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商品別原価を出すには時間の概念を変える必要。

一粒の米の原価

 東北地方太平洋沖地震から12年を記念し、被災地産の米を買い込みました。
 通常は5kgを1包ですがこの度は2kgを2包。
 割高になりますが変化を愉しめるのでコスパが良い。
 通常は秋田小町で、一目惚れは時々、銀河の雫は初めて。
 銀河の雫は細やかな張のある味でとても気に入りました。
 基本的に粘こい米は好かず、秋田小町もすっきりと端正な味なので通常の指定銘柄なのですが銀河の雫はもっと高級感がある。

 さて、米の一粒当の原価は何ぼか?
 この記事はそういうお話です。

 米などの農産物は生産の時間が24時間です。
 故に、「24時間戦えますか?」という栄養剤の宣伝文句は農業には当てはまります。
 そういえばそうだねと分かり易いことですが、真逆奴隷制を支持するのかなどと思う方もおられるかもしれません。
 そもそも奴隷制はさほどに過酷でも反人権でもないのでその廃止にこだわるとか現代の非難すべき企業を奴隷的とか、卑屈な人をして奴隷根性とかいうのはちょっとお馬鹿で困るもの。
 それはさておき、農業の生産時間が24時間といって真逆と思うのは生産とその時間というものを人を本位にして見るからで、生産とは生産なのだからその時間も物を本位にして見れば「辺り前から暗か。」にそうだと分かる。労働は人が本位なので、彼は生産と労働を分けて考えていない、労働時間を生産時間だと思っているということになる。すると幾ら労働の短縮や軽減を考えても生産が変わらなければどうにもならないずるずるべったりの蛸壺論議に終始するのが今時の日本。
 イスラエルなんかは種を蒔くといえばほんまに種を豆撒きのようにがっつりつかみ取り畑に撒き散らすだけで、いわば究極の生産性です。日本の節分の豆撒きもそれが由来ではないのかとも思うです。

生産と労働は別事。不毛な論議(国民の無駄な会議)を続けないためには。

 実際に農業が一時間辺の原価計算をするかどうかは知りませんが(一日当ならよくあるかも。)若しそうするなら一日当の原価÷24ということになります。恵方巻を24等分する想像図です。
 そこでの農家と農奴の労働時間が3時間の場合、その時間当の支払賃金(人件費)は日給÷24です。
 それを日給÷3=時給だというと蛸壺論議になります。

 商工業もそれと原理は同じです。
 しかし商工業はコンビニエンスストアなどの極一部の業種を除き農業のような24時間生産ではなく多くはその三分の一程の生産時間です。
 故にその時間当の支払賃金(人件費)は操業が8時間なら労働時間を問わず全て日給÷8です。
 因みにそこでトヨタ用語の工数という単位を持ち出すとややこしくなるのでここでは労働時間と呼びます。

 すると、人件費だけではなく固定費や販売一般管理費も全てその8時間に掛かる費用として配賦ができます。
 例えば電気代。電気を10時間使おうと12時間使おうと、雨が降ろうと槍が降ろうと、それは8時間の操業に掛かる費用です。故に1時間当の電気代は10時間使っても÷10ではなく÷8です。
 終業後に掃除を30分したら、そのための用品代や人件費などは30分で何ぼではなく8時間で何ぼになります。そこを30分なら30分分と考えると商品原価は出ないことになります。
 尤も時間が掛かり過ぎれば疲れるので困りますが、時給が1000円の人が時間外に30分する場合は625÷8=78円が原価の超過額になる。
 それが20分なら417÷8=52円が原価の超過額になる。
 全ての費用は8時間操業なら働く時間を問わずその8時間に遣われるのです。何でかいえば、商品はその8時間の間にしか発生しないからです。
 故に、労務費だけではなく全ての人件費は商品原価を構成する訳です。

在庫費用という地雷

 それが分かると、在庫による在庫損失についても蛸壺論議の空理空論としてではなく現実の数値として捉えられます。
 在庫損失を知るために在庫の滞留の時間を計っても何も出ては来ません。倉庫の電気代は在庫がある時だけではなく在庫がなくても同じように掛かるのです。家の冷蔵庫にしても同じです。
 滞留の時間の計測把握はそれそのものは意義がありますが原価に係る事柄ではなく生産管理に係る事柄で、分野が異なります。
 滞留時間が若し三倍になったら在庫損失もその部分だけで凡そ三倍程になるだろうという予想はできても現実の数値にはならない。
 故に、在庫の滞留もそこに掛かる全ての費用を操業時間の8時間で割ればすとんと出る。倉庫に置いてある品物は全て8時間の生産時間を通って出て来たものなので、それを過ぎてもその8時間に従属し続けるからです。

