転生少女のヴァルキュリア ー始祖の乙女と七つの国ー 第1話

 ――その魂は求めていた。

 自らの存在意義、などではない。何かを為さなければという奥底から湧き出る責務にも似た情動。

 ――何を?

 輪廻転生を繰り返し、その度に得た知識や経験で魂の縁が肉付けされていく。向かうべき方向が少しずつ定まっていく。

 ――何か救うべきものがある?

 求めるものが明確になるにつれ軌道修正をしていった。が、まだ届かない。探しても探しても答えに辿り着かない。この旅を、私はあといくら繰り返すのだろう……







 水の国・アクアンキューテ

 ”水の乙女”が守護するこの国では、年に一度、その年に十歳になるすべての女子から、選別の儀にて水の"乙女候補"を洗い出す風習があった。選ばれた乙女候補たちは集められ、王都の宮殿、その奥にある離宮にて修行を受けながら水の乙女を目指す。
 乙女候補に選ばれるのは誉れ。けれどもその誉れが平民に訪れることは滅多にない。身体を流れ満たす血という名の水は、この国においては平等ではなかった。



 ほとんど形だけの選別の儀、村の誰もが、そして儀式の責任者としてやってきた領主の使者もがそう思っていた。

 王都の宮殿、さらにその奥の奥から汲んできたという特別な水……儀式用の水瓶に満たされたその水に、血をほんの一滴垂らすだけで乙女候補を割り出せるという。しかし、歴史を紐解いてみてもこの村、さらには程々に貧しいこの領から乙女候補が出た記録はなく、乙女関連の情報は機密のために、どのように乙女候補が特定されるのか知る者はこの領には誰一人としていなかった。

 今年、選別の儀を受けたのはニコラ以外に三人いた。自分以外の女子達は、「選ばれたらどうしよう!」「そんなことあるわけないでしょ!」「それより今日は晩御飯が豪華なの、楽しみ!」などとキャピキャピ話が弾んでいる。だが、その女子達の後ろでニコラはぼーと儀式を眺めていた。

 ニコラには何故だか、今日はいつもと違う予感があった。九年と少しを過ごした村の見慣れた広場、昨日と変わらぬ景色、自分というものの存在感、その全てがいつもより遠く感じる。

「やっぱりねー」と言い、儀式を行なっている広場から離れていく同い年の女子達を背中で見送りながら、いざ自分の番を迎えたニコラは、普通とは違うらしいその水に視線を落とした。
 田舎のこの村にはおよそ似つかわしくない、豪華な装飾が施された水瓶に満たされた水。ニコラの前に既に三人の血が落とされているはずにも関わらず、その水は未だ清らかさを保っていた。

 流れ作業のように使者に右手を差し出し、これまた儀式用の装飾が彫られた細い針で人差し指の先を刺され、あふれ出てきた血を一滴、水瓶の中に落とす。何もなければそのまま何事もなかったかのようにすうっと水は透明に戻るはず。だが……

「え?」

 それはニコラの声だろうか。それとも目の前の使者の声だろうか。先程までただの透明の清らかだった水が突然光り出した。
 透明なのは透明……? でも若干、七色をしているような……? 
 だが、その水は何よりも明らかに光っていた。光る水を前に周囲の時が止まる。と、一拍置いて使者が広場に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

「そ、そなた!! 名をなんと申す!!」

「あ、ニコラ……です……」

「ニコラだな、良いか! 某はこれから早馬にて領主様にこのことを報告しに行く! 明日の朝迎えに来るから王都へ参る準備をしておくのだぞ!
 ああああ、選別の儀の使者を務めて早三十年余り、初の、初の! 乙女候補だ!! 適当な水なのではと少し、いや、ほんのすこーしだけ思うておったが、この水の力はまこと本物であった!
 ニコラよ、家で待っておれ、明日の朝迎えに参る!」

 使者はそう言い残し、事態がまだ理解できずに呆けるニコラと広場に集まっていた村人達を置いて、嵐のように去って行った。



 使者が去った後、村はお祭り騒ぎだった。広場にまだいた選別の儀を受けていた女子達やその親達によって、初の水の乙女候補誕生の知らせは瞬く間に村全体に広がった。人口八百人ほどの小さな村が一気に活気付く。
 まだ現実に戻れていなかったニコラと両親の元に、村人達から次々とお祝いの言葉が届いた。声をかけてくる人の数は増える一方で、やっと我にかえって、なんとか家に帰り着いた後も、訪れる人たちは後を絶たなかった。

