私について

私と言えば、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。

X上の私、月姫は可愛い自信家で、ゲームが好きなニートっていう様な楽しげなイメージの方が多いのではないでしょうか。

今回は初めて、そんな私の中身についてお話させていただければと思います。






私、月姫は勿論中身がいる訳で。顔出しまでしてるので中身って程ではないかもしれないですけど、私は仮にも本体の自分が存在していると思っています。

皆様は自分自身何かと闘ってきたことはありますでしょうか。病気、将来、趣味、何かしらと皆様は対戦してきたかと思います。

それこそ私のフォロワー様だとFPSの壁で戦ってきた方も多いのではないでしょうか。

私はちなみに今まで声に出してきたことはありませんでしたが、非定型うつ病を診断された過去があります。

そして、今躁うつ病に近い症状が出て再発しているのでは無いかと言われております。

そんな私が闘う病気について皆様に少しだけ共有出来たらと思います。





過去、私が鬱病になった経緯は高校1年生の頃。"ただなんか目立ってて気に食わないから"っていうそんなしょうもない理由でグループから外されたことがきっかけでした。

私のクラスは進学校だったこともあり女の子が少なく、1つのグループから外される=その1年ぼっち確定みたいな感じでした。

今の私からは想像できない方も多いかと思いますが、ぼっち帰宅、ぼっち移動なんて可愛いものだけでなく、便所飯、カウンセリング登校(実質不登校)もしていました。

その後、アルバイトをしても新しい学校先に転校しても上手く行かず、他者を安易に信用出来ない状況下に置かれた私を心配した祖母や叔父が病気を疑い調べ始め、そこである程度予測だてられた病気が"線維筋痛症"というものでした。

私自身もどこも悪くないのに身体の節々が痛く、眠れない日々が続いていたこともあり、恐らくそうなのだろうなと言う予想は着いていました。

母だけは精神疾患に対して嫌悪感しか抱いていなかったので、初手、病院に着いてきてくれたのはいつもばぁばだったことを覚えています。

母からしたら認めたくなかったのでしょう、今となっては気持ちが分かります。

病院に行っても"線維筋痛症"は難しく、特に断定して答えを出してくれるところは想像以上に少なかったです。精神病院の限りない力不足に私自身とても驚きました。

そんな中で唯一巡り会えた良い病院。そこで私が検査の元出された結果が、"線維筋痛症"と"非定型うつ病"でした。

病院探しだけで疲弊していた私にとって、病名がわかったこと。痛みが体自体からではなく、脳波から来ていたこと。とても安心したのを覚えています。

そこから直ぐに治るわけでもなく往復約5時間かけて病院に通い、元いた学校の生徒が修学旅行に行っていた時、彼氏に丁度間際に振られて迎えた時、等諸々重なって迎えた高二のクリスマスイブの病院で皆のストーリーを見ながら泣き崩れました。

本当に辛くて、何とか通信制高校を卒業した私が正直大学毎日なんて通えるわけないって思っていました。節々が痛いこともあり限界値を迎えてから寝るという完全に昼夜逆転の生活をしていたこともあり、毎日通えるわけがないって本当に心配でした。

いざ、始まると毎日ちゃんと通えるし自分自身ちゃんと起きれて日々普通に友達もできて過ごせていた私が凄い驚きでした。正直当たり前のことかもしれないけど、毎日学校に行って必要単位を獲得しているだけでも本当に偉いって思っていました。

これは大学卒業しても、永久に続くものだと思い込んでいました。




しかし、鬱って言うものはそんなに甘くはありませんでした。詳しい方はわかっているかも知れませんが、完治なんてする訳が無いと。

当たり前のように少しの引き金から、色々と重なり、現在、また再発することになりました。

原因なんて追求してしまえば、いくらでも他者のせいに出来るし、そこに追求する意味はないと思うのであんまり触れません。

ですが、結果的に油断していた私は再発してしまいました。

まさか再発するなんて思っていなかったからこそ、突然の再発の予兆に気付かず、放置していた結果、常識人ではやらないことをやってしまう大きな事件が起きてやっと気付くことが出来ました。

正直前は線維筋痛症がメインでうつ病がサブだったこともあり、マシでしたが、現在は躁うつ病かもと予想が出ているほど、前回より格段に情緒面に関しては酷くなっていると思います。

だからこそ再発を認めたくなかったのもありました。しかし、認めざるを得ないほどに酷くなっていました。今じゃ、うつ状態が酷い時は涙のコントロールが出来ないし、怒りのタガが外れた時には記憶がなくなりほぼ二重人格になるヒステリック状態になってしまいます。