 ではその8時間にぴっしり8:00′工程の作業をするのかというと、そうではありません。 
 先程に30分の残業で掃除をするという話をしましたが、それも必ずしも悪くはないものの、8時間の内にちょろちょろと掃除をすることが望ましい。
 そのためには設備をその都度止めることを要します。
 起動電力のやたらと大きな設備ならそうちょろちょろとはできませんが大抵の身近な設備なら余分に掛かる起動電力は後で掃除をすることに掛かる費用よりはるかに少ない。
 仮に30分の残業で掃除をするのに1人1時間当の超過原価(前出)が100円になったとします。
 若し500人で1時間に50台を製造しているなら、1台当の超過原価は1,000円増すことになります。
 車が一台で千円増というと如何にも小さく見えるかもしれませんが5人で50個の何かなら1個当100円増で、大抵の生活用品なら即倒産です。
 しかしそれを操業時間内にちょろちょろとすれば原価の低減になります。

 操業時間内にするということだけではなく業務を自社内でするということも必要です。
 今世紀に入り逸り出した委託業務、outsourcingは人件費を含む費用の節減に役立っているかのように考えられています。
 そのような例も少なくはないのでしょうが、委託のもたらし得る虞はそこで節減される費用より大きいと見るべきです。
 その最も虞の大きいものと考えられるのは原価管理を含む会計や財務です。
 藪会計屋なら尚更ですが適切で有能な会計屋にしても、事務は完全に確りとしてくれてもその考え方を教えてはくれない場合があり、仮に教えてくれても自社がその考え方を共有できなければ改善にはつながらない。
 会計屋が言っていなくても経営者が「給料分の働き」などという原価や生産性とは無関係な迷信を云っているならば、会計屋にとっての自社は都合の好い銭蔓に過ぎなくなります、「給料分の働き」とはまさに先述の、農業の1時間当の人件費は日給÷3というようなものです。

時給という観念は捨てるべき。そもそもお宅は人事の経験があるの?

 1時間(1工数)当の人件費は時給ではなく、常に8時間なら8という同じ母数で割る時間単価という数値で測られます。実績労働時間と相応の支払賃金額が変わらなければ時間単価は一定ですが変わると変動します。
 なので10時間働いたら÷10とか6時間で終わったら÷6とかではありません。但し計画外残業ではなく計画残業なら工数の過不足分を母数に含めるという考え方もできます(それが先述の、工数という概念を原価の事柄に持ち込むと取り敢えずはややこしいということです。)。
 時間単価は時給とは異なる概念なので、基本的には時給との比較には用いません。そもそも時給を計算することは時間内外での差もあり面倒です。
 時間単価は、というか大抵は何の数値もそうですが、変動の傾向を把握するためのもので絶対値には特に意味はありません。例えば構成員各位の時間単価の変動の偏差が著しく大きいとか小さいとかいう場合は何か問題が生じているのではないかと推測ができます。
 絶対値に意味を見ようとすると、「給料分の働き(をせよ)」や「働いている分の給料(をくれ)」というようなお馬鹿な論議になり易くなります。
 そういうお馬鹿な数値の使い方の例がこれ:

 それについての私の引用リツイート:

 私は当時も今も民主党(現:国民民主党)を支持していますし今は立憲民主党に移られている岡田さんには当時は総理になってほしいと思っていました。
 しかし言語能力と数値に関わる感覚があまりにも買物籠にヤマザキパンで駄目過ぎ、義務教育さえ受けていないのではないかという感じと結論づけました。
 1時間に1500円は働いているのだからそれだけくれ。
 しかしそんな論理では御前の値段は1500円にもならない、仮にそうなったとしても1500円しか払わないと永久に云われ続ける世界にしか暮らせないでしょう。
 何を根拠に1500円とか云っているのか?1600円では駄目なのでしょうか?:どうも駄目だ、1500円でなければならないのだというようです。

  トヨタ生産方式は数値を使えと云いますが、岡田さんのように見聞きした数字を片端から並べれば良いというものではありませんね。
 光の速さは秒速三十万kmというのも同一慣性系ではということで、そこからどう考えたら時速千五百円というような話になるのでしょうか?、WAONカードの通信速度とは違いますねんで。
 重ね重ね言いますが、千五百円でなければならないのですか?千六百円では駄目なのでしょうか?
 仮に千六百円になったとしても、千五百円と云っている方々は自らの要求に反して百円高くなったので、その価値を一ドル当150円にも200円にも吊り上げるウルトラアベノミクスの世界になるでしょう。

 人事の経験のない方が人の賃金や働きを云々してもどうにもならないようで、任命責任は国民にありますということですね。ジューシーで御飯が欲しくなりますね。

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