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22話 高校3年就活中、2件隣に漫画家が引っ越してきたので、 とりあえず押しかけて僕が漫画家になるまで

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ご無沙汰しております大関です。
色々あって遅れてしまいました(汗)

さて、前回のスカイガールズの話の続き…ですが実際問題始まった
後は、どうやって4話で話を終わらせるかしかないわけで、まあ、もうそんなに描くこともないのですよ……。作中描くのは自分の事だけですし…色々暴露する、という話もないので、実は話の幅は狭いのです。

あ、これは記憶ちがいかもしれないんですが、女性キャラクター
メインで話を作る、となった時に、実際問題4話でアニメの数十話を
描くのは不可能で、僕の中には前回お話した「整備士物」としてのプランしかない。なので、放映前に存在したOVA版を元に1話目を描き、残り3話は
各キャラクター(3人)の短編にする、という事になりましたね。そもそも単行本1冊分の宣伝漫画の様な話を伺っていたので。

という事で実質60枚のネームが一旦ボツ。その後2回程ネームを
直し、下描きに入る事には初回掲載まで1か月と少し、結局2話目のプランも全くない状態で連載がスタートしたわけですね。実際問題一番大変だったのは、絵を合わせるとか、練習する時間が全くなかった事で、ほとんどぶっつけ本番で原稿を描かないといけなかった事でしょうか。

その後は毎回、担当とロイヤルホスト(確か当時朝まで営業していたか、24時間営業だった)にネームが完成するまで籠る。

担当を前にひたすらノートにネームを切り、
一日に何度もパーコー麺を注文する怪しい2人組。
何かヤバイ誓約書でも書かされているかのような光景です。

後はもうただ描き続ける話になってしまうので、スカガ話はここまでにしますが、そういうわけで当時言われていた「キャラ担当が逃げた為、背景担当がキャラまで描くことになって作画崩壊した」というのは間違ってまして、
当初引き受けたはずのストーリー展開では女性キャラが出る予定はほとんどなく、違う話を描く予定だったが違う事になってしまい、
ただ僕が作画崩壊した、という事なのです。

そして僕は作画崩壊にしてコミカライズ失敗作品の王者、という称号が与えられたのでした。

と、いうお話でした。

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さて、22話後半はARMS連載当時の本来の「高校3年就活中~」のお話。
今回は漫画背景の話。

この頃、狂ったように鉄拳シリーズにはまっていた僕は
基盤にまで手を出し、20回ローン程で毎回基板を購入してました。
この頃の鉄拳は「タイムリリースキャラ」という制度があってですね、
とにかく電源をつけっぱなしにしていると、一定時間経過で新キャラクターが出現する、という仕様になっていまして、
家でも仕事場でも電源を入れっぱなしにしていたのです、24時間。しかも何か月も。ゲームセンターもうちの基盤と同じ程度のスパンでキャラクターが出現していたようなので、ゲームセンターも鉄拳は稼働させっぱなしだったのでは。

1年もすれば家庭用も出てしまいます。しかしなぜか

目の前には常に稼働中の鉄拳がある。いくらやっても無料(僕以外は)家庭用リリースまでは1年あります。そんなものが仕事場にあるのだから、もう常に誰かが対戦している状態です。

今思えば、全員から1ゲーム10円でも取るべきだったのでは。

鉄拳2(バージョンb含め2枚)・3・TAGですよ。これにコントロールボックス等も数回買い替えているので、実質一人で100万円程の出費です。ただの漫画家アシスタントが(笑)

さらには毎週のように鉄拳の大会が徒歩数分のゲーセンで行われており、
当時そこで常連と化し、50人程度の大会ではありますが優勝したトロフィーを掲げた写真まで飾られているイタイ奴です。実は皆プロスタッフがほぼ全員大会に潜んでいた、なんてことも実はあったのです。

取りつかれたように鉄拳三昧だった為、自然と漫画背景にも
ゲームの情報がこっそり(僕が勝手に)入れていくわけです。
今はやりませんが、この頃はそういうのにまだ寛容な時代なので…。

さて。

皆川さんと言えば鉄拳シリーズでいくつかコスチュームデザインをしていらっしゃいますが、この前、たまたま文庫ARMSを読んでいて(全く開いていなかったもので)巻末にインタビュー記事が載っていたんですが、そこで
「鉄拳の仕事が来たのは、漫画に鉄拳がしつこく描いてあった為、ナムコから連絡が来た」という事実を知ったのです(笑)

当時は「あー、やっぱ皆川さんすごいなー」位の事しか
考えてなかったのですが、じゃああれですね、僕が背景に悪戯していたのは
逆に善行として働いた、という事で。

あ、でもですね。実は鉄拳1を最初にpsで買ったのは皆川さんなんですよ、94年でしたっけ、当時、僕がサターン、皆川さんがpsを先に買って、様子を見ようという話になって、その時仕事場にあった鉄拳に僕もハマりまして。

で、ゲーセンではどちらかと言うとバーチャファイターメインで、2が出たばかりの頃…位かしら。当時僕はそこまで格闘ゲームが得意ではなかったんですが、鉄拳は不思議と外でもほとんど負けない感じで、それが3の時まで続いてまして、仕事に繋がったり色々あった思い出もソフトなんですが、そもそも皆川さんが鉄拳1に手を出してくれたことが、始まりなのです。

話がそれましたが、鉄拳の背景は別としても、真面目は話をすると、皆プロの場合、構図や大体のイメージは皆川さんから伝えられますが、基本はお任せで、良い物を描きさえすればデザインすら任されてしまう仕事場でして、自由度が高いのです。逆に言えば指示がないと描けないタイプの人には少々大変かもですね。

なので、レギュラースタッフさん達は大体「俺の背景を見やがれ」位のテンションで好き勝手描いていたわけです。しかも自分から聞かないと基本誰も描き方を教えてくれない、同じような演出の背景を何度も描いてしまうと「君こればっかやるから、もうやらないで」みたいな注意は入りますが、それでも基本自由ではあります。特にスプリガン、ARMS、D-LIVE!!の頃は全員テンション高かったですね。

実相寺昭雄作品をうっかり観てしまうとやたらと画面手前に物をかぶせて描いてみたり、ピンポンを読めば画面を曲げてみたり。アメコミを観るとベタが増える(笑)イニDとか読み始めると、あの魅力的な粗目の線でスピード感を出したくなる……。

聞いた話なので事実かどうか知りませんが、作家さんによっては「会話禁止」とか「テレビ禁止」みたいな所もあるらしいですよね…。もちろんそれは職場のスタンスで変わる事なので否定する所ではないですが、皆プロに禁止事項は特に無いので、個人的には良い所です(笑)

さて、次回は新しいスタッフさんのお話。
当時増え始めていたオンラインRPGに憑りつかれていた彼。彼はファンタシースター、僕はウルティマオンライン。
彼は今でも仲が良く、最近はめっきりあっていないですが、たまにスカイプ等で話はしてまして。面白い奴ですよ、変態ですし(何でも書いていいって言われてるので)

偶然ですが、デビューのタイミングも同じ雑誌で、因縁浅からぬ男。

まあ、森尾正博君ですけどね。



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