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抱きしめるということ『Hug』

私は日本が好きだ。日本の文化も好きだ。海外の文化を積極的に採り入れようなどとは思わない。けれども一つだけ羨ましいと思うものがある。ハグの文化だ。

抱擁すること。抱き合うこと。抱きしめること。ハグという言葉を日本語で表すならばこのようになるのかもしれない。でもちょっとその意味が重たい気がする。重たいというよりは、恋愛的なものに偏りがちな気がする。

もっと気軽にハグしたい。愛情表現の一つとしてでもいいけれど、抱きしめるその行為というのは相手の存在と自分の存在をはっきりと肉体的にも心理的にも認知できる最良の方法ではないかと思う。あなたがここにいて、そのあなたを認める私がいて、それを互いに実感できる。そういう価値がハグにはある。言葉ではうまく言い表せられないものも、肌を伝うぬくもりが代弁してくれる気がする。


先日、電車内でこんな光景を見た。

早口の英語で何を言っているかは詳しく聞き取れなかったけれど、日本で久しぶりに再開したらしい男性二人が別れを惜しむようなことを喋っていた。一人が降車する駅に停車した際、ごく自然に二人はハグをして、それを別れの挨拶としていた。


言葉は、心や意思を伝えるための手段だ。その言葉の意味が相互に共通していることでコミュニケーションが成立する。ハグすることのその意味が、下心だったり恋愛感情だったり、そういう意味で受け止められてしまうことは仕方がない。でもそこで諦めてしまわないで、ハグをしよう。だってハグが伝えるのはそれだけじゃないはずだ。

愛してるの意味でもいい。
さようならの意味でもいい。
ここにいるよの意味でもいい。
もう大丈夫だよの意味でもいい。

ハグのその意味は二人だけのものであって構わない。だからハグをしよう、そしてちゃんと意味のあるハグにしよう。


私はもっと気軽にハグしたい。でも残念ながらそれは多くのしがらみがあって叶わない。だから、言葉や歌を代わりにする。

“アナタと私だけのハグにしよう”

『Hug』作詞:大森元貴



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