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キヤノンという会社について

私は去年の12月31日に31年間通い続けたキヤノン株式会社をやめました。
そのあと今年の1月からとある中小企業に再就職しましたが、長年のぬるま湯サラリーマンで染みついた情けなさもあり、半年ちょっとでそこを去ることにしました。
55歳での転職活動でしたが、思うようにはいきませんでしたね。
まぁ、性格上やってみないと気が済まないところがありますので、これも経験の一つだと思っています。

私がなぜキヤノンをこの歳で辞めたのか、それはいくつか理由はあるのですが、一番大きな部分は「この会社は大丈夫か?」と思った部分でした。
隣の芝は青く見えるので、キヤノンしか知らない私が正しく判断できたとは思えませんが、あの時はそう思ったのでした。

しかし今思えば、キヤノンとは(というよりも日本の大企業はかも)サラリーマンにとってはそれなりに良い会社だったのだと思います。
ですから、誰のためになるわけでもないですが、私がキヤノンで過ごした31年間を通して感じていたことを「リスペクト」する気持ちをこめて書きたいと思います。

キヤノンはエンジニアの会社だった

まず最初に私はキヤノンで何してたかというと、エンジニアとして製品開発を主にやり続けていました。
私が入社した1990年はちょうどバブルが終わりそうで、学生の売り手市場最後の年といった感じだった記憶があります。
同期入社が1000人はいたと思います。
そのほとんどが理系学生でエンジニアとして働くことになりました。
当時、キヤノンの事業は大きくは

  • 事務機(コピー、FAX、ワープロなど)

  • カメラ関連(フィルムカメラ、レンズ)

  • 半導体製造装置

だった記憶があります。
その他の事業もあったと思いますが、さほど大きくなかったのではないでしょうか。
また、厚木に中央研究所がまだ存在しており、エンジニアとしてはそこで新たな要素技術を研究するのが憧れでした。
私はカメラ関連の事業部に配属されましたが、とにかく技術を突き詰めている会社というイメージがありました。

新家族主義と三自の精神

何が「新」だか忘れてしまいましたが、入社した時からしきりに「新家族主義」と会社所の上層部から社員に言われてました。
キヤノンの創業者の御手洗さんがお医者さんだったらしく、家族を大事にしましょうという感じから来ていたのだと思います。
また企業理念に「三自の精神」というものがありました。
自発:自分から積極的に動く
自治:自分で自分を管理する
自覚:自分で状況を理解する
という3つを大事に仕事しましょうということだと思いました。
このことから、当時のキヤノンは典型的な日本の企業の色(終身雇用でみんなの和を大事にする)と、個人の力を尊重する味付け(個人の力を重視する)を合わせ持った文化であったのだと思います。

私が身につけたもの

私がキヤノンでの仕事でエンジニアとして身につけることができたことは簡単にまとめると以下のものです。

  1. 特許に関する知識と出願するためのスキル(明細書作成、特許庁とのやり取り、他社調査などなど)

  2. カメラの構造や重要技術

  3. 高品質の製品を大量性生産するためのノウハウ

  4. 他社とのアライアンス、共同開発に関する知見

  5. 技術の標準化、規格化に関するノウハウ、実務

  6. ソフトウェア開発(設計・実装・評価・プロジェクト管理)

  7. 新製品・新規事業開発プロセス

その他には当然、開発を行うために必要な、企画立案、設計、実装、テスト、リリース、保守などに関する実務的なことは当然身に付かせてもらいましたが、特に特許についてはおそらくキヤノンの開発部署にいる方ならみんな頷いてくれると思いますが、それはそれは大変な業務でした。
入社時から年間ノルマがあって、もう苦痛でしかありませんでいた。
若い頃は、「発明なんてそんなに出てくるわけないじゃん」と愚痴を言っていましたね。
でも30年もやっていると、このスキルは気がつくとそれなりに身に染み付いてました。
ありがたいことです。
若い方もぜひ頑張ってスキルを積んでもらえると、将来どこかで役に立つかも知れない代物です。
まぁ、特許についてはその後色々と私なりに思うところもあり、ちょっと真面目に知財戦略については再考した方が良いのではと思うところもありましたが。
あとは、マイクロソフトやAppleなどのITジャイアントと対等に付き合い、技術的な話や標準を作ったりできたことはエンジニアとしてはとても貴重な体験でした。
これも大企業でないとなかなかこうは行かないことかもしれません。今はベンチャーでも技術を持っていれば可能かも知れませんが、確率的にはやはりキヤノンにいたことが有利になっていたと思います。
品質に関するこだわりは半端ない会社ですので、それはそれは開発としては苦労しました。
若い時は「これがキヤノンの信頼につながるんだ!」と先輩方に言われて、なるほどと思いながら評価部門とやり合ってました。でも、この品質についても私は??と思う部分は結構ありましたが、どうにもできなかったことの一つです。

会社のイメージは?

会社のイメージを一言で言うなら、「町工場がそのままデカくなって、世界に打って出た成金企業」と言う感じでしょうか。
町工場ですから、技術にこだわり、その技術で世界に挑戦することは間違ってないのだと思います。
そして立派に一時は「グローバルエクセレントカンパニー」と言われるまでになったのですから。
ただ、私が思うに、いまだに日本の町工場の考え方から抜けきれない部分が根底にある気がします。
例えば、キヤノンの勝ちバターンは、後出しジャンケンでした。
新しいことを先頭に立って挑戦するようなことは苦手(できない)で、どこかが成功のきっかけを見つけた後からもの凄い勢いで追いつき追い越して大きなシェアをとって事業を軌道に乗せてきました。
これはこれで立派な戦略なんだと思います。でもこれからキヤノンが挑戦する分野でもうまく行くかは私には分かりません。

リスクをとって機会を取りに行くよりも、手堅いところにしか投資したくない、といった感じでしょうか。

評価は減点方式?

