見出し画像

読書会より―”恵み”が”災い”に変わるとき 吉村昭『破船』―

「好きじゃないけど、読んで良かった」というなら、読んでみようではないか。ということで、紹介された本を読み進めている。2冊目は吉村昭『破船』にした。ちょうど、『一九八四年』『新版 悪魔の飽食』というヘビー級の小説・ルポを読み進めたので、『何者』や『ゼロからわかる量子コンピュータ』よりも流れがちょうど良かったのだ。何より、迂闊に場面設定が日常の風景に近いものを読むと、後に改めて『破船』を読もうなどという気になりかねない。だからこそ、このタイミングに読むことにした。

DLした電子書籍のファイルを開いたときに思う。文章量は大したことない、と。先2冊に比べれば、半分もしくはそれ以下、2か月かけて読んだ『坂の上の雲』と比較したら1/10以下である。比較的楽に読めそうに感じた。

実際読んでみても、比較的淡々と読み進められる。食べ物に汲々とする様子、幼いながらに漁の経験を積み、村での生活に溶け込んでいく様子、家族の生活のために身売りする(=奉公に出る)人々…。そして、だからこそ「お船様」の恵みが村にとって、どれだけ重要なものであるか、それを実感させられる文章が続く。

しかし、ある時の船は別物。それこそが、当時恐るべき災いをもたらす船。その船の到来以降、村人がどのように災いに振り回されるのか、そして、その災いが何を村に残すことになるのか。一定の調子を刻みながら、その変化が綴られていく。その調子で最後まで一気に読んでしまった。

とはいえ、思っている以上に読んでいてキツい小説ではなかった。先2冊のインパクトがあまりにも強かったからであろうか。それでも、そこで描かれている光景は正直目を背けたくなる。自分が主人公伊作の立場なら、本当に同じことができるだろうか。自信がない。

ただ同時に、当時の寒村がいかに物質的に窮していた、そして情報がいかに広がりにくい環境であったかがよくわかる。ある程度物が行き渡る環境であれば、災いを回避できたかもしれない。そう思えるが、もし小説の舞台と同じ状況(生活環境、情報量)であったなら、どう選択するだろう。多分、同じ選択をしただろう。何せ寒村、「お船様」でも来ない限り、生活は常に綱渡りなのだ。

生活環境の厳しさ故の選択が招く災い。それでも、この小説にあるのは当時の生活の厳しさ、”災い”がもつ恐怖、それだけではない。かなり学ぶべき要素があるように思う。特に、リーダーとしての村おさの考え方と決断、これは現代を生きる私たちにとって学ぶべき要素が多いし、また、彼の決断を現代を生きる私たちは果たしてできるだろうか。

紹介された本を読んでみようということでさっそく2冊。少なくとも、今回はかなり興味を持ちながら読めた。次は『ゼロからわかる量子コンピュータ』。読書会で紹介された本の中でも異色の本。しかし、乗り掛かった舟。ここで下船はできまい。読み始めよう。そして、またグダグダと(これが余計な気もするが)文章をまとめよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?