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わたしの日本語教師物語15~タイから学生がやってきた!

自分の日本語教師ヒストリーを振り返る15回目です。でもまだ2004年。日本語学校で教科書を作るプロジェクトに参加したり、養成講座の担当になったりして働いていたワタクシ。また新たなプロジェクトに参加することになりました。10月、学校にタイ政府から派遣の留学生が来ることになったのです。ミッションは1年半で大学に合格させること。やってくるのは高校を卒業したばかりのタイの若者、一定以上の成績を取って奨学金プログラムで選ばれた学生たちです。全員理系の学生でした。S校で受け入れるのは初めてのことだったので、教務主任のもと、進学指導担当の教師、そして私たち日本語教師がタッグを組んで指導していくことになりました。

この学校では、本来は教師の持ち上がり制を取っておらず、1学期が終わると学生は上のクラスに進級していくけれども、教師はまた初級なら初級と同じレベルを教える形になっていました。しかしこの時に限って、学生たちの進学を見届けるため、私は初級1から学生とともにレベルを上がっていくことになりました。そして、これもこの学校では異例のことでしたが、初級1に限って、タイから来た学生たちが全員同じクラスで勉強することになりました。(従来は一つの国籍に偏らないようにクラス編成が行われていました。)

それで、私はもう一人の先生とペアを組んで20人全員10代のタイ人という初級1クラスの担当になったのです。
まず大変だったのが名前を覚えること。それまで初日に全員の名前を覚えることを自慢にしていたのですが、タイの人、名前が長いのよ~。しかも似ている。いつもなら、何かしらの特徴のある人から覚えていくので、例えばアジア人ばかりの中に欧米人がいればすぐ覚えますし、ちょっと年齢が上や、逆に若い学生など他の学生と違っている点があれば覚えやすいのです。

しかーし、このクラスは全員タイ人、しかも全員10代。ううむ、なかなか手ごわい。

というわけで、1日ではどうしても覚えられず、2回目か3回目の授業でようやく全員の名前を覚えたように思います。それなのに…。
初級1が終わって、初級2に進んだ時、学生たちから、実はタイ人はみんなニックネームがあります。これからはニックネームで呼んでくださいと。えええ…!。
本名とニックネームが似ている人ならいいのですが、例えばオンチラーさんがオンさんとか。全然違う人もいて、これがまた一苦労なのでした。なので今でも本名の方しか覚えていない人もいるわ、ごめんなさい。

学生たちにはクラスでの日本語指導だけでなく留学試験対策の日本語も担当しました。この学校にはもともと日本語クラスとは別に留学試験対策クラスがあり、他教科、数学とか社会とか英語の先生もいましたし、学校の選び方、願書の書き方、面接の仕方を指導する進学担当の先生もいました。それで学生たちは午前は通常の日本語の授業を受け、午後は留学試験対策の授業を受けていました。大変だったと思うけど、奨学金をもらっていたのでアルバイトをする必要もなかったのよね。住んでいたのは寮だったし。

日本語の指導では、同じ国の学生が集まっていることの良さもありました。例えば発音や聴解の指導。タイの人は「す」と「つ」、「し」と「ち」の混同が多いので、そこを重点的に練習することができたからです。また文法面でもタイ語は語順や修飾の仕方が日本語とは異なるので、その点を間違えないように注意することができました。

一番苦労したのは記述対策かな。なにせまだ高校を卒業したばかり、そんな若い学生たちがあるテーマについて自分の意見を、決められた時間内に書かなければならないのです。しかも外国語である日本語で。自分を振り返ってみても、19歳ぐらいの時に、環境問題やら、異文化理解やら、科学の発展による問題点やら、そんなこと真剣に考えてなかったでしょー。それを外国語で30分以内で論旨も明確にして書けって…。まあ、彼らは選ばれし優秀かつ勤勉な学生たちだったので、頑張りましたよ。授業ではどんなテーマが出てもいいように、量をこなすことを重視したと記憶します。あとは時間内にとにかく結論まで書くこと。そのために多少字は汚くてもいい、漢字が分からなければひらがなでもいい、というような指導をしました。

読解も試験を想定して短い時間で解く練習を繰り返しました。あの頃、あまりいろいろな教材はなかったように思いますね。
ところで留学試験対策でも普通の日本語のクラスでも、お勧めしたいのが最近見つけた教材、西隈俊哉先生の「2分で読解力ドリル」。この教材がこの頃あったらな~。絶対に使っていたのに。早く読むトレーニングに最適だと思うのですよ~。(アマゾンとかで探してね)

留学試験対策もしながら、彼らと一緒に上級まで上がりました。ただ、タイの学生たち20人全員が一つのクラスだったのは初級1までだったので、中級や上級ではクラスに数人という形でしたが。ですからもちろん他の多くの先生方もこのタイの学生たちに関わり指導していました。一番長い時間寄り添っていたのは進学指導の先生だと思います。

2005年の秋ごろからいよいよ受験本番。徐々に彼らの進学先が決まっていきました。みんな頑張ったよ。初級1から日本語の勉強を始めて1年半で大学に合格するなんて本当にすごいよ。

2006年3月、初めて受け入れたタイの国費留学生たちは卒業していきました。卒業式の学生代表にも彼らのうちの一人が選ばれ、感謝の言葉を述べました。

あれからもう15年も経つんだね。20人のうちの何人かとはFacebookでつながっているので、近況を知ることができます。日本で大学、大学院に進み、研究者として頑張っている元学生、企業でばりばり働いている元学生、結婚して子供を持ち幸せな家庭を築いている元学生。彼らの人生の一時期に関われたことは幸せ以外のなにものでもありません。日本での経験が彼らの糧になっていれば嬉しいです。

※ところで、タイの人ってみんな民族舞踊が踊れるんですかね?学校の式典や卒業式のパーティーで彼らは全員でタイ舞踊を見せてくれてました。もちろん本格的な衣装で。それが今でも不思議。だって私、外国で着物で踊ってって言われても、着ることもできず盆踊りでさえ踊れないと思うから。(タイトルの写真は関係ありませーん)



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