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濃いコーヒーを飲んでハッピーになった話

やほ。江戸です。
Twitterのプロフィール欄にもあるように、私は「早起きしてコーヒーを豆から淹れること」が趣味です。(ほんまかいな)

困った。
いきなりツッコミが入ってしまう。

どうして"ほんまかいな"なのかと説明すると、これには2つ理由があって、
まず、
①「趣味っていうのはピアノとか読書とかそういう『毎日続けていくことで何かしらのスキル及び人間性が形成させる』ようなもので、豆から淹れるなんて、そんな『日々の小さな楽しみ』が趣味であってたまるか」という批判がある。(私のなかで)

でも、私はそれでいいと思う、趣味というのは自分にとって大切な何かを、自分で納得できる程度に"大切にする"という事であると私は捉えていて、その基準に照らせば、早起きしてコーヒー淹れるのもしっかりと趣味じゃん、というワケである。いろんなベクトルがあると思うが、何かを大切にする生活はその人の人間性を形成する。それに、これは別に関係ない話だけど、コーヒー淹れにはコーヒー淹れのためのスキルがあるのである。(わかってくれ)

で、上の話を踏まえたうえで、次の問題点なのですが、
②「そもそも、最後に"早起きしてコーヒーを豆から淹れ"たの、かれこれ何か月も前なんちゃう?」(先ほどと同じ、自分のなかからの批判)

はい、たぶん3ヶ月くらい前です。

「自分の大切な何か、まったく大切にできてへんやん」

すんません。

さて、
このノートが、思った以上に長くなりそうなので、かいつまんだ説明だけにするけれども、自分の大切な何かを(4分の1)年間も放っておくという極悪非道の行いには理由があり、シンプルにいうとめちゃめちゃ鬱な日々だったからです。(とはいえ、それは別の物語なので、いつかまた別のときに)

本題。
今日の話は、昼下がりにコーヒーメイカーでコーヒーを豆から淹れた話である。

鬱の原因はおおむね仕事への不満なんですが、このごろはお盆休みでもあり、出勤したりしなかったり、部屋のなかでごろごろとする日々が続いていて、良い休養になってたんだと思う。
そんななか、昔買ったコーヒーメイカーを久しぶりに使ってみようかという気分になった。このごろ何もやる気が起きなかったことを考えると、良い休養のおかげだと思う。
そして、運がよかった。

そういうわけで、電車で10分ほど揺られて、近くのコーヒー屋さんに豆を買いに行ったのである。ええ感じの散歩。ええ感じの珈琲豆。

ところで、
普段の私はネルドリップ派である。
久しぶりのコーヒーメイカーはステンレスフィルターである。

違いを説明しておくと、珈琲豆を細かく挽いた後、お湯でコーヒーの成分を抽出する際に、ネルドリップは布で液体を濾すのに対して、ステンレスフィルターではその名の通り、金属のフィルターで液体を濾す。

違いは色々あるので、気になった方は調べてみるときっと楽しい。
今回重要なのは、ステンレスフィルターで濾したコーヒーには、ネルドリップでは出ない微細な粉が混じるということ。(微細な粉が混じることは別に悪いことではなく、むしろ”豆をまるごと味わえる”から好むひともいる。そこは人それぞれにある好みの領域である)(私自身時々やるのだが、豆をそのままバリバリ食べるのもスナック感覚で美味しかったりするし)(あまり人前ではしないけどさ)

というわけで、静かな昼下がり、コーヒーメーカーさんが大音量を立てながら作ってくれたコーヒーを見た時、「せやった、微粉めっちゃ入るやん」とアパートの小さな書斎の中でひとりごちたのである。

独り言ちてもひとり。(あたりまえや)

猫舌なので、淹れたてアツアツのコーヒーは飲めない。NetflixでFargoのエピソードを観ながらしばし待ちつつ、少し冷めたあたりで一気に飲んだ。

おいしかった。
そして、めっちゃ濃かった。

効果は、珈琲を飲んでから2~3分で出た。
全く期待してなかった効果なんですけども。

頭のなかにずっと巣食ってた、「なんだか重い感じ」が真夏の氷が解けていくみたいにゆっくり、しかしステディに溶けていったのだ。

正直ちょっと戸惑った。
なんだこれ、カフェイン?とか、
こんなにはっきり分かるもんなん?とか
この「なんだか重い感じ」に私はこの数か月悩まされてきたのに、こんなに簡単に消えてもらってええもんなん?とか。

この効果がコーヒーによるものなのかどうかを結論づけるのは、私には少し荷が重い。再現性があるのかどうかも分からない。でも、少なくとも私個人の内において、「カフェインってすごい」というコンセンサスが形づくられたのは確かである。

昔、『NHKにようこそ』という漫画の一コマで、街中で鬱になってしまった主人公の佐藤君に、その親友の山崎君が「気弱になってる場合じゃねえ、カフェインか!?エフェドリンか!?」と言いながら、市販お茶のペットボトルを、佐藤君の口に突っ込んでた場面があったけれども、こういう事だったのか?

『プラダを着た悪魔』などの、アメリカ東海岸が舞台の映画やドラマを見ていると、ホワイトカラーの仕事バリバリ出来そうな人(≒ストレスも結構抱えてそうな人)が朝がけにスタバでコーヒーを買ってから出勤するシーンがあるけれども、あれはストレスに対する対症療法だったのか?(そういえば、点滴のようにコーヒーを飲んでいる、という表現も聞いたことあるな)

毎日コーヒーを飲む習慣がある人は寿命が長め、ってどこかで聞いたことあるけれど、あれって、精神的にいいよ的な意味だったのかしら。

あらら、気づいたら
なんだかめちゃくちゃI hate being bipolar, it's awesome 感のある文章になっちゃったな。

そんなわけで、
カフェインのせいかもしれないけど (Though this may be caffeine talking)、
この数か月間、コーヒーを淹れるという趣味をないがしろにしちゃってたけれども、これからはもっと機会を作ってコーヒーに向き合おうかなと、前向きな気持ちになっている。

向き合う、とゆうても、飲むだけやけど。

折角コーヒーメイカーを引っ張り出してきたわけですし、ネルドリップをするのが面倒な時は豆を入れてウイィーンで済ませてしまってもええやないか。結構ズルしてる感はあるけど、一応立派に"豆から淹れてる"し。豆入れてボタン押すしかしてないけど。

今日から、
ボタン押すのが趣味です。ウイィーン。(ほんまかいな)

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