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物事の究極は"読み人知らず"?

「作曲家の究極の夢は“読み人知らず”になる曲を作ること」

以前録画しておいた番組において、作曲家の宮川彬良が語っていたことである。

「読み人知らず(詠み人知らず)」とは、和歌において、様々な事情から、誰が詠んだかわからない状態になって、現代に残されているものを指す言葉である。宮川はそれを作曲家としての「究極」だと考えているという。

作者不詳でも現代に残されたものといえば、1月の読書会での課題本『とりかえばや物語』もその1つである。平安時代に作られたという物語が、作者というタグを失っても、時代ごとの思想、文化など様々な違いを乗り越えて、人々に読み継がれている。

読み人知らずになることを「究極」と表現した宮川の考えはこういうところにあるのだろう。作曲家はいつか死ぬが、曲は社会の変化に関わらず、いつまでも残る。「いつまでも残る曲を作りたい」、読み人知らずという宮川の言葉には、その思いが込められている。

実際、私たちの社会に定着した物語や歌には、作者不詳のものが時々ある。
仮に調べれば作者がわかるものでも、そもそも調べない。「ハッピーバースデー」の曲もネット検索すると、一応の作曲者らしき人は引っかかる。しかし、作曲者名を調べることすら野暮なくらいに、あの曲は私たちの生活に定着している。

「誰が作ったか」ではなく、「誰が作ったかわからないけれども、私たちの文化(社会)には欠かせない」。「読み人知らず」の世界には、予想を超える奥深さが広がっているのかもしれない。

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