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かつて一番住みたい町だった鷺沼が三十年経って来て見てもやはり素晴らしくて再び一番に急浮上。

 手術から丁度半年での最終診察。自分への快気祝に、病院と程近い川崎市宮前区の鷺沼に来ました。

 手術とは頸部に出来て二十年ほどそのままにしていた粉瘤――皮下に部分的に溜まる脂肪の塊。術後に試験管に収められたその塊は衝撃的というか綺麗というか…――の切除で、形成外科の職掌。

 脂肪を取り除いて脂肪を摂るという験を担ぐことも兼ね、最近にカップ版が出ている川崎のソウルフードこと元祖ニュータンタンメンをお目当てにバスで十五分程。
 鷺沼駅の南出口を西へちょろっと行くと鷺沼にもこんな所があるのか笑というような小さな横丁があり、そこにあります!ニュータンタンメン。
 同じ西川崎の中心新百合ヶ丘にはそういう所は全くありません。鷺沼と新百合ヶ丘は関東一の両雄という感じですが鷺沼は平成へそして令和へと完全に変貌を重ねている新百合ヶ丘と比べるともう少し旧い趣というか、昭和の味を感じさせる町です。
 新百合ヶ丘はあらゆるものが新しくなっている分これから当分は変わらないだろうという感じがしますが鷺沼はまだ旧いものがより多く残っている分これからの新しい変化もありそうな感じがします。いわば政治に擬えると新百合ヶ丘はやや左で鷺沼はやや右。私は昨年末から右をやめて左に転向していますが、そういう右らしさはこれからも捨て去らずに大切にしたいです。

 ――処が、ニュータンタンメンの開店は18時。その時は13時。5時間も待てないということで、代りに上海料理の松栄菜館に。

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 そこも昭和の中華屋の趣を色濃く残しています。

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 昭和的中華屋の私が他に特に美味しいと感じたのは近鉄小阪駅近の店。鶏が柔らかいのにこしがあり、漂う香りも絶妙でした。
 その鷺沼の松栄菜館では松栄特製そば――:写真――。小阪の店――多分広東料理系。――は酸味が利いていますがそこは甘味が深い。そもそも上海料理(中:上海菜)はおしなべて砂糖などによる甘味を重視する味といいます。

 改めてニュータンタンメンに来る時には松栄菜館とのダブルヘッダーになるかもしれません。川崎でダブルヘッダーといっても10.19ではありません――私はその時に選手達がテレビジョン受像機の前で胴上げをした西武ライオンズのファンです。――。

 病院と鷺沼駅との経路にある尻手黒川道路の清水台~宮前平の辺りも昭和感の強い町並み。往時からの、発展してゆくぞ、豊かになってゆくぞという期待と気迫が地縛霊のように漂い、見通しも晴れやかに真直ぐに伸びる道。――これやねん。

 そんな鷺沼と川崎市宮前区、私が中高生の頃は将来に一番住みたいと思っていた町です。今を遡ること三十年前、平成初年の頃。
 大学生になり社会人になるにつれ、やはり関西が好いということで私の住みたい町は関西勢がほとんどを占めるようになりましたが、関東に再び住むようになり、関東に住み続けることを前提とすると近年は川崎市麻生区が一番でいましたが昨日に鷺沼を久々に訪れて三十年振りに再び川崎市宮前区が一番に急浮上。以下、横浜市港南区、港北区や藤沢市など。
 宮前区や麻生区は関西的なるものが随所に感じられ、そこなら関西に還れなくても良いかなと思うのです。

 三十年振りではないけれど久々に来た鷺沼を見、いくつかの他とは明確に違う点を見つけました。

 ・鷺沼の人々はコロナウィルスの流行の時にあってもマスクをしない。
 ・鷺沼の人々は整列乗車をしない。
 ・鷺沼の人々は顰め(しかめ)面をしない。
 ・鷺沼の人々は我先に行こうとはしない。
 ・鷺沼の人々は糖分物の買込をしない。

 :それらを鷺沼五原則というのかどうかは分かりませんが、今時はなかなか見受けられない特徴。
 個人毎に見るとそれらの鷺沼五原則にあてはまる人は他の地にもいないことはありませんが鷺沼は個人だけではなく多くの人がそうなのです。

鷺沼の人々はコロナウィルスの流行の時にあってもマスクをしない。

 ざっと見渡すと、マスクの着用率は六割ほど。
 四割ほどの人々はマスクをしていません。

 一応は着用者が過半数なのですが、他の地域と比べると群を抜いて低率。
 同日に通った同じ東急田園都市線の終点かつ小田急江ノ島線の中央林間駅は八割ほど。それも比較的低率。
 新百合ヶ丘駅は八割五分で多摩中央(多摩センター)駅は九割以上。

