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性格診断の罠にはまってはいけない

ここ最近、MBTI(16パーソナリティ診断)の話を全くしていない。この性格診断がnoteを始めるきっかけになっていたはずなのに。いや、理由は分かっている。実はあまりこの診断に振り回されない方がいいと思い直していたからだ。

もちろん、この診断が悪いわけではない。むしろ多くの事を学ばせてもらったし、大変価値のあるツールだと思う。

ただしそこには、類型論という分類で分ける関係上、必ず起こりうる勘違いや思い込みや決めつけと言ったものが発生する。 これは避けようのないことだ。


会話をする際には、相手と自分の言葉の意味をそろえたり価値観を揃えたり、そういったことをして齟齬を発生させないようにすることが肝要だ。 

この性格診断はとても簡単で理解しやすい分類のように見える。 だから、その目線を揃えるという段階を飛ばしやすい。

またネット上では、実生活ではなかなか出会えない自分と同じマイノリティの人と簡単に接触できるような錯覚に陥る。それはフィルターバブルやエコーチェンバーと言った現象で、自分の見たいもの聞きたいものしか情報として仕入れていないに過ぎないのに、だ。


同じカテゴリーで共感しあったり、慰め合ったり、生き方を模索したり、建設的なことは大いに結構だ。だが、些細な差異に目がいくようになると危険だ。それは、攻撃性をはらむ。

だが冷静に考えて欲しい。どれだけ言葉を重ねても他人を完璧にわかるのか? わかってたまるか! なのだ。

いや、気持ちは分かる。私だって、その人のいろんな記事を読んで、どんな人かを想像しながら読むのは楽しい。ただ、それは己の中で留めておくに限る。もし出すにしても極僅かにすべきだ。相手のためになることにすべきだ。

人は自分のこともろくにわからないなのに、人のことはわかった気になる。そうであるべきだと考える。思い込む。

違うのだ、そうじゃないのだ。4文字のアルファベットに意味はない。大事なことは、それが意味することは、自分にとって有益かどうかだ。「あーそうだったのか」と腑に落ちるか「いや決してそんなことはない」と思えるか。大事なのはその一点だ。そのように思ったあなたこそがあなた自身だ。それは他の誰かに指摘されることではない。それを鵜呑みにした時点で、あなたはあなたでなくなる。


他人の性格タイプを決めつけたり、あるいは特定の性格タイプが優れていると感じたり。そういった風に考える人はなるべくこの診断は避けた方がいい。鵜呑みにするのは止めたほうがいい。

とても簡単で、割と認知されていて、それゆえにとても危険だ。血液型とか誕生日などの論理の欠片もないものと違って、この診断には理屈が存在する。扱い方を間違えると、このタイプの人はこういう人間だといった決めつけをしてしまう。理屈がある分ある程度は当たってしまう。だからこそ非常に危険なのだ。

ある程度勉強した人ならわかってもらえるはずだが、このタイプ分けはあくまで傾向を示したものに過ぎない。グラデーションたる性格を決めつけることなど出来はしない。個人を見失ってはいけない。


私が興味を持ち知りたいと思うのは、アルファベットの羅列ではなく、あなた自身だ。

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