「明日の朝でニコラとはもうお別れなのね」

 選別の儀からしばらく経ったにも関わらず止めどないお祝いの挨拶に、ただでさえおぼろげだったニコラの思考が完全に停止していた頃、ニコラの一つ前に選別の儀を受けていたタニタがぽつっと言った。

 タニタは同い年の女子達の中でも、家が近いこともあり仲良しの方だった。初の乙女候補誕生に村全体が夜を迎えても色めき立つ中、タニタは純粋にお祝いを言うために自身の家族とニコラの家に駆けつけた。
 二コラに続く行列に、やっと順番が来てニコラと話していたタニタだったが、ふと会話が途切れた時にそっと寂しそうに呟いた。

 そういえば、先程家を訪れていた村長が言っていた。乙女候補を輩出した村とその家族には領主よりかなりの報奨金が出るのだと。乙女候補を今日の今日まで無事に育んだ両親と、一家の所属する村への報奨金という名の手切金。

 その時は他人事のように村長の話を聞いていたが、タニタの言葉を受けて、そうか、明日からはもうここに自分の居場所はないのかとニコラはやっと思い至った。一緒に村長の話を聞いていた両親の顔が曇っていたのは、その事実を察したからだろう。

 気付いてしまったら途端に家族が恋しくなってきた。この村の一般的な例に漏れず、猟師兼農民の父と父の仕事を手伝い子供達の面倒を見る母、二つ歳の離れたやんちゃで憎めない弟。妙に落ち着いていて同年代の子供達とあまり馴染めなかったニコラを、受け入れ愛し育ててくれた大切な家族。

 自分の報奨金が出たら、程々に貧乏なこの家も少しは潤うだろう。仕事と日焼けで、年相応というよりかは多少老いて見える両親も、少しは休む暇ができるだろうか。日々のご飯が少し豪華になれば育ち盛りの弟には良いかもしれないし、学校に行く足しにできれば弟の将来が少し良い方に変わるかもしれない。などと、タニタとの会話もそぞろにニコラは忙しなく他の客の相手をしている両親をぼーと眺めた。



 夜も更けてきて、やっと最後の客を見送った両親と思わず目が合った。選別の儀から家族とゆっくり話す暇もなかったが、視線の先の両親はいつもよりさらに疲れて見える。ニコラと目が合った両親は少しお互いに見合わせた後、優しく、ニコラの方を向いて呼んだ。

「ニコラ……」

 その声にはニコラを、この瞬間を惜しむような気持ちが込められている気がした。ニコラは堪らず顔を歪めながら両親の元に駆け寄り抱きついた。これまで家族と共に過ごした思い出が一気に蘇ってくる。平々凡々な日々だと思っていたけれど、そのどれもが今のニコラにとっては大切な思い出だった。

 もうとっくに弟は寝てしまっていたが、父と母とニコラの三人で遅めの夕食を取った。最後の晩餐というのはこういうものなのだろう。会話自体は少なく互いの表情も何となくぎこちないけれど、ニコラは目の前にいる両親の姿と、どれもが自分の好物である目の前に置かれた母の手料理と、十年近くを過ごした家の雰囲気を噛み締みしめながらこの家での最後の夜を過ごした。






「……ふう、少し感傷的な気分になっちゃったな」

 野営での食事も終わり、コップに注がれたお茶に映る自分の姿を眺めながらニコラはそう呟いた。ほんの三日前のことなのに、随分と遠い記憶になりかけているあの選別の日のことをニコラは思い出していた。

 これまであまり人との情とかに頓着して来なかったから、あの時の自分の胸に込み上げる気持ちには少し驚いたなと振り返る。
 ふうっとため息をついてニコラはお茶から視線を外した。周囲は既に暗闇に満ちていた。空には遠く輝く星が浮び、焚き火の明かりだけがニコラたちを暖かく照らしてくれている。