 色々な意味で衝撃に感じる方が少なくないかと思われます。
 鷺沼といえば東急田園都市線の高級住宅地だべ、そこに住む人々がこんなコロナウィルスのさ中にマスクをしないなんてあり得ないべと思うかもしれませんが、そうではないのです。
 別に、私が新百合ヶ丘駅前の薬屋でマスクを買おうかと思ったらなかったので逆恨みをして居直っている訳ではありません。病院に行くならマスクが要るだろうかと思い探してみたらどこにもありませんでしたし病院の売店にもありませんでした。

 一つありそうな理由は鷺沼は人口の多さに比べ薬屋やコンビニが少ないのでマスクを買いたくても買えない人が多いということ。しかし同じ理由が高層住宅等が広域にずらりと並びバスがないと買物のできない新百合ヶ丘にはもっと当てはまる筈なのに新百合ヶ丘はマスクの着用率が八割五分ほどで、どうもそうではなさそうです。
 その真因は:鷺沼の人々は顰め面をしない:ということとも関係があるかと思われます。ということで、続は次の次の項目に。

鷺沼の人々は整列乗車をしない。

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 乗降客の少ない駅は大抵は整列乗車をする人はあまりいません。例えば小田急多摩線の永山・多摩中央を除く各駅がそうです。起点の新百合ヶ丘駅は乗降客が多いですが永山・多摩中央駅と比べると整列乗車をする人は少ない。永山・多摩中央駅は客の少なくなる昼時にも乗車口の標示の地点に並ぶ人がおり、朝時は階段の前にも並ぶ人が多くいて階段を塞いで平気で突立っています。自分が今どこにいるのか、周りが見えないのか、そして鉄道業者もそういう状態を考えないのかと不可解です。
 階段の前ではなくても、整列があると乗場の通路が塞がって歩きにくくなります。
 そもそもマナーというものは譲り合うことなのですが、整列乗車は先に来た自分が先に乗る権利があるのだということで、譲り合いの心ではなく、マナーといえるような代物ではありません。しかもそのように他の人々の通り道を塞ぐならマナーというものをなくそうとすることとしかいえず、極めて醜悪な風習です。
 ツイッターを視てみると、そのような観点から整列乗車を批判するツイートが案外多くあり、分かる人もいるのだなと思います。逆に整列乗車を支持するツイートはいわゆるネットで袋叩をするような感じのものが多いです。

 自分への快気祝の食事と買物を終えて鷺沼駅で東急電車に乗る時に、ほぼほぼ整列乗車をする人がいないことに気づきました。
 鷺沼駅は乗降客が一日に六万人の大きな駅で、田園都市線の全ての列車が停まります。
 昼時だからということもあるかもしれませんが、他の多くの大きな駅は昼時にも整列乗車をする人が多い。
 稀に乗車口に並んで待つ人がいても、周りを見ることもなく突立って乗車に備える態勢という感じではありません。
 そうなるのは鷺沼の土地柄だけではなく、鷺沼駅の乗場がやや狭いという物理的要因もあるでしょう。狭い所に整列があると通れなくなりますし後に並ぶ人は線路に落ちてしまいます。
 しかし鷺沼駅と乗場の広さがほぼ同じほどの昔の小田急成城学園前駅――今は地下乗場になり広さが増している。――はその狭さでも皆が整列乗車をしていました。
 マナーとは譲り合いであるなどということを知らずに金と知名度だけで高級な住処を得た成城人とそういう基本から知って高級な住処を得た鷺沼人の明確な違い。

 近年に問題になっている駅の乗場における軌道敷への転落事故、その対策として乗場扉が設けられていることは否定しませんが、その原因は乗場扉がないことにあるのではなく、整列乗車にあります。自分が先に乗る権利を「合法的」に得るために周りがどうなっていてもひたすら突立って並んで列車を待つ。
 特に階段の近くは、整列乗車があることによりそこを通るために乗場の縁を歩かねばならず、そうなるとそこを踏み外して転落する可能性が増したりします。階段の近くではなくても、列の後ろが反対側の縁の辺りに達しているとその後ろを通るためにそうなってしまいます。
 いつも電車に乗っていて・電車を動かしていてそういうことに気づかないのか本当に信じられないです。

