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バルボア

最近服を買いました。

Barbour
バブアーというらしいのですが、全く話せないくせに変にポルトガル語読みする癖がついたせいか、ずっとバルボアと呼んでました。
ちなみにブラジルではTinderをチンデル、Uberをウーベルと発音するので、僕はそっち呼びがしっくりきます。しゃべれへんのに。

服。これはジャケットというのか、アウターというのか。
え?ジャケットとアウターって一緒の意味?
もうそれすら正直わからないほど、服に無頓着な人生を送ってきた。

服に興味がない。
というよりカッコつけるということが昔から苦手でした。

記憶にあるのが子供の頃、親にジーパンを履かされ、僕は怒って脱ぎ捨てたことがあります。
今考えるとちっさい子供にジーパンを履かせるなんてセンスある親だなと思うけれど、当時の自分はウルトラマンの服装の方が良かった。
パシッとしててスタイルも良く見えるジーンズは僕にはかっこよすぎたから。

高校生の時は近所のしまむらで適用に服をこさえていた僕が、自分から初めて履きたいと思い、わざわざ三宮に出向いて買いにいったズボンが、青のディッキーズのズボンでした。あのダボダボ感が良かった。

大学生になって初めて京都に出た時、GUやユニクロが徒歩で行ける距離にあることに感動して(がち)、買い漁りました。
意気揚々と新しい服を着て大学の構内を歩いていたら、前方から上下、寸分狂わない同じものを着た人と出くわし、気まずい思いをしてから、流石に全部GUやユニクロはまずいことを学びました。

幸運にもお付き合いした女性から、おしゃれな古着を貰ったり、買う時も選んでくれたこともあって、大学時代は比較的まだマシな恰好で過ごせていたと思っています。というかそう思い込んでいます。

このように服の偏差値も低い人生を歩んできた自分ですが、社会人になってから平日にスーツや作業着を着ることが多くなり、より一層服に興味が無くなっていました。
ずっと学生時代の服を着回し、ユニクロで購入する日々を送っていたら、また夜間の専門学校で前後の席の人や、駅ですれ違う人と服が被りました。
その人達とは色違いだったのですが、なぜかまた気まずくなりました。いい加減学べよ。
なんでユニクロの色違いってすぐ見分けがつくのですかね。不思議です。

インテリアの授業で家具や内装の色合わせの授業があった時、普段服装を意識してそうな方達が、良い色合わせをして先生に褒められている所を見て、服好きはそういうところでもセンスを発揮させるのかと感心したことがありました。

そういうこともあって服装への興味が回復したのかと言えば、そうではない。

相変わらず興味ないまま、この前イングランドに旅行へ行きました。
ロンドンとリバプールに行ったのですか、そこの国の方達、顔の違いもあるから余計にそう見えるだけかもしれないけれど、老若男女問わずみんな凄くオシャレでした。

僕は結構外国人に憧れている節もあり、この人達みたいになりたい、、! と急に思いました。

そんな呆れるくらい単純な自分にたまに嫌気がさすのですが、もうこれはずっとそうなので付き合っていくしかないんです。

リバプールでスタジアム併設のショップに訪れた際、ユニフォームを買おうと思っていましたが辞めた。どうせ着れないので。
そもそも現地の人達ですら、気候のせいもあるかもしれませんが、着ている人はあまり多くなかったです。
この辺は日本と感覚が似ているのかも。
ちなみにブラジル人は年がら年中、平気で好きなチームのユニフォームを着ています。あの着飾らなさ・素直さが彼らの良いところです。

サッカーチームのエンブレムが入るとひとたびダサくなるし幼稚にみえる。
ただこれは好きなバンTを着る人の感覚に近いのかもしれませんが、自分はこのチームをサポートしているんだという言わば一種のアイデンティティに近いものを少しでも示したい。という欲はいつまでたっても捨てきれません。

なのでせめて日本でも、合わせればギリ着れるものをと、現地限定のアパレルをいくつか購入しました。
リバプールはニューヨークヤンキースの様に、そのチームを知らない人でも着れることを目標に、エンブレムは比較的シンプルに、目立ちすぎないようにしています。
僕はこれから少ない時間でもこっそりと身にまとい、リバプールがニューヨークヤンキースにとって代わる存在になるように、陰ながら布教活動をしていくつもりです。
なにゆってんの?