「空賊って知っているか?」

 静かに焚き火のゆらめきを見つめていたニコラに、この王都への道中を共にしている御者が話しかけてきた。これまで用件以外にほとんど言葉を発してこなかった御者が、突然声をかけてきたことに驚きニコラは視線を上げる。
 視界に映る御者はニコラの方を見ることはなく、先ほどまでのニコラと同じように焚き火をじっと見つめ、時折り木をくべていた。パチパチと木が弾ける音がする。

「この辺りは草の国との国境に近い。明日の道中ではフォレスティアの森が遠目に見えるだろう。ただ……このあたりは最近、空賊が出る。雷の国から飛び出してきた連中だ」

「……雷の国?」

「ああ、雷の国・サンドラボルト。奴らははるか上空からやってきて、どんなに逃げようとしても、どんなに隠れようとしても、決して獲物を逃さない」

 ニコラは御者の言葉に思わずゴクリと唾を飲み込んだ。しんと静まり返った空間にニコラの喉がなる音が響く。

「奴らのことを、空を縄張りにする雷の国の汚点、天からの褐色の襲撃者、国を超えて世界を移動する盗賊などと俺たちは呼ぶ。だが、奴らは荷物だけを奪って、決して自らは人を傷付けない。
 ……雷の国は小さい頃からの俺の憧れだ。この仕事を長くしているが……一度でいいからこの目で見てみたいと思っている……」

 御者はそう言い終わると、明日も早いからとニコラに馬車の荷台で休むよう促した。

 窓から星明りが薄く照らす荷台に横たわり、ニコラは御者が言っていたことを思い出していた。突然の家族との別れの寂しさはまだ残るものの、これから知っていくだろう外の世界に、ほんの少しだけ胸の高鳴りを感じた気がした。






 翌日の昼食も取り終えた昼下がり、雲一つない快晴の元、ニコラの乗った馬車は視界を遮るような障害物が全くない土地を駆けていた。

 最低限の食料と荷物、そして王族への貢物としての農作物しかない荷台内で、思い出に耽る以外にやることもなくぼーと時間をつぶしていたニコラだったが、そういえばと首にかけていたペンダントをおもむろに取り出した。これは馬車に乗り込む際、あの使者に貰ったものだった。

 ペンダントには小さな小瓶のようなチャームが付いており、その中にはまさに、選別の儀にて光り輝いていた水が入っていた。どうもこれが王都に行った際の乙女候補の証となるらしい。

 選別の儀の時と比べて幾分輝きは落ち着いたように見えるものの、それは光を受けてキラキラと宝石のように輝いていた。自然と、輝く水で満たされたチャームを窓辺の方に向ける。窓辺からの日光を受けて、さらに輝きを増したそれを見ながら「んー、やっぱり七色をしてるように見えるなあ……でも、本当に綺麗だなあ」とニコラは呟いた。

 小瓶の奥、窓の先には国境に位置する森がほんの少し見える。あの森が、昨夜御者が言っていた空賊が出るという森なのだろう。
 ああ、初めて森を見たな、なんて輝くチャーム越しに周囲の景色を見ていたニコラだったが、その森の上空に何やら小さな黒っぽい点があるのに気がついた。

「……あれは何だろう?」

 ニコラは手に持っていたチャームから完全に視線を外し、黒っぽい点を見つめる。その点はだんだんと大きくなっているように見えた。そして、点ではなく少し形が分かるくらいになって、ニコラは昨夜、御者が言っていた話を思い出した。

 気付いた時にはもう遅かった。

 黒、いや褐色の船は真っ直ぐにこちらに向かってきて、馬達の嘶く声を無視するかのように、進路を遮る形で馬車の前に着陸した。中からこれまた褐色の肌をした屈強な男達が十数人飛び出してきて、ニコラの乗った馬車を取り囲む。

 船から最後に降りてきた、一際屈強な、おそらくこの空賊のボスであろうスキンヘッドの男が御者に向かって言った。

「すべての荷を置いて行け、空の荷台と馬はくれてやる」

 御者は昨夜、まさに自分が言っていた空から舞い降りた褐色の船に驚いていた。馬達が慄いた勢いで御者席から転げ落ちたのか、地面に手足をついた状態で愕然としている。

 男の発言にハッと我に返ってパクパク何か口に出そうとするものの、この馬車には自分以外に護衛もいなかったために多勢に無勢、抵抗することも早々に諦めたようだ。「……分かった」と一言、地面に向かって言った。