 また、整列乗車はウィルスの感染の可能性も増します。
 鉄道業者等は整列乗車を一日も早く廃止してほしいですし、客の皆さんも鷺沼に倣い整列乗車をやめることを奨めます。
 因みに東急田園都市線は駅により土地柄がかなり違うので、田園都市線的あり方とか東急沿線的あり方というようなものはありません、勘違いしないで下さい。多分、三軒茶屋や二子玉川は成城学園前のような頭の弱い方々が多いでしょう。石原慎太郎東京都知事なども、そういうことをあのブルゾン記者会見で云ってくれたら良かったかと思います。

鷺沼の人々は顰め(しかめ)面をしない。

 ただ、石原知事は顰め面が多いでしたね。

 表情というものは半ば無意識に、半ば意識的に出来るもので、自分の表情にはなかなか気づきにくいものでもあります。

 その後を継いだ猪瀬直樹知事や舛添要一知事は石原知事よりももっといつも顰め面でした。
 今の小池百合子知事は穏やかな笑を常としており、具体的政策についてはよく分かりませんが東京都政の雰囲気はかなり良くなっているのではないでしょうか。神奈川県の黒岩祐治知事も穏やかで緊張感のある笑です。

 顰め面は二流の証ともいわれます。
 『面接の達人』で有名な中谷彰宏氏もそれをいくつかの著書に説いています。
 穏やかな笑顔、それはにやけ笑やへらへら笑とは違います。
 石原知事はにやけ笑でもへらへら笑でもありませんが、石原さんの真似をしようとするとにやけ笑になるでしょう。何でかというと、石原さんの笑いはにやけでもへらへらでもないけれど、自分が特に快感を覚える時に表情を変えて笑うという点ではにやけやへらへらと同じだからです。小池さんや黒岩さんにはそのような随快感性の言動の変化がなくていつも安定しています。

 鷺沼の街を往く人々を見ると、小池知事や黒岩知事のような安定して穏やかな笑を蓄えている人が多くいました。「笑を湛えて」と言わず「笑を蓄えて」というのは、「湛える」というとそうしているつもりになるだけの人が少なくないと思われるからです。または、所詮は自分はそんな風にはなれないと思う人も少なくないでしょう。

 笑を蓄えるには、腹の強さと心持を良くするような日頃の学びが必要です。ここで「学び」という意識高い系紛いの言葉を遣うのは運に任せて「学びを得た」とか「気づきを得た」と思うのではなく、得ようとする絶えざる心掛けが大切だということでしています。

 新百合ヶ丘の人々も顰め面ではありませんが全くの素の表情、いわゆる無表情な人が多い。尤も、その位が最も手取り早く自分を改善して目指せる姿でしょう。まずはその位までは。自分の表情は自分には見えないものなので、下手に良くしようとするよりは無表情が良いのです。
 多摩中央の人々は残念ながら顰め面が多い。総じて良い土地柄の町ですが駅前のスーパーマーケットの客層――大改装されてからかなりましになってはいるけれど、それでもまあ酷いもの。――にその典型を見るように二流な人がここ南多摩地方の内比較的に多い。

 鷺沼駅前の横断歩道にいた五十代と思しい人が化粧込みとはいえとても瑞々しい表情と肌質なのを見て今年で45歳になる自分も齢を取ることの恐怖が和らぎました。

 笑うと免疫力が高まるということは医学的にも有力な説です。
 しかも随快感性のにやけ笑やへらへら笑のような瞬発的笑いではなく、地味でも常に笑を蓄えていると笑いによる免疫力は継続するでしょう。鷺沼人はいつも地味に笑っているのであります。
 それがこのコロナウィルスの流行にあっても鷺沼人のマスクの着用率の低い最大の理由と考えられます。

 地味に笑顔を蓄えるためには、まず必要なのは唇を喋らない時には常に閉じておくことです。顰め面や随快感性の笑いをする人は喋らない時にも気づけばふと唇が開いています。唇が開くとそこから口へ空気が断続的に入り、舌や喉、延いては内臓が渇き易くなってウィルスに感染し易くなります。
 私は歯は常に閉じていますが唇は僅かに開いていることが今まではよくありました。それでも口で息をしないことは習慣づいているので風邪をひいたことはほとんどありませんが、それだけでも唇が開いていると良くても新百合ヶ丘的無表情が多くなります。
 唇を閉じると眼が開き易くなるので、眼力が増します。
 唇を閉じずに歯を閉じることに頼ると歯がすり減り易くなります。私はそうなってしまいました。45歳の今からでも遅くはないので再成長を図っり、歯を一本たりとも失わないことを目指しています。

