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生きにくさを感じている夢女子へ

前回の自己紹介で10年以上夢書きをしていると話したが、実は何も書いていない期間も長い。おそらく半分以上は活動していないのではないだろうか。
ただわたしの彼への想いは絶対的で一生消えることはないので、上がったり下がったりを繰り返しつつ、熱量の多いときに執筆するスタンスをとっている。

さて前置きが長くなったが、そういうわけで最近久しぶりに執筆熱が上がっているところだ。そうなると必然的にネットの海を探索する時間も増える。
そんな中、数年の間浦島太郎状態だったわたしが感じたことは、夢界隈がずいぶんギスギスして住みにくくなっているなということだった。

10年以上前は平和だった。今考えると逆に信じられないほどに。それがTwitterが台頭し出したあたりからちょっとざわつきはじめた。
わたしも以前オタ垢を持っていたが、いろいろと思うところがあって相当昔にやめてしまった。
そう、Twitterってほんとうに曲者だと思うのだ。

Twitterは性質上、フォローしている人の呟きやRTがTLに勝手に流れてくる=地雷を踏むが頻発する。その覚悟が出来ていない人は正直Twitterには向いていない。ましてや流れてきた呟きが気に入らないとか嫌悪感を感じるとかで相手を攻撃なんて、43歳のBBAからしたら幼稚以外の何物でもない。

そもそもオタクは全体的にスルースキルが足りないとわたしは常々思っている。もちろん良識的な人がほとんどを占めていることは知っている。だが自分と違う感性だからと言ってつっかかる率が圧倒的に高いのがオタクだ。
別によくないか。わたしはわたし、あなたはあなたで。なんで人の感性にいちいち腹を立てるのかわたしには到底理解できない。
そしてスルーできない人種がTwitterを手にするとほんとうにタチが悪い。
オタク界隈でもとりわけイタイ子認定されがちな夢女子たちはその攻撃対象になることが多いようだ。そしてそれがわたしには非常に理不尽かつ不憫に思えるのである。

noteやその他のサイトで夢女子についての色んな意見を読んでいると、夢の定義や楽しみ方が多岐に渡っていて昔とは全然違うなと少々驚きを感じた。
それらは現在多種多様な様相を見せているがゆえに、たしかに理解のない層から見ると滑稽にしか見えない、気持ちが悪いなどと感じる向きもあるだろう。
だがどんなに時代が変わろうが、最愛の彼とどういう関係を築いていくかはもちろん己の自由だ。その想いや関係性、愛情の示し方は誰からも責められたり否定されるべきものではない。
しかしながら昨今、現実はそう甘くはないらしい。

そこで提案なんだがTwitterをやめてみてはどうだろう。
こちらが垂れ流すから責められるんだという逆の発想にはならないだろうか。
たとえばこのnoteは相手が望んで開かなければこちらの考えを見ることはできない。Twitterほど手軽ではないかもしれないが、ひとことの呟きで終わらせることもできるし写真や動画だって載せられる。たくさんの人に見てほしい、いいねがほしいなどの目的ならばTwitterを続けるより仕方がないが、彼とわたしのことをただ発信したいだけの夢女子ならばこちらのほうが向いているような気がする。
まぁあくまでTwitterでトラブった場合前提の話なのだが、若いオタクは必ずTwitterをやっている、というよりやらなくてはいけない風潮にある気がしてふとこんなことを考えてみた。

誰かを好きな気持ちが他者からの干渉でつらいものになってはならないと強く思う。
ここに記したことで、誰かの今日が少しでも楽なものになってくれることを願っている。

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