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可視化アルゴリズムで、世の中に役立つーーVALUENEX 代表取締役 社長 CEO 中村 達生(前編)

こんにちは、VALUENEXの戸矢崎です。
VALUENEXは「戦略立案に技術情報の活用で貢献する」を公式noteのテーマとして、これまでVALUENEXが培ってきた技術情報解析に関するTipsや世の中の最新情報などを発信しています。

今回は、読者の皆様にVALUENEXがどんな会社であるのか知ってもらうため、VALUENEXの CEO兼創業者でもある中村へお話をお伺いしました。
営業部長の新井や私も参加していましたが、メインのインタビュアーは中村と古くからの付き合いがある自動車部品メーカーの森下様に実施いただき、
1.中村について
2.VALUENEXについて
3.技術情報解析について
4.今後について
を根掘り葉掘り聞いていただきました!

内容が多くなってしまいましたので、前後編の計2回に分けて掲載していきます。

※中村プロフィール(詳細プロフィール:https://www.valuenex.com/jp/about

昔から定性的なものを定量的に評価していくモデル化が得意だった

森下様:
本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、中村さんのこれまでのキャリアを教えていただけますか。

中村:
よろしくお願いいたします。VALUENEXを創業する前は三菱総合研究所(以下、MRI)に勤めていました。1991年に入社しているのですが、入社のきっかけは大学院の先輩からの紹介でした。大学院生の時に先輩からMRIのアルバイトを紹介してもらい、そのまま入社したという流れです。決め手は、当時の自分が求める『転勤がない』『死ぬ気で頑張れる』という環境がMRIにあったからでした。当時の自分は天邪鬼で、「入社したら3年ぐらいは死ぬ気で頑張ってノウハウをためて、退職しよう」と思っていたのですが、「MRIはまさにその働き方ができるな」とアルバイトを通じて感じていました。あと、小学校時代に転勤族だったこともあり、転勤したくないという思いがあったので、その点も満たされていたのが大きかったですね

森下様:
今は世界中を飛び回っている中村さんの性格から考えると、転勤したくないというのは意外ですね。

中村:
おっしゃる通りで、毎日大手町に通い続けるのは飽きました。その時に自分は、同じ場所に留まり続ける性分ではないんだなと感じましたね。ただ3年勤めたタイミングで、東京大学の助手をやらないかというお声が掛かり、行ってみることにしました。助手をやっていたのは4年間なのですが、MRIを客観視することができた貴重な4年間となりました。

MRI時代の中村(2006年01月 フジサンケイビジネスアイの巻頭)

森下様:
MRI時代はどんなお仕事をされていたんですか?

中村:
一番最初にやっていたのは、中央リニア新幹線の需要予測と経済波及効果に関する調査でした。リニア新幹線を通した時に地元にどれくらいの経済波及があるのか、どれくらいの料金設定とすればいいのかをシミュレーションしました。シミュレーションモデルは世の中に無いので、自分たちで作っていきながら調査していました。
後は八ッ場ダムの経済波及効果や中部国際空港の経済波及効果のシミュレーションなどを実施していました。

森下様:
なかなか凄そうなことをやっていたんですね。どんなことをすればシミュレーションできるのか想像もつきません。

中村:
当時から無形資産のような定性的なものを定量的に評価していくモデル化が得意でした。いくつもモデルを作り、クライアントが評価されているのを見ていくうちに、「こういったモデルを生み出したのは、自分であると証拠を残したい」と思ってきました。そこでモデルに関する特許を出していったのですが、それが今のVALUENEXに繋がっています。

当時思いついたアルゴリズムが世の中に役立つ確信があった

森下様:
なるほど。ではその流れでVALUENEXについてのお伺いなのですが、まずどうしてVALUENEXを起業したのか教えていただけますか。

インタビュー中の1コマ

中村:
起業した理由はいくつかあるのですが、当時思いついた可視化のアルゴリズムが世の中に役立つ確信があったからです。これが一番大きな理由だったと思います。この確信は今でも持ち続けています。
当時このアルゴリズムを活用する方法としては、MRIでの活用やジョイントベンチャーを立ち上げての活用等、起業以外も選択肢が複数ありました。ただ紆余曲折ありまして、自分の手で生み出す必要があると考え、2006年に株式会社創知(現VALUENEX)を起業しました。

森下様:
起業当時はどんなことがあったのですか?

中村:
起業当時は資金調達に苦労しました。詳しくはお伝えできないのですが、本当にいろいろなことがありました。しかし、結果としてはウエルインベストメントさんなどから資金調達を達成し、初年度から1.5億円と充分すぎる投資をいただくことに成功しました。その後、実際に開発を進めようということになり、秋葉原で部品を調達して17台のパソコンを作りました。ただ、その台数を置く場所がなかったので、早稲田大学の知り合いの先生から空いている研究室を借りてパソコンを置かせていただき、VALUENEXはスタートしました。

森下様:
凄いですね。ガレージでパソコンを作って起業すると聞いたことがありますが、本当にそんな感じなんですね!

中村:
まさにそれです。ただVALUENEXはヘビーな解析が多く負担が大きいので、
1年くらいでパソコンが片っ端から壊れてメンテナンスする日々が続きました(笑)ちょうどその頃に森下さんと出会ったと記憶しています。

森下様:
懐かしいですね(笑)

インタビュー中の1コマ

森下様:
資金調達の方に話は戻りますが、充分に調達を達成できたことを考えると、VALUENEXの技術は理解が難しいものではありますが、刺さる人には刺さるということですよね。自分も投資家だったら、投資してたと思います。

中村:
ありがとうございます。当時投資をしてくれた理由として、技術への評価など様々な要因があったようです。例えば、投資家の方は、創業者がどれだけその技術を信じているのか、という点を見ているようなのですが、私はこの技術が世の中に役立つという確信がありました。もはやこれを役立てることは使命である、と使命感のようなものを感じていたので、この点が投資家の方に伝わったことも1つ理由としてはあるかもしれません。

(後編に続く)

ここまでお読みいただきありがとうございました。次回は今回の続きとなる後編を公開いたします。お楽しみに!

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