旅行記5日目(10/9)ヴァッハウ渓谷日帰り旅行 メルク修道院とドナウ川クルーズ
この日で旅行は5日目です。この日はオーストリア国鉄が出しているお得な切符「ヴァッハウ・チケット Wachau Ticket」を使い、拠点のウィーンから「ヴァッハウ渓谷」と呼ばれる地域へ日帰り旅行に行ってきました。
ドイツ語のwaはヴァと読むのですが日本では馴染みが無いため、「ワッハウ」という間違った呼び方をされることも多いです。でも私のブログを読んでくださった貴方は是非正しい方で覚えてくださいね。
(※「フォルクスワーゲン Volkswagen」も同様で、本当はヴァーゲン)
ヴァッハウ渓谷の名所、マリア・テレジアやマリー・アントワネットが訪れた世界遺産のメルク修道院の豪奢な建築を見学し、同地からドナウ川をクルーズ船で下ってクレムスという所まで。クレムスから鉄道でウィーンに戻りました。
ヴァッハウ渓谷の名物は杏。ジュースやお酒で杏を堪能しました!
渓谷のドナウ川沿岸のデュルンシュタイン城には、勇猛さと十字軍で有名な中世イングランドの王「獅子心王 ライオン・ハート」ことリチャード1世が一時期幽閉されていましたが、実際のところは身代金が届くまで風光明媚な片田舎で杏の酒が飲み放題の実質バカンスだったようで…。デュルンシュタインは通過するだけでしたが、私もクルーズ船で気分に浸ってきました。
夕食はウィーン中央駅のスーパーとフードコートからホテルに持ち帰りで日本食に挑戦してみました。ウィーンっ子はどんなのを日本の味と認識しているのでしょうか…。
向こうを旅する時に絶対に役立つドイツ語フレーズも合わせてお教えします。
では例によってここから有料とさせて頂きます。
この日の朝は7時過ぎに起きたと記憶しています。朝食はしっかりとビタミン重視で取っておきました。
今日はビールを飲む予定は無いのでパンも食べておきます。丸くて切れ目の入ったこのパンはオーストリアの代表的なパンで、センメルといいます。ドイツ語ではSemmelと書くので、ドイツ語が読める方は「ゼンメル」では?と思われるでしょうが、オーストリアのドイツ語では語頭のS音が濁らないのでセで合っているのです。
ちなみに、ハム・ソーセージやチーズを挟むのも一般的な食べ方で、その際は上下真っ二つに切って挟みます。
食べ終えて薬を飲んで荷支度を済ませたら、ホテル・オイゲンから中央駅までちゃっちゃと向かいます。目立つ所にあるチケット窓口で、この日使うヴァッハウ・チケットを購入しました。(€55≒7000円)
https://kombitickets.railtours.at/wachau-ticket/austria/wachau/wachau-ticket.html
この券で、ウィーンのどこかの駅からメルクへの国鉄(2等)、メルク修道院の見学、ドナウ川クルーズ、クルーズの終点クレムスからウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅までの国鉄(2等)が利用可能になります。
※一応逆ルートでも可能ですが、その場合川を遡ることになるので所要時間が増えます。
そんなわけでチケットは鉄道用、修道院用、船用の3枚です。
7000円と聞いて安くはないなと思われることでしょうが、ウィーンからメルクまでの鉄道が約€18+修道院自由見学が€11+クルーズが€26+クレムスからウィーンまでがまた€18で、別々に買ったらざっと計€73。9000円を超えますので、どう考えてもこのチケットを買うべきです。
(この計算が地味に面倒でした)
今私がいるウィーン中央駅からメルクまでは、最初は特急Railjetで良いのですが田舎駅のメルクには止まらないので、途中のサンクト・ペルテン(St. Pölten)で快速電車(REX)に乗り換える必要があります。所要時間はだいたい50分くらいです。
というわけで、8時30分発のミュンヘン行きのRJに乗ります。
実はRJのエコノミーに乗るのは初めてな私。(長距離をファーストで移動するばかりだったため)