 その様子にスキンヘッドの男は満足そうに少し頷き、周囲を取り囲んでいた男達は臨戦態勢を解いて馬車の物色を始める。

 男達の内の一人が馬車の荷台に手を伸ばした。そこで御者はニコラの存在をやっと思い出したのか「ま、まて!!」と制止しようとしたが、同時に、荷台に手をかけた男は貢物の農作物の陰に隠れるように小さく身を屈めていたニコラに気付いた。男と目が合い、ニコラの血の気が引いていく。

 空賊、というか盗賊に出会うこと自体、ニコラにとっては初めてのことだった。国の外れにある程々に貧しかった田舎の村には、野生動物の類が稀に来ることはあっても、魔物どころか盗賊も襲ってきたことなどなかった。

 昨夜御者は、この空賊たちは自ら人を傷付けるようなことはしないと言ってはいたが、それでも生まれて初めての襲撃にニコラの身体はガタガタと震えていた。そんなニコラの様子を見て、荷台に手をかけていた男はすっとニコラから視線を離し、「女の子が一人乗っている」とスキンヘッドの男に報告した。途端に男の顔が曇り、御者に鋭い視線を落とす。

「……まさか人身売買か?」

「ま、まさか、違う!! この馬車の家紋を見ろ、これはアーウェルン領の領主様の馬車だ!! この娘は水の乙女候補で、王都に向かう途中だったんだ!!」

「……乙女候補だと……!?」

 御者が命乞いにも似た声で慌てて身の潔白を訴えたが、男の表情はさらに厳しくなった。場に張り詰めた静寂が流れる。
 数秒の後、男は大きく息を吐いて静かに言った。

「予定変更だ。荷物と……その女の子も連れて行く。お前は馬と空の馬車を引いて領地に戻り、領主に伝えろ。乙女候補はそもそも存在しなかったのだ、と」

 それはまるで何か怒りを抑えるかのような声だった。御者は目を見開くとブンブンと首を縦に振り、さっさと荷台に積まれた全ての荷物とニコラを置いてその場を離れていった。心なしかこれまでの旅の工程の時よりスピードが出ている気がする。

 地面に置かれた荷物を周囲の男達がテキパキと船に持ち帰っていく様子を、ニコラはポツンと立ちすくんで見ていた。スキンヘッドの男がこちらに近寄ってくる。

「……おい」

「は、はい!」

「いくぞ、ここをさっさと離れるんだ。お前もノアラークに乗り込め。ぐずぐずするな」

 男はそう言い、ニコラを船の方向に促す。

 まさか、こんなことになるとは思わなかった。突然の状況に混乱する暇さえ許されず、ニコラは言われるまま船に向かって歩を進めるしかなかった。

 ニコラが船に乗り込み、最後にスキンヘッドの男が乗ってくると出入り口が閉ざされる。同時にパタパタパタパタと音がし始めたと思ったら船はゆっくりと宙に浮かんでいった。

 ああ、これからは一体どうなってしまうのだろう……と、ニコラは促されるまま、さらに船の奥へと進んでいくのだった。


「ああ、こんな小さな子が乙女候補だなんて、どこの国も本当に腐っているわね」

 促されるままたどり着いた場所で、ニコラは自分の母親より少し若く見える女性に頭を撫でられていた。ニコラを見やるなり女性は、ニコラに駆け寄り親しみを込めた目線で見つめ、端に置かれた長椅子へと着座を促す。「怖がらなくて大丈夫よ。お菓子を食べるかしら?」と、女性はニコラに籠に入った焼き菓子を差し出した。

 ニコラが乗っていた馬車には、王都までの最低限の食事しか積んでいなかった。途中の野営では硬いパンと少しの野菜が入ったスープばかりだったため、目の前に出された菓子はニコラには抗い難い魅力を放っていた。見るだけで口の中が唾液で満たされていく。