とまあいつも通り脱線しましたが、話を元に戻すと Barbour 購入しました。
5万円しました。 はい。完全にイギリスに触発されたおかげです。

服に5万円なんて今までの自分からしたらとんでもないことです。
BUMP OF CHICKENが歌詞に「大好き」という言葉を入れるくらいありえないことです。
そのお金があればずっと欲しかったPOPカイドウ(ワンピース最高級フィギュア)を購入できるのに、気づいたら手に取っていました。

自宅から車で30分ほど行ったところにある、ブランチという聞いたこともないショッピングモールの中の唯一まともなセレクトショップに、そいつはひっそりと佇んでいました。
ちょうどイギリスから帰ってきて、何かいい服はないかと見に行った時に、オイルで光沢がかったそいつと出会いました。

嫌な話、2年間実家暮らしでほとんどお金を使うことがなかったので、旅行帰りとは言え、買えないことはありませんでした。

ただお金じゃないんです。
問題はカイドウのフィギュアよりそれは価値があるのか。
もっと言えば「服なんかと思っていたものに」そこまでお金を出す価値を自分の中で見出せるか。
ここが問題でした。

考えすぎても仕方ないのでとりあえず試着させてもらう。
当然ながら今まで来たことのない服で、いつも通りスウェットを着ていた自分には到底似合わないものでした。

ただ着た自分を鏡で見た瞬間、こいつを着こなせるような、いつまでもカッコいい大人になりたいと思いました。

これは初めての感情でした。

高額ということもあって一応その日は引き返したのですが、インスタでそれを着こなすイギリス人も見て、また周囲の後押しもあり、次の日にはまたその店に行き、そいつをじっと見ていました。多分店員さんも「こいつまた来たか」とビックリしたでしょう。

その服の前でモジモジと。
最後の一押しが欲しかった僕。店員さんに柄にもなく話しかけ、購入しようか迷っていると告げる。
こういう時に限ってか知りませんが、あまりその服の知識がない方でした。そらそうや。セレクトショップなんやし。そんなもん自分で調べろ。

けれど普段は話しかけられるのが苦手な僕でも、
うっとおしいキャッチに絡まれて、「今500円しかないんすけどそれでも行けるんすかねぇ?!」と切れ気味に言うと、「5、500円?!それじゃすき家も食べれないっすよ?」と返され、すき家は別に食えるやろと思いながらいなしたことがある僕でも、
本当に欲しいと思っているモノを買う時だけは、店員さんの卓越したトークと知識で猛プッシュしてほしいと思う、めんどくさい人間だ。

ただ店員さんも凄くいい人だったし、まあ元々買うつもりだったので、購入しました。Barbour

それと同時に今まで着ていた・今後着ない服を全て近所のリサイクルショップに売りに行った。ほとんどお金にならなかったけれど、小6の頃から着ていたナイキのジャージがなぜか1000円で売れた。
なぜ売れたのか
家族にそのことを話すと、今では見かけられない、もしかするととんでもないプレミア物を売ってしまったのではないか、、?と考察し合うだけで、結局謎は深まるばかりだった。

今現在家に服が殆ど無い。なので、
ばる、、違った バブアーのおかげか、数年ぶりに1万円を超えるユニクロ以外のジーンズも買いました。
ちゃんと色も合うように意識して。
これも自分にとっては新鮮です。
パシッと決めたくなりました。

また服にお金をだすことに、今、全く抵抗がないのです。ソニックの縦回転のように完全にブーストがかかってしまってます。誰か僕を止めてください。

そしてどの服がやつに合うのか、考えながら服屋さんをめぐることが、今凄く楽しくなったのだ。

こんな感想文、服好きな人からしたらレベル1くらいの話かもしれないし、もしかすると通な人にとって、バブアーですら既にみんな持っているミーハーなものかも知れない。

そこは重々承知しているし、対抗していこうとはみじんも思ってない。
ましてやこれから服にこだわりをもつ人には自分は決してなれないだろう。

ただ少し違う世界に足を踏み込んだだけで、ドッグランの主柴の飼い主さんに「あんた、えらい若返ったやん」と言われ、「老い」とはそういう自分の外観を意識しなくなった所から始まるのかなと、身をもって気付かされた気がした。

当然今までずっと着ていたオーバーサイズの服装とは違い、まだまだ着られてる感は強いんですが、年相応の路線がやっと見えた気がしました。

少ない時間でもちゃんといい服を着るからこそ、どこかへ出かけたくなるし、誰かと会いたいという気持ちが芽生える。自分が外向きになって行くと言うか何と言うか。

この気持ち忘れずに、ここに置いていこうと思いました。忘れてたら誰か僕を殴ってください。


ちなみに余談なんですが、1年前にずっとコンプレックスだった前歯の矯正もした。
さらにバブアーの勢いで、新しい眼鏡も何年振りかに買った。
極薄レンズ込みで2万円しました。
これからはサウナに眼鏡を持ち込むことは辞めます。


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