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森本光春(もりもとみつはる)の話

はじめまして。森本 光春(もりもと みつはる)です。

株式会社バリュースタッフというホテル・結婚式場に特化した人材派遣会社を経営しています。

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最近では、Twitter上で前澤友作さん(@yousuck2020)「お金贈り企画」に参加して、ホテル・結婚式場の現場で働く人々にお金を贈ることになりました。
この企画を通じて知ってくれた人の方が多いかもしれません。

Twitterの140文字では伝えきれなかった僕自身の話を、今日はnoteに綴っていきたいと思います。

■生い立ち

・昭和49年1月3日生まれ

・岡山県岡山市出身

染め物工場・縫製工場・塗装業を家業とする家に、姉二人の末っ子長男として生まれました。

姉二人を筆頭に家族に愛されて育ち、幼い頃は「自分を中心に世界が回っている!」と疑ってやまなかった少年時代を過ごしました。

■人生の目的を探して、、、

高校卒業後、特にやりたいことが見つからなかったので「自分探しの旅に出よう」と思い、海外への留学を考えます。とは言え、先立つものは何もなかったので、非正規雇用のフリーター生活が始まりました。

■ホテルマンになってみた

当時神戸に住んでいた姉の家に居候しながら、新しい働き口を探していた僕の目に飛び込んできた「当月30万稼げます」の文字。
思わずクラっときて応募したのが、神戸にあるホテルの宴会部(ウェイター)の仕事でした。
それが、僕とホテル業界との最初の出会いでした。

今よりも企業の宴会や婚礼が盛んにおこなわれていて、大規模なパーティーも多かった時代。繫忙期には一日が一瞬で過ぎてしまうほど、充実感と達成感でいっぱいの日々。
とてもハードな現場仕事でしたが、同世代の仲間たちも多く、仕事はとても楽しかったのです。

その楽しさ故に、関西圏のホテルをいくつか経験しました。というのも、当時はホテルの開業ラッシュが続いていて、ありがたいことに開業に携わる機会が多かったのです。

僕自身も大阪の「リーガルロイヤルホテル堺」の宴会部キャプテンを皮切りに、「ハイアットリージェンシー大阪」の開業から宴会部へ、その後「リッツカールトン大阪」の開業から宴会部キャプテンとして勤務していました。

リッツカールトン大阪では3年間勤めましたが、一番楽しく充実していた気がします。当時一緒に働いていた仲間の中には、バリュースタッフの社員として一緒に頑張っている人もいて、僕にとってはかけがえのない存在です。

留学費用の捻出のために始めたホテルマン生活でしたが、気づけば26歳までそのままフリーターとして現場に立ち続けました。

■人生について考える岐路

いわゆる「ラグジュアリーホテル」と呼ばれるホテルのパーティーは、とても華やかな世界に思われますが、いざ現場に入ってみると体力的にも精神的にも、とてもハードなものでした。

正直なところ、他業種のフリーターよりもお金は稼げていましたが、ある時、ふと思ったのです。
「どんどん年を取っていくのに、このままの働き方でいいのだろうか」
「長い時間拘束されて働く毎日って、燃費が悪いのではないか」と。

そこで、自分で事業を立ち上げよう!と決意した僕は、不動産デベロッパー働き始めることにしました。しかし、いざ入ってみると構造不況を目の当たりにしてうんざり。
このまま続けていても自分のやりたいことにたどり着くまで遠回りになるな、と感じ3年ほどで業界を離れることになりました。

■そして人材派遣業へ

転職先として選んだのは、ホテルに関連した人材派遣をおこなう会社でした。
いわゆる「配ぜん人」と呼ばれるサービススタッフを、ホテルの宴会場や結婚式場へ派遣する側の会社です。
過去に現場で働いていた経験もあり、転職して2年で東京支店長として拠点の立ち上げを任されることになり、単身で上京。
営業や業務のあらゆることを、ゼロから一人で経験することができました。

そして34歳になり同業種で独立し、株式会社バリュースタッフを設立。
2021年の3月で14期目を迎えます。
フリーター時代を共に現場で働いていた仲間たちに加え、若い世代が活躍してくれています。

■今後のnoteへの投稿について

Twitterでは書ききれない想いや、社内報に寄稿しているコラムなどを綴っていきます。
ジャンルは会社のこと、仕事のこと、お金のこと、脳科学のことなど。僕が得た学びをアウトプットして、またそれを他の誰かと共有できる一つのコンテンツになれば嬉しいです。

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