 女性と周囲の様子を伺いながら、ニコラはおずおずと菓子に手を伸ばした。

「……おいしい……」

 ニコラは思わずそう呟いた。麦だろうか、穀物の香ばしい香りと細かく切られた乾燥したフルーツの程よい甘味が口いっぱいに広がる。と、緊張が切れたのか、ニコラの目から涙が溢れてきた。その様子を、女性は静かに、慈しむような眼差しで見つめていた。

「怖かったわよねえ。家族と離れて知らない土地に向かって……しかも、こんな怖いおじさんに連れてこられて」

 女性はチラッとあのボスと思しき男に目を向ける。

「仕方ないだろう、アニー。あのまま王都にたどり着いていたら、この子は宮殿に閉じ込められて下手すりゃそのまま一生を過ごすことになっていた。偶然とはいえ見つけてしまったなら助けるしかない」

「もちろん分かっているわ。あなたがこの子を助けたことは正しい。けれど、ねえ? この子怯えていたわ。だってあなたってば本当に顔が怖いんだもの!」

「ッ! そんなこと言っても、この顔は元からなんだから仕方ないだろう!?」

 二人はまるで漫才のように言葉を掛け合っている。ポニーテールの優しげな雰囲気の女性が、スキンヘッドでよく見ると傷も多い、怖い顔のおじさんとやり合う様子は、先程までの緊迫した状況と違いすぎてなかなか頭で理解できずにいた。

 おそらく馬車の荷物を船に積み整理し終えたのであろう。馬車の荷台でニコラと目が合った男が、呆然とするニコラと言い合う二人の様子を見て、やれやれとため息をつきながらニコラにそっと声をかけた。

「気にしなくて良いよ。あの二人は夫婦で、いつもあんな調子だから」

 どうやら、昨夜御者が言っていた通り、ここの人たちは人を傷付けるような人間ではないらしい。それどころか、俗に言う"良い人"に属する性質なのだろうと、まだ言い合っている夫婦に徐々に冷静さを取り戻したニコラは思った。

 視線を二人から外して周りを見てみると、先程まで気付かなかったがこの場所にはそこかしこに花が飾られており、前面の大きな窓からは優しい光が差し込んでいた。口の中の菓子も噛み締めるたびに優しい甘さが広がってくる。
 急に潰えたらしい王都への旅と、見通しの立たなくなった今後に不安と混乱がまだあるものの、この船の雰囲気は不思議と心が落ち着けるようだった。



 少し経っただろうか、ニコラの緊張もだいぶ解けてきたころ、言い合いが終わったのかアニーと呼ばれていた女性がニコラの横に再び座り、両手を優しく握って言った。

「ようこそ、ノアラークへ。私の名前はアニー。あなたを連れてきたあの男、ヘインズの妻で、このノアラークの船長よ。あなたの名前を教えてくれるかしら?」

 船長? この女性が? とニコラは少し彼女の言葉に引っ掛かかりを覚えたものの、まずは問われた質問に答える。

「私の名前は……ニコラです」

「そう、ニコラ。どうぞよろしくね」

 そう言いながらニコラに優しく微笑むアニーの後ろで、ヘインズもニコラに声をかける。

「ヘインズだ。これからよろしくな。さっきは怯えさせて悪かったな。なに、悪いようにはせん。うちにはニコラより少し年上だが他にも子供がいるからな」

「ああ、そうね、私達より同じ子供の方がニコラも安心できるでしょう。あの子の話し相手としても良いかもしれないし。後で紹介するわね」

 この船には自分以外にも子供が乗っていると聞いてニコラは少し驚いた。まあ確かに、この二人は夫婦だそうだし、女性がいるなら子供もいてもおかしくないかと思い直す。

 自分と近しい者の存在に少しだけ緊張感が解けたニコラに、アニーは少し目を細めながら、けれども確信を持ったような声でさらに問いかけた。

「……ところで、ニコラは水の乙女候補だったのよね? では、何かその証拠となるものを持たされていないかしら?」

 少しドキッとした。アニーは先程までと同じように優しい雰囲気を纏っている。だが、その声には有無を言わせぬような強さがあった。

「……はい。あの、ペンダントを持たされています」

 ニコラはそう言って、首から下げていたペンダントをおもむろに取り出して首から外し、アニーに差し出した。服に隠れていたペンダントを目にして、アニーとヘインズの表情が固まる。

