徳を積むという事

マインドZEROまで戻して
マインドZEROから引き上げる
モメンターの零(レイ)です。

お昼ご飯、会社の食堂でいつも横に座るCさんと
たまに深い話をするのが定着化しております。
昨日は「得を積む事」は最終的に自分に返ってる
という事について、意見交換をしました。

例えばメッチャ、傲慢でやりたい放題している人が
最終的にそういう事をしてしまっているが故に
誰も周りから相手にされなく、孤立した時に
自分の意志で、その人に手を差し伸べたとして
その行為自体は、徳を積む行為になる。

このケース、周りからは「本当に素晴らしい」
とか「善に溢れた人だ」と言われるけど
きちんと説明すると次の通り。

結局のところ、その周りから相手されていない人が
自分と関わっている限り、その状況を見て
気分が悪くなるのは自分なので、自分の居心地を
良くする為に、手を差し伸べるという行為を
したというのが正しい表現。基本的に自分が
気分良く過ごす為にやって、それが最終的に
自分に返って来るという事。返って来るまでの
状態を徳を積むという事。

※ここで言いたいのは決して、人のためになる事を
積極的に行って下さいということではなく
自分の気分の良いチョイスをするという事。
今回のケースで言うと、自分が手を差し伸べた方が
気分が良いか、手を差し伸べなくても
良いのであれば、手を差し伸べなくてもOK。
あくまでも自分がどうしたいかのみに
フォーカスし、行動に移すことが大事というのが
ぼくの考えです。

以上の事がCさんと話して出た結論。
ベースの考え方が同じの人と話すると
感覚レベルで話してもスッと分かり合えるので
話が早いね。

見る立場と短期的に見るか、長期的に見るかで
それが利己的、偽善的、道徳的等
それぞれの捉え方が違うし、それは
各々の人が感じる事であって、自分たちには
関与するところではないので、全く気にする事は
ない。ただただ自分の気分が良くなる状態を
作る事に徹する。自分軸、ぼくの中では
これが1番しっくりくるやり方です。

都度都度、気分の良いチョイスをしたいですね!

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