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母の物忘れ検診に付き添ったら自分や息子のルーツに触れた気がした話(その1:受診する迄)

母の物忘れ検診。母は上京したてでかかりつけ医もいないため、地域包括支援センターで相談し、紹介された専門的な病院でやったため、色々と詳しく見てもらえたきがしています。備忘録とその気づきも含めて、まとめたいと思います。

そもそも、検診に行こうと病院に予約したのは12月中旬。しかし、一日1名しか新しい患者さんを受け入れていないため、1月の中旬に受けることに。こんなに、先になるものだとは、予想しなかった。。。

そして、前日にも「根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だ。。。」と言い出した。しかし、私は、12月に、母に対してなにかしてあげたいけれど、何をしてよいかわからなくなっていた時期に、生前整理アドバイザーのサイトでメール登録してもらった「問題解決シート」で、私の心配の根本は「母の状態がちゃんと把握できてるかわからないこと」だった。

一人暮らししたい。
働いて社会と繋がりたい。
やり残したことは、子どもたちを美術を通して元気づけること。

と言っているので応援してあげたい。

しかし、この二ヶ月間、毎日見ていると、体調のアップダウンが激しく、私が介入しないと普通の状態に戻せない。という印象だった。

また、物忘れが酷い。ロジックがおかしい。勘違いをしている。ことがかなり気になっていたし、「え?!」とおもうことがたくさんあった。

そして年末に、クロスワードや絵の間違え探しにハマり、脳活ドリルを一緒にやっていくと、この物忘れ外来を受けなければいけない。という気持ちは、確信に変わっていった。

簡単な指示文も、やっている最中に忘れてしまう。また、問題の意図が理解できないことが何度もあり、足し算やお財布のお金を数えるものも、ほとんどできなくなっていた。。。

なので、前日に「行かない。」と言われても、私の中には「行く」という選択肢しかなかった。しかし、強制して連れて行くというのは、今後母との関係を考えるとありえない。なので「無理にとは言わないけれど、一人暮らしすることや働くことを今の状態を見てたら、私は不安でしかたないのよ。もし、行かなかったら、私は誰にアドバイスもらっていいかわからない。もし、私が心配しすぎだったね。で終わるなら、それでいいから。。。」と素直に思っていることを伝えた。

そうしたら「じゃぁ、amilieのために行く」と言ってくれた。私は朝になって気が変わってるかも。と不安だったが、当日、息子の保育園送ったあとのバタバタするスケジュールに合わせて起きてきて、準備を進めてくれた。

当日は、私の母に関する時系列に書いたメモを持参し、保険証を渡す際に、一緒に病院の受付に渡した。

メモには、母が、一年前の娘の出産前に手伝いに来てくれた時点で「うつ」のような状態で、引きこもりがちだったこと。話しているロジックがおかしかったこと、耳が遠くなったと感じたこと。今年の10月に生活保護の申請をしていたこと。家がゴミ屋敷のようになっていたこと。年始には、脳トレのドリルで、問題の理解ができないこと。お金の計算などができてないことなど。。助けになるかわからないけれど、気になったことを羅列した。

また、初診なので問診票の記入があった。母に記入してもらったのだけれど、今回の目的は「お腹の不具合」となっていた。また、物忘れの自覚症状も、私の把握しているレベルとは違うけれど、一応ほぼ一人で回答、記入できていたので、受付に持っていき「私が把握している状況とは違いますが、本人が回答したので」と受付の人に伝えて提出した。

その後、看護師さんがやってきて、内容の確認と追加で質問があった。

「あなたは、何人兄弟で、何番目ですか?」という質問から、上から「男、女?」と言って、目の前で書き出していき「生きている?」という確認があった。

そして母は、5人兄姉なのだが「7人」と答えていた。また、上のお姉さんが亡くなっているのだが、亡くなった年が「30代」と答えてビックリ。少なくとも60近くにはなっていたので、思わず突っ込んだり。。やはり、親近者の記憶に残りやすい事柄ですら怪しくなっている。と実感した。

子供の年なども、答えられず。。。そんな感じで、先生の物忘れ検査までの時間を過ごした。


まさかの、本番の物忘れ検査に入る前までで、長くなってしまったので、今日はここまでとします。

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