ヴァッハウ・チケットは2等しか乗れないのでエコノミーです。(そもそもそれが普通ですし、ましてや短距離です)
RJは頭上の予約表示のある席を除き自由席なので、適当な席を占領します。
早速エコノミーの座席を検分します。
まずファーストより席が狭いのはもちろんのこと、窓が汚いですね。(辛辣)
足元に目をやると、足置きが無いですね。やはり長距離ではファーストが良いのでしょう。
コンセントも2人に1つしかありませんね。
そうこうしているうちに、窓側の席にいる私の隣の通路側の席に、だいたい同年代でオーストリア人らしいお姉さんがやって来ました。大歓迎です。空いてますよ。
「どちらまでですか?」と訊ねると、私と同じサンクト・ペルテンまでとのこと。「私もです!」と応じました。それなら気兼ねしませんし、万が一の降り忘れも無いでしょう。
「お仕事ですか?」と聞いてみると「そうよ」とのこと。
私のことは興味が無かったようで聞かれませんでした。悲しみ。
ほどなく電車は動き出します。
私はiPhoneで音楽を聴いていましたが、前述のようにコンセントが2人に1つしかないので使用を躊躇っていたら、おもむろにお姉さんがノートパソコンを取り出し、コンセントも使い始めました。
あ、そういえばと思い出したので、PCの立ち上がりを待っているお姉さんに、持って来ていたはちみつきんかんのど飴を取り出して1つ差し上げました。「日本の飴。蜂蜜味!」私のドイツ語の語彙力ではそれくらいしか言えませんでしたが、気持ちは伝わったようで、微笑んで受け取り、包みを裂いて飴を舐め始めました。
そのお姉さんとの話はそれだけです。明らかにお仕事をされていたので、邪魔をするのは躊躇われましたので…。
中欧は日本に比べてずっと湿度が低く乾燥しているので、喉や唇は何かしらケアした方が良いです。これで3度目の中欧旅行なので、その辺は抜かりない私なのでした。
RJは予定通りにサンクト・ペルテンに到着。鮮やかな身支度で降りていくお姉さんに続いていきます。
ここで快速電車に乗り換えです。
現代的でかっこいい車両ですね。
中も快適です。左右で前後が逆の2×2のシートが特徴的です。
ただの快速電車のはずなのに、Wi-Fiも飛んでますし専用サイトまであります。至れり尽くせりか。
メルク修道院の見取り図
を見て、ふんふんなるほどと言っている内にメルクに到着です。
ばいばーい。
簡潔明瞭な案内板です。Stift しゅていふと は修道院のこと。
メルク駅外観です。
いやぁなんというか…オーストリアの鉄道駅ってデザインが洗練されている上に衛生的で良いですね。実に上品です。観光名所の駅だから特別気合入ってるってのは当然あるんでしょうけど。それにしてもです。
駅前の看板に描いてあった地図です。
真っすぐ道なりに町の広場へ。広場で右に曲がると、じき左手に高台の修道院に上がる階段があります。
まだ時間はまだ9時頃で、修道院の見学所要は約1時間だそうで、船が出るのは13時半過ぎです。時間は余りまくっていたので、ゆっくり悠然と町並みを見物しながら歩き、広場のお店でちょっとお買い物をしてから修道院に向かいました。
かなり霧がありますが、昼までに晴れてくれるでしょうか…。
これは修道院への階段の麓にあった柱です。実はオーストリア人ならこれだけでメルク修道院の歴史概略丸わかり。
階段と坂を上がると修道院の門があります!あっもう既にお洒落。
チケットに注意が書いてあったのですが、そのままでは入場出来ず、窓口で正式な入場券に替えてもらわなくてはなりません(めんどくさっ)。なのでコース左手にある窓口に寄ります。もちろんお金は発生しません。
チケット売り場・窓口の向かいには大荷物を預けるためのロッカーがあります。
いよいよ入場です。メルク修道院は基本的にはガイドツアーが付いての観光になりますが、4~10月はフリーで回れます。なので1人で団体の合間を縫って進むことになります。
さて、残念ですがメルク修道院は内部はほぼ撮影禁止です。よって数枚しか写真がありません!
