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ジョンステュアートミル『功利主義/Utilitarianism 』を読む。その2:功利主義はプラグマティズムではない。

 功利主義の英語はutilitalianismまたはmeritocracyです。
 Utilitarianismはミルの著した英原語の題名で、その日本語訳をどうするかにつき岩波文庫は効用主義がより原文に忠実だが効用は功利とも言うので功利主義との訳を敢えて取ったと解説します。
 Windowsの画面によく出る語句に‘(The process’s) successfully completed.’というのがありますがそれは‘It’s completely utilised (by the process).’ということでもあり、両者の意味はほぼ近接です。
 効用はどちらかというと物の状態が主体になる語ですが功利はどちらかというと人の意思が主体になる語だといえそうです。
 西洋はミルの英国を含めどちらかというと物事を物を中心に見る伝統が強く、東洋は岩波の日本を含めどちらかというと物事を人を中心に見る伝統が強い。
 なのでともすればとにかく安倍が悪い/安倍さん負けるなということにもなりがち。実に下らない。

 日本においてmeritocracy、功利主義の第一者となったのは田中角栄総理です。
 そのことそのものについてはあまり多言の説明を要しないほどに有名な話です。
 それが今も通用するかはさておき(違う形でなら通用すると思われます。)当時において最大多数がそれを最大幸福と信じて彼を功と利のある者、即ち効用をもたらした者と見做したことは確かです。

 しかし、彼の失態のどさくさに紛れてその後の日本に流布したのは功利主義ではなく功利主義をpragmatisimと誤訳するいわゆるネオリベの方々による本地垂迹的日本主義でした。ネオリベは同時代に世界に普及した新自由主義とは何の関係もありません。
 岩波文庫の『功利主義』のどこにもpragmatism, プラグマティズムというものは出て来ません。
 プラグマティズムそのものは必ずしも誤りではなく一定の意義があります。
 しかしプラグマティズムと功利主義を混然一体となす日本主義は明確に誤りです。

 pragmatismとはpracticalを(auto)maticになすismということで、若干の説明的翻訳になりますが既成事実主義ということです。
 既成事実主義は『武士道』の新渡戸稲造にも限定的に見られるもので、既成事実、既にそうなっている状態や状況を絶対的基準とする哲学です。
 新渡戸が限定的というのはそれが過去と現在における認識としてであり、現在と未来のための認識ではないということです。寧ろ新渡戸は現在と未来については楽観的に過ぎはしないかというほどに当時に失われて来ていた武士道というものに日本と世界の希望を託しました。
 尤も、pragmatismの多くは大なり小なりそのように、既成事実の継続を現在から未来に永久に望むものではないとします。
 近年によく政治の界隈に聞かれる「力による現状の変更を許さない、」という言辞は力にはよらなければ現状を変更してもよいという意味にも取れますがしばしばあらゆる現状の変更を許さないという意味にも取れてしまう場合があります。そうなると既成事実の永久的継続を望む原理主義的プラグマティズムということになりますがそれが日本には結構支持されているようです。
 その原理主義的プラグマティズムは一方では世代間の対立と分断を先導的に助長しながら他方ではそれを批判し、日本と世界は分断を超えて一致しなくてはならないなどと白々しいことを云います。安倍が悪い/安倍さん負けるなという闘争はその細部のこだわりを競うものでしかなく大筋ではどちらも同じ、あらゆる現状(status quo)の変更を許すなというシュプレヒコールの波なのです。

 既成事実さえ、それが安定して保たれるためには多少の現状の変更を要するものです。
 しかし「安倍では現状が変更される、」、「安倍さんなら現状を変更しないでくれる、」という空中戦がこの十年に亘り平気で展開されて来たのです。

 新渡戸は武士道が甦ることを決してこの国が武士道で一致するべしなどと考えていたのではないことは彼が武士道は士族という階級制に支えられていたことを重要な点として言及していること、またその大衆化を非難していたことからも明らかです。
 しかし彼は武士道の他にこの国に併存するものとして重んぜられるべしものが功利主義だという結論とその道筋には効用を見出しませんでした。それ故か、彼の過去と現在についてのプラグマティズムが後世のこの国において現在と未来にまで延長されることとなってしまったのでしょう。
 残念なことに、ミルも陟々言及するように、新渡戸が信仰したキリスト教にはその福音書の初めから功利主義的特質が見出せますし、キリスト教会は二千年余り、重ね重ね神の国と呼ぶ功利、最大多数の最大幸福を推奨して来たのです。

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