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"指示待ち人間"にならないように

先日小学校時代の回顧録を書きました。

母校の小学校では、担任の先生陣は「その学年を6年間責任を持って育てる」という考え方から、進級と同時に担任も持ち上がります。4年生に進級する時に、一度だけクラス替えをするため、基本的には(先生がお辞めにならない限り)低学年3年間と高学年3年間は、同じ担任が受け持ちます。私の高学年時代の担任の先生がよくおっしゃっていた言葉は、

「"指示待ち人間"にならないように。先生や大人の指示を待ってから動くのではなく、自分で今何をすべきか考え、能動的に行動しなさい。」

です。これは、すごく頻繁におっしゃっていたために、数十年経っても記憶に残っています。高学年になったんだから、授業中先生に細かい指示をもらう前に、次に何をすべきかはその状況から自分たちで考えて自主的に動きなさい、ということでした。家でも、全部親にやってもらったり、言われるまで動かないのはダメだよ、と。要は、「誰かが(自分や自分たちのために)何かをしてくれることを、待っているな!」ということでした。それと、自分で「次に何をした方がいいか」に気づいたとしても動かないのはダメで、その後行動に移して初めて意味がある、ともおっしゃっていたと思います。これは、その後の自分の人生の道しるべになりました。

この考え方は社会人になっても大切なこと。特に会社で新人を受け入れた時によく聞くのが、「『次は何をすればよいですか?』といつも聞いてくる」「一から十まで全て教えないと、それは習っていないから、とふてくされる」「自分のタスクさえ終わったら業務終了だと思っている」などなど上司からの不満です。小さい頃から”指示待ち人間”の癖がついてしまわないように、注意したいですね。

「邦人」の安否確認情報

それともう一つ、小学校の先生の言葉で記憶に残っているものを紹介します。これは担任の先生ではなく、グラウンドで行われていた全校朝礼で、別の先生のお話です。朝礼ではいろいろな先生方が持ち回りでスピーチをされ、それぞれの思いや考え方が垣間見れます。

ある先生が、「海外で飛行機事故が起きた報道を皆さん耳にしたと思う。その時のニュースで、どの番組でも『邦人(日本人)の死傷者はいません』という情報を繰り返し流していた。皆さんこれについてどう思いますか?邦人の死傷者がいないということだけでよいのでしょうか?日本人の被害がなければハッピーですか?」という趣旨の話をされたのです。

これは、衝撃的でした。私は、日本の報道番組なんだから、日本人の安否確認を流すのは、当たり前だと思っていました。また、国立の小学校の先生が、国について疑問を投げかけるスピーチをしていいのかな?ともこの時はちょっと思いました。でもそれは的外れな心配でした。その後、ニュースを見るたびに、どんな報道の仕方をしているのか、気にするようになり、海外の事故であれば邦人だけでなくどんな国の方々が被害にあっているのか、なぜ外国人の状況のことは報道していないのか、などの視点が加わりました。

先生のメッセージとしては、「自分が日本人だからといって日本人のことだけ心配しないように」ということだけでなく、「木を見ただけで、森を知った気になるな」ということだったのかと思います。日本のニュース報道から、ある事件の一部分だけ切り取られたり、あるいは意図的に世論を扇動するなストーリーにすることがありますが、それを鵜呑みにして知った気にならないようにということと、海外のニュースソースもチェックしたりして偏った情報源に頼るのは止めようと思うようになりました。

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