アリンコチャーハン

土浦市神立の一軒家の集合貸家には、四歳から五歳までを過ごしました。


みよ子は当時、茨城県で一番の売り上げを上げていた高級クラブ・リムジンのナンバーワンホステスでした。そしてナンバー2の女・かよ子が妾になり、後に継母になるのです。大物芸能人など専属で相手をしていたようで、今で言う大御所芸能人と一緒に写っている写真が家にありました。

 みよ子の子供の頃、施設暮らしだったと聞いた事があります。どういった経緯でホステスになり、父親の男・大槻力と出会ったのかはわかりません。

夕方の五時頃でしょうか、クラブからの送迎バスが迎えが来るのです。昔は、今のように風営法が厳しくなかったので朝方まで営業していたようです。
夜は、力が時々いましたが、大抵はいませんでした。遊び呆けていたのでしょう。私と異父兄弟・誠だけで、夜をすごしていました。
みよ子はお昼か、午後一時位までしょっちゅう寝ていました。もちろん力ももです。なので、私と異父兄弟・誠はいつもおなかを空かしていました。 つまり、朝飯が抜きだったわけです。それが今でも続いていて朝食を食べない状態になってしまったのは、 この頃からの事と、その後の虐待・ネグレクトによる癖がついてしまったのかもしれません。


まだ4歳と5歳の幼児です。お昼にはあまりにもお腹が空き過ぎて、みよ子をそっと起こすのです。うるさいと、力が目を覚ましてキレ出すからです。

昨日の夕飯の残りのケチャップライスがガスコンロにのせたままのフライパンの中に残っているのです。それを炒め直すのですが 、住んでいた家は、昭和の初期の頃に建った借家です。隙間だらけに決まっているので、そのケチャップライスの中にはアリンコが沢山入っていて、一緒に炒めてしまうのです。

「アリンコは食べられるから」

と、みよ子がアリンコだらけのケチャップライスを私たちに食べさせるのです。


ケチャップの味ではなく、アリは、すっぱいのです・・・。


私が生まれてからの五年間、両親から、愛情のかけらも貰う事はありませんでした。

「母がいた」という子供の本能と、施設にいた一年間は、暴力がなかったからでしょう。
4~5歳からのこの一年間の記憶と、その後の施設での暮らしの一年、この二年間の記憶が私の幼少期の記憶のほとんどを占めているのです。断片的にはあるのですが、小学から高校までの日常生活の記憶が、大槻力の暴力によって、


殆んど消えているのです。

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