「……驚いた……これ、光ってるじゃない」

 ん? どういうことだろう? と、アニーの発言を聞いてニコラも固まる。一瞬、場が静まり返った後、アニーはぎこちなくペンダントを受け取った。

「ああ、ありがとうね。大丈夫、すぐに返すわ。ペンダントに追跡の魔法がついていないか確認したかっただけなの。でも、これは大丈夫そうね。
 あなたの住んでいたアーウェルンは確か貧しい領だというし、領主にとってもきっとあなたという乙女候補が出たのは寝耳に水で、きちんと対策しなかったのでしょうね」

 アニーはそう言い、ペンダントをニコラの手に戻した。しかし、二人はなおもニコラの手の中にあるペンダントのチャームを凝視している。

 二人は真剣な顔をして、何やら逡巡しているようだった。少しの沈黙の後、アニーは結論が出たのかニコラの肩に手を置いて、ゆっくりと真っ直ぐな目で話しかける。

「……まずは、私達を信頼してペンダントを見せてくれてありがとう。ただね、いい? 水の国では、乙女候補は確かにみんなある特別な水を乙女候補の証として持っていると聞いているわ。でもね、それはなの。こんな風に、光ったりなんて普通はしないのよ……」

 ニコラにはアニーの言っていることの意味がよく分からなかった。普通はこんな風ではない? では、これは何なのだろう……?

 ニコラはアニーから手の中のペンダントに視線を移した。ニコラの手の中で光を放つそれは、青色であると断定できるような色ではない。

「ふう……」

 沈黙を続けていたヘインズが口を開く。彼は顎に手をやり、少し天を仰ぐようなそぶりをしながら言った。

「あそこでニコラ、君に出会えたのは本当に運が良かった。水の国の人間は、ほぼ間違いなく全員が水魔法の適性しか持たない。こんなの水の国の王都に持って行っていたら、それこそ君は冗談じゃなく一生宮殿から出られなかった。王族達の良いようにされていた可能性すらある」

 ヘインズの言葉を聞いて、ニコラは手の中のペンダントを見つめながら言葉を失って愕然としていた。その様子を、気まずそうに二人はお互いに視線を交わしながら見ていた。
 そしてふと、アニーはニコラの手の中のペンダントのチャームに満たされている水が、ただ光っているだけでないことに気付く。

「……しかもこの水、薄いけれど七色をしているわね……私達はこの手のことは専門ではないから、正直、この水が七色である理由は詳しくは分からないけれど、それでもこの水の状態が水の国としてはということは間違いないと思うわ。
 ただ、光っているということは、おそらくニコラには光魔法の強い適性があるということなんだと思うの。光の国でその昔、”光の乙女”を決める際に水の国からこの水を貰い受け、光の強さで乙女を決定したと書いてあった文献を見たことがあるわ」

 ニコラはますます混乱していた。自分は間違いなく水の国で生まれ育っていて、そうであるならばこの水は青色に染まるはずらしいのに、薄い七色でしかも光っている。光っているのは光魔法の適性で……
 頭からプスプスという音が聞こえそうなニコラを心配そうに見守っていたアニーが、ニコラの様子を窺いながら静かに言葉を続ける。

「生まれ育った家を出たところを私達にさらわれて、しかも急にこんな事を言われて、混乱しているわよね……ニコラさえ良ければ、ここにいつまでもいてくれて良いのよ。ここでこの世界のことを学びながら、ゆっくりと今後について考えていくのはどうかしら?」

 アニーの言葉に、自分の許容量の限界を超えたニコラは小さく頷くことしかできなかった。なおも視点が定まらずにうつむくニコラをどうしたものと目合わせしていたアニーとヘインズだったが、あっ! とアニーが妙案を思いついた顔でニコラに向き合って告げた。

「魔法のことは、強い適性を持った人に聞くのが一番だと思うわ。この船にはもう一人、ニコラと同じく魔法に強い適性を持っている人がいるの。二コラと境遇も少し似ているし、何か助けになるかもしれないわ。安心して、さっきあなたに紹介すると言っていた子供のことよ」

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