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(5)発達障害の検査を受ける(平成17年)

 私の小学生時代はひとことで言うと「おとなしい子」でした。成績も中の下で、目立たなくて、いてもいなくても誰にも気づかれないようなタイプでした。自分から勉強しようと思ったのは中学生になってからで、学校が楽しくなってきたのもその頃からでした。先生と普通におしゃべりができるようになり、学級委員も務め、好きな男の子ができて交換日記もしました。その後、高校生活も楽しかったし、推薦入学でヒョイっと入った美術短大でもいい思い出しかなく、卒業後は希望のデザイン事務所に就職し、本当に楽しい10代20代でした。そして、学校や就職先は違っても、だいたいみんなそういうものだと思っていました。
 一方、ダンナの小中学校時代の話は、お義母さんとおばさんから何度も何度も聞かされました。「息子は神童だった。」と。当時、田植えや脱穀の時期に休校になるこの地域は、鼻水を袖口で拭く坊主頭の男の子だらけでした。そんな中で母親が作ったオシャレな服に、アイロンのかかったハンカチとティッシュをポケットにしのばせ、七三ヘアだった男の子はダンナだけでした。おとなしく勉強はいつも上位グループで、6年生では児童会長を務めました。その後大学の付属中学を受験したそうですが、表の答案は全部解いたのに裏の答案が白紙だったという失態を犯し不合格となり、地元の公立中学に進学しました。小学校時代の評判を引き継ぎ、1年生から生徒会の書記になるというロケットスタートをしました。相変わらず成績はトップグループをキープしていましたが、中学3年生の通知表の「行動生活の初見」には…
>>明るくのびのびしたところがない。開放的な気持ちで友だちと接するようになりたい。
>>自分の殻に閉じこもることは避けていきたい。
>>落ち着きがなく、たえず心に不安があるようだ。
>>自分を知るところから始めよう。人間は生まれながらにして与えられたものがある。
>>明るく誠実な人になろう。
と、さんざんである(笑)あと、ダンナに関して特筆すべきは小学校から中学校までほぼ皆勤賞ということです。(小学1年生の時に、原因不明の足の病気をし1ヶ月の欠席は除いて)遅刻が数回ありますが、寝坊の他に風邪の時なども昼過ぎに熱が下がれば5時限目だけでも登校したと言ってました。それは親に言われて登校したのではなく、「学校は休まず行く」という教えを忠実に守っただけのことらしいです。その後、高校は地元の進学校に進みますが、その頃から目覚めたバンド活動で親子関係は悪化し、学業不振が続き、大学進学にも影を落とした暗黒時代が始まります。ただ、本人はそんなに暗黒と思っていないみたいですが。

「7人家族の真ん中で。」でも触れています→誰似?(4) 

~発達障害の検査を受けて~

 ケンとリュウは4年生に無事進学したが、家での様子は保育園時代とあまり変わらなかった。とにかく目の前の楽しいことにしか興味がなく、明日のことを想像するのが苦手だった。

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