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価値観の異なる人と一緒に楽しむコツ

コロナ禍も2年めに入り、ニュースをみていると、全体を俯瞰した上で意見を述べるのではなく「自分の立場でわからないものは全て受け入れられない」といった偏重的な見解を目にすることが多くなった。

確かにこれまでの環境と比べ"常識"や"価値観"が大いに変わったが故に、今までの経験則に基づいてある意味「思考をサボって」生活できなくなり、ひとつひとつの事象に新しい学びと自分の意見を明確に出すことが求められる時代となった。毎日生きるのにより考えるエネルギーが必要となったので、偏った意見がでるのはある意味仕方がない。

が、バルトはクリエイティブで成長できるフィールドをつくることがテーマ。

「いろんな人がいていいじゃないか!そのほうがおもしろい!」

今回は、多様性を受け入れ、充実した生き方につながる思考法をテーマにお話しできればと思う。

多様性を受け入れるための思考法

自分とは異なる意見が出てきたときに、人間はどのようなプロセスで判断に至るのであろうか。

例として「緊急事態宣言中に店舗を開ける飲食店がいるのは仕方がない」
という意見に対してどう考えるかというケースを考えよう。

Aさんは、自分の価値観でルールを守ることは当たり前だという指標だけで判断し、
「店を開けるのなんてありえない!」
とすぐに反発した。

かたや、Bさんは、従業員の雇用を守る、地域のインフラを守るなどの店舗を開けざるを得ない飲食店の事情について情報収集し熟考した上で
「今回のケースであればわかるなぁ、他にも困っている店舗ないかなぁ」
とより深く考え始めた。

この2名で何が違ったのだろうか。
Aさんは「自分が理解できないものは同意しない -> 自分の常識だけで判断する」という流れでコメントし、Bさんは「自分が知らない背景を理解しようとする -> そこから俯瞰して情報をまとめ判断する」という流れでコメントした。
つまり、自分が理解できないことに対するアプローチが異なったのだ。

「理解」と「同意」の違い

一般的に"理解"と"同意"を混同して使用する人が多いので、それぞれのもつ言葉の意味について調べてみよう。

「理解」とは

人の気持ちや立場がよくわかること。
(Oxford Languagesより引用)

「同意」とは

意見・求めなどに対して賛成・承諾すること。
(Oxford Languagesより引用)

「理解する」は相手の立場や状況からどうあるかを知る、知ろうとすることであり、客観的。
「同意できる」は自分が納得できるかの主観、共感であり主観的。

つまり、相手の意見について理解しようとする真摯な姿勢と、理解できるが同意はできないという中庸なゾーンを自分に持つことが、自分と異なる価値観と向き合うのに必要なものなのだ。
誰とも関わることなく一人で生きていくには必要ない。
が、社会の中で生きていく以上、一般的にお互いを尊重し、認め合うとはこういうことではないだろうか?

クリエイティブなフィールドであるために

おもしろいアイディアが生まれるフィールドではメンバーみんなが同意し合う必要はない、ただ、理解し合うことなしにクリエイティブではあり得ないと思う。

自戒も込めて。

考えてみよう

・コロナ禍以降、自分の中で変わったなと思う価値観は何だろうか。
・AさんとBさんのどちらに、よりたくさんの人が集っているだろうか。
・常に、相手の状況を理解しようと努めているだろうか。
・今まで同意できなかったものについて具体的に3つ挙げ、
 改めて「理解」と「同意」について自分の意見を整理してみよう。

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