ささやかな疑問を持ち続ける大切さ〜永六輔『変だと思いませんか?』まえがきより~
私のところにKindle Unlimitedのキャンペーン情報が届いた。2か月間99円でいいらしい。早速契約する。延長する気はさらさらない。彼らにとっては安値の時だけ契約「しやがる」都合の悪い客なはず。だが、年1回くらいこんな感じのキャンペーンが届くので、その時だけこちらの都合で契約している。
それはともかく、読み放題の本の一覧にこんな本があった。
永六輔『変だと思いませんか?』
またまた永六輔の本。だが、この人の調子は個人的に好きなのだ。さっそく読み始めている。
この本を書くきっかけが「まえがき」に記されていて、興味深い。
確かに、「変だな」と思うことは日々の生活の中にたくさんあるし、気づいたら、それを忘れている。まさに「いちいちこだわってはいられない」のだ。だが同時にその「変」が気づいたら「常識」や「日常」にすり替わっている部分がある。まるでジョージ・オーウェルの『動物農場』に出てくる「七戒」のように。
それに対して疑問を持ち続けずに「適応」するのは楽だ。グレーバーの『ブルシット・ジョブ』のような形でいうならば、端から見たら無駄であり、かつ害なす業務にしか見えなくても、それをすることが当然と思っている人にとっては、全くブルシットではない。だが、「適応」できなかった者から見れば、ただのブルシット・ジョブなのだ。あの本で取り上げられていた人も、グレーバー自身もおそらく適応できなかった側の人間、あるいは表面上は適応していても、内面は適応できていない人間なのだろう。それがあの本につながっている、そんな感触を抱く。
永はこうも言う。
変なことに対して「これは変だ」といえること。個々人がこれを意識するのは大切だ。だが、その行動が多くの人に浸透するには、その環境を作れるかどうかにかかる。永の本は人類学でも経済学でも経営学でもない。エッセイの類だ。だが、「変だと思いませんか?」ということ、そして、それを言えることを重要視すること、それが大切だと伝えている。そして、それは、グレーバーの問題提起にもつながるだろうし、心理的安全性の話にもつなげられるだろう。
具体的な方策を考えるよりも先に、「変だと思いませんか?」と言えるそんな状況を作る、これが大切なのだろう。そして、自分でもmemoレベルでいいから、まとめてみようか、「変」だと思うことを。
だが、「変」だけだと、いちゃもんだけつけている感もある。「変」「疑問」「不思議」と思うようなことをまとめてみる。その方が自然でいいだろう。何か新しい発見があるかもしれない。
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