。何事にも懐疑的で行動が伴わない私からすると、とても光って見える。
メタバースをどのように位置づけるか。
現実世界に潤いと彩りを与えるための道具として捉えるか。現実と非現実の間に揺れるパラレルワールドと捉えるか。まったくの新世界として捉えるか。
どれも捨てきれないのだ。
私自身は、このnoteのアカウントで適度に現実を出すが、現実世界の繋がりというのはほぼ無いし今のところどうするかは考えてない。かといって、このnoteの世界だけの人格をつくって活動するなどの並行世界に生きることも出来ない(というより、そんなこと可能だろうか?)。でも、可能な限りその世界に潜むことが出来るのは知っているし、独自の世界観が構築されているのを眺めるのは楽しい。
つまるところ私は、曖昧な境界線を行き来する覚悟も、引き直せない線を引く勇気も未だ持ち合わせていないのだ。だから踏み込めないでいるとも言える。
次に、ひとまずメタバースを道具として捉えた上で考えを押し広げよう。
とある団体がメタバースのうちのひとつで、有料でお見合いイベントを開こうとしたが運営に待ったをかけられた、という記事をよんだ。色んなしがらみがまだあるだろうから、それ自体は仕方がない。問題があるとすれば、神の存在である。
言うまでもなく運営側が神だ。道具を作った創造主だ。これに逆らうことはできない。
現実世界は無秩序だ。人がそこに秩序を構築した。神はいないのである。しかし、メタバースには創造主がいて、秩序も最初から構築されている。或いは、徐々に修正されていく。そして、リセットボタンに常に指がかかった状態であるように私には感じられるのだ。この思いを払拭出来ない限りこの道具を信用することは出来ない。
SNSですら繋がりが急に途絶えた時に、筆舌に尽くしがたい悲しみを覚えるのに、世界まるごと消えてしまう可能性を秘めたメタバースに心酔することは、私には到底出来ないのだ。
ここで、道具として捉えずに、それが当たり前の世界であるという認識に変えてみよう。昨日まで善だったことが今日から悪になることもある。創造主のさじ加減で様変わりしたり世界ごと消滅するのが当たり前の世界だ。
(そういったことが当たり前なので、いちいち悲しみを覚えたり、世界ごと消失することに何の感情も持たない世界。当然自分が消失することにも一切の感情が生じない)
うーん。虚しいな。いや、この感覚は当たり前の世界を想像できていないからだな。つまり想像できていないこと自体が、私の今のところの答えなんだろう。
これは、道具つまりメタバースが信頼できるものにまで進化するか、人間がそういう世界を許容できるように進化するか、という話なのかもしれない。
船も飛行機もない時代は、地続きの世界しかなかった。海の向こうにも人がいると知った時、それに順応していったはずだ。ネットが発達してSNSで瞬時に誰とでも繋がれるようになった現代人は、それに順応していっている。ならば、メタバースにも順応出来るのかもしれない。当たり前の世界が来るのかもしれない。
だが、その先に幸福はあるのだろうか。分からない。私としては判断を保留するしかない。だから私はやはり、メタバースに興味を持ちたいに留まるしかないのだろう。
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