キヤノンの評価は減点方式だと思います。
何もしないで無難に仕事をこなす事が評価に値するという雰囲気があります。
やるべきポジションの人が動かないことによる機会損失などについてはお咎めなしです。
表向きは多角化や事業ポートフォリオ転換を打ち出してますが、大型買収には大枚を叩いていますが、その後の取りまとめかたが雑で、これからに期待と言う感じです。

御手洗冨士夫という会長

今でもご健在である会長の御手洗さん、彼は1995年から社長、会長を歴任し、今に至ってます。
ご存知のように経団連会長も務めた有名な方です。
御手洗さんが最初に社長をやっていた数年間は本当に素晴らしい功績だったのだと思います。
今でこそ当たり前であるキャッシュフロー経営を取り入れて、不採算事業の整理を迅速に行いました。
当時の社員としてはこの時期は毎年業績が良くなっていて、給与もボーナスもどんどん増えていく感覚があった気がしいます。
キヤノンの給与体系にも関係ありますが、結構30代までは手取りの伸びがよかったです。
それもあり、この時期は御手洗さんに対してマイナスのイメージはなかったと思います。
経団連の会長をやるために会長職を退きましたが、その後返り咲きました。
そこで辞めておけばよかったのに、と思っていた人は社内には結構いたと思います。
ある意味2012年に復活されてからは私は会社としてはマイナスの要素の方が大きいのではないかと感じていました。
私が会社を辞めた理由もおそれくこの辺から来ている課題があるのではないかと思っています。
とにかくここ数年までは絶対的すぎる存在として君臨しているので、もはな誰もどうにもできないといった感じを受けました。

選択と集中

御手洗さんが2000年くらいまでに行った事業の選択と集中ですが、その時点では効果絶大だったと思います。
しかし、その後の会社全体にとっては結構本質的な問題を埋め込んでしまった気がしています。
当時は「選択と集中」は流行り言葉のように使われてましたし、どこでも正しいこととして行われていたのかもしれません。
しかし、最近の研究の中では、見境のない「選択と集中」は企業の競争力を削ぐ可能性があると言われている部分もあるようにこの時期以降、私が入社した当時のような「技術のキヤノン」という雰囲気も具体的な活動も極端に減ってしまった気がします。
利益が大きく出る見込みが出ない技術には人もお金もつけ難い状況に陥っているため、チャレンジし難い会社というイメージに変わっていました。
「選択と集中」は本当難しいです。

私が辞めた理由

そしてなぜ私は55歳で定年まで5年を残して早期退職したのか、それは私の性格と会社の状況がマッチしなくなっていたからだと思っています。
最近のキヤノンでは新しい事業がうまく立ち上がりませんでした。
私は新規事業開発の部署でそれなりのポジションで働かせていただきましたが、全然状況を打開できる気がしませんでした。
一緒に頑張ってくれていた仲間はいっぱいいたのでとても悩んだんですけど、年齢を考えると別の環境でやってみたくなってしまいました。
私に能力と力があれば、それでもそんなキヤノンでもっと偉くなり、やりがいのある仕事ができたのかもしれません。
しかし残念ながら私にはその力がありませんでした。
かといっておとなしく「こんなもん」と諦めて仕事をこなす残り5年を過ごす潔さもなかったのですね。
生じっかキヤノンでの31年でそれなりに変な自信も付けてしまっていましたし、もっと他の場所で自分の強みを発揮できるのではないかと夢想してしまったのです。
まだ全然諦めてはいませんが、転職もうまくいきませんでしたし、世の中の厳しさと自分の甘さは再認識している状況です。

これからのキヤノンに期待すること

私がキヤノンを辞める時、カメラもジリ貧で利益率もガタ落ちでした。
スマートフォンに押され、稼ぎ頭の1つになっていたデジタルカメラも先行きが見えない状況だと思っていました。
プリンタ関連も今後大きく改善するとは思えませんでしたし、取り組んでいた新規事業も思い通りに進んでいる気が足ませんでした。
それに見切りをつけたというところもあったんです。
しかし、その後すぐにまたもや神風が吹きました。
コロナ禍となり、テレワークが一気に進み、プリンタの需要がすごくアップしたようです。また、デジタルカメラも思ったほど売上が落ち込まず、むしろ利益は改善しているようです。
考えてみると、日本だけでも2万人以上の社員を抱えている企業が十数年前からほぼ変わらない事業でいまだに高利益を弾き出せているという事実を見れば、キヤノンという会社はこのままで良いのかもしれないと最近外から思ったりもします。
既存事業が落ちてきており、先行きが明るくないからといって、何も無理くり新しい事業を立ち上げたりしなくても、残存者利益をしっかりと確保しながらお金の使い方をマネジメントしていけば良いのかもしれません。
でも、31年前に私が参加した時のキヤノンには、エンジニアにはとても魅力的な文化と雰囲気、仕事内容がありました。
今の若いエンジニアがそのような環境にあるのかどうか、もしそうでないのであれば、ぜひもう一度そんな会社になって欲しいと思います。

もしかしたら日本の企業が元気がないのは、この辺りの要素が関係しているかもしれません。キヤノンだけではなく、いろんな企業で少なからず同じような変化を迎えているのではないでしょうか。

私は、今は一個人となってしまいましたが、少しでも日本企業が元気になれるように関わっていけるように努力したいと思っています。


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