うつ状態の人が正直他者に迷惑しかかけないのなんて本人にも分かりきっているんです。でも、病気を言い訳にしたくなくても歯止めが効かなくなってしまうんです。

私自身、1番迷惑をかけたくない人にかけてしまって、その挙句、「期待はずれ」「病気に付き合う義理はない」「お前の頑張りは何も結果に残らないから意味ない」「どうしてもっと頑張れないのか」「それが限界値ならいらないね」「他者に迷惑しかかけてないんだから本気で死ねと思う」って悲しい言葉を沢山かけられました。

手をあげられることもありました。「言葉が通じないんだからこうするしかない」と。でも、私自身怒った時の記憶が無いんです。

こんな事をしたり、言う人じゃないからこそ、そうさせてしまった自分がより嫌いになるんです。より辛くなるんです。

正直高望みは何もしてないんです。自分の頑張りは人の基準に満ちてないことも何もかもわかってるんです。ただ、目を見て頑張ったねって。嘘でもいいから頑張ってるねって。頭を撫でて欲しいんです。

偉かったねって、褒めて欲しいんです。認めて欲しいんです。足りていなくても。

私自身人に言われなくても人にしか迷惑かけてないから、自分が死んだ方がいい存在なんてこともわかってるんです。希望が無くなると死んじゃうことも、簡単に命を手放そうとしてしまうことが目に見えてるんです。

それでも頑張れない自分が誰よりも1番嫌いなんです。人に言われなくても、分かってるんです。でも頑張ることしか出来なくて、それには限界があって。

それでまた怒らせちゃう。一番怒られるのが嫌いだし、責められるのも苦手だからこそ、そうさせたくないのにそうさせちゃう。これはうつ病の人にしか分からないですよね。🥲





うつ病って、簡単に理解できるものじゃないんです。それが、躁うつ病や非定型うつ病だとよりアップダウンがあるからこそ、他者に理解を得にくいんです。例えそれが身内であろうと。

嫌気刺されて捨てられたら生きていけないくせに喧嘩売っちゃう情けない生き物ですよね。自分が一番自分のことが嫌いで、誰よりもわかってるのに、頑張りきれないんですよね。それか頑張りすぎて、またおかしくなっちゃうんですよね。

私も自分では少しずつ変わっていってはいると思うんですけど、やっぱり他者から見て認められるくらいには殆ど変われてないみたいで。

また責められる度に、喧嘩になる度に、最初は言い返して反抗的に私は悪くないってなりつつ、その後、深く深く反省するんですよね。今現状そうです。

そして言われた言葉を思い返し、不安になり、またその不安が元凶で喧嘩になる。こんなのただの負の連鎖なんです。分かりきってるけど自信が持てないんです。

多分同志の人にしかこれは分からないし、逆に健常者から見た私はうつ病の人と長い時間を過ごした健常者同士にしか分からないんだと思います。

一生交わらないからこそ対策もないし、これは別れるだけしかないのか、関わらないことだけが正解なのか、と言われると、正論ではあるけど結局それは逃げでしかなくて。だからといってすぐすぐ病院で解決する話でもないし、難しいんです。うつ病って。

しかも人によって症状が似てる中でも違う。前例がない人が多いからこそ比べられない。言ってしまえばインフルエンザ、虫歯とかより確実な処置法がないからこそ難しい病気なんです。

これを理解してって言うのもおかしいけれど、申し訳ないけど私も相手のことが理解できないんです。普段なら出来てたのにってことが出来なくて1番悔しいのは私自身なんです。

被害者ヅラにもなりたくないっちゃないんですよ。でも悲劇のヒロインでは無いけど、悲劇のヒロインでいるのを許されないと自分のことが嫌いになりすぎてしまうから許されたい節はあるんですよね。

病気だから仕方ないって思わないと、普段の自分がこうなんだって認めるような気がして、より病んでしまうから。

ただの面倒くさい甘えたには周りから見えるのかもしれないんですけど、それがれっきとした病気って。世の中は難しいですね。





今回はそんな吐く場所のない私の本音をつらつらと経緯と共に書く時間にしましたがいかがでしたでしょうか。

今、願いが叶うのならば、1度でいいから私の頭の中を健常者と入れ替えてみたいです。

理解したい気持ちも、理解して欲しい気持ちもあります。

ただできない、そんな辛さがこの病気にはあるんですね。



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