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広告宣伝の一流二流三流

 広告の英語はadvertisementで、キリスト教の宣教(伝道)もそれと同じ語源。
 宣伝はpropagandaで、ロシア語に由来。
 日本の片仮名語ではプロパガンダといえば諜報を用いる政治宣伝、それも悪意的なるものという意味合いが専らですが本来は商業宣伝、行政宣伝や有志活動の宣伝もpropagandaです。
 それらを総称して広報、public relations, PR.

 広告宣伝を極めて広く見れば画像だけや音だけでもそうで、例えばたった今ここの外に鳴る救急車のサイレンも広告宣伝の一種です。それにより救急車と救急医療というものの存在を公に報せるからです。
 しかし普通は広告宣伝といえば画像や音を用いることが多々あれど、その中核をなすものは言葉で、言葉のない商業広告や行政広告はほぼほぼあり得ません。
 このお話は広告宣伝の言葉を中心に考えるものです。

 それを一流の人間はどのようにするか?
 それを二流の人間はどのようにするか?
 それを三流の人間はどのようにするか?

 ここで先ず、一流、二流と三流の定義につき大雑把にお浚いしておきます。
 お浚いというのは、私のこのnoteの過去記事にもそれにつき何度か言及しているということです。

 一流とは優れる者であり且つ優れようとする者のことです。
 二流とは三流にはなりたくない者のことです。
 三流とは優れる者になろうとは思わず生きておれれば良いという者のことです。

 それを先ず踏まえないと、三流よりは二流が良いということになってしまいます。

 宣伝広告にもそれら一流二流三流というものがあります。
 宣伝広告というような分野ではなくても、人間はhaving relations to the publicを必要とするものなので、宣伝広告を通しても生き方を考えることができます。
 但し雇用市場におけるいわゆる自己PRというものには何の意義もないので注意が必要です。

 🟠三流は一言に気合いを込める。

 🟠二流は一言二言を加える。

 🟠一流はどんな場所での一言かを考える。

 場所ということで最も分かり易い例は鉄道です。
 鉄道とは一定の軌道と動力装置を用いて人々を運ぶ機関です。
 一定の軌道を持つので、鉄道は固有の場所を長期に亘り継続して占有します。故に鉄道という場所が形成されます。

 ということで、次の記事には(「CMの後で、」みたいで嫌味くさいかもしれませんが、)主に鉄道広告から広告宣伝の望ましいあり方、延いては人間の生き方につき考えます。

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