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日本人は現金主義?――電子マネーの普及について考える。

 近年に電子マネーが徐に普及して来ていますが、日本はその普及が遅く、それは日本人が現金主義だからだといわれています。

 同じ支払を現金でするか電子マネーでするか、現金が多い、ならば現金主義なのだろうと見ることは一見は可能でしょう。

 では現金と電子マネーの本質的違いは何かと考えると、そうもいえないだろうと思います。

 しばしば見る論に、現金は即物的だが電子マネーは観念であり、今の時代はお金というものが物体としてやりとりをする重みを持たない観念と化しているというのがありますが、本当でしょうか?

 電子マネーも電磁券片やスマートフォンに端末を合せるという形式の物体であり、取引はそれらの物体を介してなされます。券やスマフォを失くしたら支払ができません。ただ、それらの道具が現金のように人と人との回り持ちにはならずにあくまでも自分が使う物であることだけが違いです。

 「お金の観念化」などを評して「脱物質の時代」という風にいわれますが、そんなことはありませんし、そのような論はほぼほぼ日本の評論界にしかありません。逆に物質主義を嫌う傾向が強いのは日本です。

 現金も電子マネーも規則に応じ一定の利得を保証する有価証券です。勿論現金や預金を会計において有価証券として仕訳するものではありませんが現金も有価証券の一種です。

 現金はその金額に応じ枚数が増えますが電子マネーは金額を問わず一枚の券や一台のスマートフォンです。枚数が多過ぎれば振込や小切手にするなどして一枚に収めるものなのでその点でも両者の違いはないといえます。

 日本が電子マネーの普及に遅れているのはお金の物質的重さの故ではなく、日本人が券というものを信用しない故ではないかと考えられます。

 現金も日本銀行券という券ですがそうではない政府の発行による硬貨もあり、券という観念はあまりありません。券ではなく何なのかというと、水戸黄門の印籠のような、勿論金額に応じてですが、圧倒的権威のあるものという感じです。無条件に買えるので無条件にほしい。

 券にはそのような圧倒的権威がない。まずは販売者が専用の端末を用意していないと使えないし、券の発行元が様々にありその価値が相対化されるので現金のような強い権威を帯びることがあまりありません。券はその発行元の目的と力の及ぶ範囲のみにおいて有効になります。

 電子マネーのよく普及している諸外国は逆にそのように固有で有限の目的と力による効力というものを大切にします。その分かり易い例は貴族社会です。貴族の間のみにおいて通じるものを日常不変のものとして守る。

 現金も元々はそのようなものでしたが、歴史の進歩と共に世界のどこにおいても外貨の両替だけをすれば効力があり利用することが可能なものになっています。そのようなものは現金の他にはインターネット、とりわけツイッターだけです。

 日本人は電子マネーのような固有で有限のものをなかなか信用しない。それは何故でしょうか?

 一つ考えられる理由は先の世界大戦において日本が敗れて世界の敵国とされ、自国の固有性が否定されたこと。ただ、その理由は電子マネーと同じくなかなか信じない方々も少なくないでしょう。確かに当時の日本の政策が誤りであったので、そのようなことになることは避けられなかったでしょう。

 しかしその敗戦の体験を通し、以後の日本人は日本が世界において固有の国であることや日本国民が個人として固有の存在であることを否定するようになったのです。国家と個人の違いというものはそこにはなく、大も小も一概に固有性は望ましくないものとされる。

 すると固有性に縛られない自由で力のあるものは現金だということになる。――そこで色々な通説ともつながって来ます。

 券を信用しないことはつまり、「顔パス」が理想ということで、券片の呈示による認証の作業は面倒くさくて水くさいという感覚です。今は非接触式のIC券が主流なので面倒くささは格段になくなっていますが、券を挿入して通す形式の自動改札は関東地方においては長らく導入が渋られていました。認証を受けなければ通れないという過程と形式が嫌だからです。駅員が切符を切ることは不特定多数への無差別の作業なので認証という性質はありません。

 券に象徴されるような固有性とその認証というものが日本人において理解されるようになること、それが電子マネーの普及や延いては選挙の投票率――投票の秘密は守られると云われても信用しない、それが投票率の低い理由。――が高まることにもつながるでしょう。

#電子マネー #お金 #日本人  

 

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