鷺沼の人々は我先に行こうとはしない。

 これは整列乗車についての先述のことからも分かることです。
 自分が先に行こうとはしないならば列をなして並ぶことはないのです。

 先に行こうとはしないまでも、先に並べば先に入る権利があると思っている人は周りを妨げてでも列にべったりと張り着きます。
 仮にしかたなく並ぶ時にも、そのような人が後ろに並ぶと気持ちが悪いです。多摩中央駅前のスーパーマーケットは典型的にそれです。

鷺沼の人々は糖分物の買込をしない。

 そのように列にべったりと張り着いて今か今かと列車や買物の支払を待っている人は、列車なら鞄がださい。買物なら籠に糖分物が満載。

 服はそれなり以上の人が多いのです。靴は足許を見られると古くからいわれるので靴にも気をつけてそれなり以上にしている人が多い、けれど、鞄だけはどうもごまかせないようです。
 買い替える頻度の順がどうしても:服→靴→鞄:の順になるのでしかたがないかもしれませんが、そう何度もいくつも買えない鞄ならもっと慎重に選べないものかと思ったりします。

 意匠がださいだけならまだ良くても、鞄に本性の最も出てしまう点は中身の多さです。
 二流な人の鞄は中身が多くて鞄の表が張っています。リュックサックはそうなると手に提げて持つと重いので前に負って馬鹿な姿を晒します。気色悪いのでやめてほしいですし、鉄道業者もそんなことを呼び掛けることをやめてほしいです。リュックサックには取手があるので、列車に乗る際などはそこを持って手に提げれば良いのです。そのためには中身をなるべく少なくすることです。
 鉄道業者などの権力がそうしろと云っていたらそうしないと不安だということは分からなくもないですが、駅や列車が全然がら空きでもリュックサックを前に負って街中もそれで歩く変態が特に小田急電車や小田急沿線にはしばしばいます。二流企業の膝元には二流の人間が集まるのです。
 それらのような無意味なことにせよ有意義なことにせよ、それを守らない人を構内放送でいびり倒し、公衆の面前で恥をかかせることで自社の呼び掛けを守らせようとする小田急のようなことはその両隣の京王や東急にはありません。小田急電鉄は二流というより人間ではない人達の会社というべきかもしれません。いわばデリカシーのないモラリスト。

 そんなデリカシーのないモラリストの小田急も、鉄道以外の関連会社には優良な企業が多く、デリカテッセンもあるパンのHOKUOは美味しくて店の感じも良いです。
 そのHOKUOや小田急バス、江ノ島電鉄など、小田急系の企業は元は小田急とは無関係だったのが多いからです。小田急電鉄が数々の優良企業を資本だけで買込むことにより出来たのが小田急グループです。良くいえば金は出すが口は出さないということで、口も出していたら小田急沿線は本当に地獄でしょう。

 そんな小田急沿線のスーパーマーケットを見ると、その籠に糖分物が満載の客がかなり多い。
 平均寿命が全国一の川崎市麻生区にあるゆりストアやイオンなどはあまりそうでもありませんが、その他は地域を問わずそう。
 あまりそうではない麻生区も他の沿線と比べると少し多い。
 それが歴然としてない、宮前区の鷺沼駅前の東急ストアで買物をして見ると分かる。
 乗場が狭いことが整列乗車をしない理由の一つなことと同じように、鷺沼人が糖分物の買込をしないことには単純に物理的な理由も一つあり、価格がおしなべてやや高いので糖分物などの余分なものを買わない。価格が安いと安さに任せて結局は多く買い出費が張って豊かになれない。
 多摩中央駅前のスーパーマーケットは、全ての年齢層が男女を問わず糖分物を籠に満載にして買う人が多い。しかも通路を塞ぐ。カートをUターンする時に平気でぶつかって来る。その差って何ですか?
 同じ多摩中央駅近でも、京王ストアやダイエー、イトーヨーカドーにはそのようなことはありません。
 また、同じ東急ストアでも、町田駅前の店は鷺沼のと比べるとやや柄が悪い。昔にあった唐木田駅前の東急ストアは違反該当の路上駐車が多い。

 糖分物以外でも、鷺沼の東急ストアの客の籠の中身はおしなべて少な目。鞄の中身と同じこと。
 私は貧乏なので籠の中身が少なくなるのですが、富裕でもそれだけ籠の中身が少ないと貧乏な私が肩身の狭い感じがすることがありません。
 私より金を持っていて富裕層にはなれないいわゆる相対的貧困層は買物籠や鞄を満員電車のように詰め込むことで他者との差をつけようとするのでしょうか。
 格差社会や消費税のことがいわれるこの時代に、批判をすることは全然良いですがその前にもう少し考えてほしいと思います。

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