なので見学順路の最後の土産物屋に売っていた日本語ガイドブック(100ページくらい)を買って読み込んでおきました。そこから情報をお話しします。
メルク修道院はオーストリアがまだハプスブルク家の支配が始まる前、996年頃に、オーストリアの語源となった「オストマルク」地域防衛の要の砦として建てられたそうです。ドナウ川に注ぐ支流のメルク川の河口近くの高台にあり、北と西を川に守られた地形だけ見ればまさしく要塞です。
976年にはバーベンベルク家のレオポルト1世がオストマルク辺境伯に任じられ、バーベンベルク家のオーストリア支配が始まり、メルクはその居城となりました(当時はかなり慎ましやかな規模だったそうです)。
しかしオストマルク辺境伯領が拡大していくにつれてメルクの重要性は低下し、1089年に当主レオポルト2世は砦を修道院にすることを決意しました。当時は神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世による聖職者の任命権争い「叙任権闘争」が盛んな時代であり(有名なカノッサの屈辱は1077年)、レオポルト2世は教皇側につくことにし、拠点を修道院に寄進することで接近を図ったのだろうと考えられます。なおバーベンベルク家の居城の移転先はクロスターノイブルクという所です(ウィーンの近郊)。
バーベンベルク家はその後1246年に断絶してしまい、今回本筋ではないので割愛しますが、なんやかんやあってオーストリアはその後ハプスブルク家の治めることとなります。あのハプスブルクです。ウィーンはハプスブルク家に拠点と定められて以降発展していきます。
一方メルク修道院はと言うと、1297年8月14日に大火災に見舞われて壊滅的な被害を受けてしまいます。以降修道院は長い忍耐の時代を過ごすことになりました。
思い切ってかなり端折りますが、メルクは1700年にディートマイヤーという若く(30歳)優秀な修道院長を迎えて以降、今日に繋がる復興への道を歩み始めます。中興の祖ってやつですね。
ディートマイヤー院長は精力的に活動して修道院の新築費用を調達し、プランタウアーという建築士と組んで新築プロジェクトに乗り出します。結局その院長も建築士も完成前に世を去ってしまい、しかも完成直前にまた失火があって一部焼けてしまったので少しアレンジが加えられましたが、ともあれこの両名が現在まで残るメルク修道院の建物を造らせたと言えます。
生まれ変わった修道院はバロック建築の中でも、当時の皇帝カール6世の安定し繁栄した時世の下で「皇帝様式 カイザー・シュティール」と呼ばれる傑作に仕上がりました。同様の存在としてはウィーンのカール教会、ベルヴェデーレ宮殿などが挙げられます。
(カール6世の娘が大人気のマリア・テレジアであり、さらにその娘でフランスに嫁入りしたのがマリー・アントワネットです。本来のドイツ語の名前はマリア・アントーニアといいます。)
正直私は建築についてはとんと無知なので、ふわっとだけ調べたのですが、バロック建築の特徴は外観だけではなく中の調度品や装飾と合わせて見るべきものであり、高度な教養が盛り込まれた宗教画や、精緻で高額な彫刻などを用意出来るのは、あらゆる権力を皇帝・国王の下に集める絶対王政の時代ならではと言えるーーそうです。
メルクはなにしろ修道院なので、宗教画が多いです。しかしキリスト教(カトリック)についても私はとんと無知ですので、実物を見ても「はえー」というだけなのが実情です。
メルク修道院の名物は豪奢な祭壇と図書室です。しかしここもやはり撮影禁止…。祭壇は流石に畏まらせるような雰囲気が漂っており、図書室も実に立派なものでした。中世の火事で蔵書が大損害を受けたと言われなければ分かりません。
(実は私は学校で長年図書委員だったり、書店でのバイト経験があるので本や図書館は大好きです。雰囲気や本そのものが好きなだけで、読む行為はそうでもないという面倒臭がりなので、そこまで読んでませんけど。)
ここは数少ない撮影可能エリアです。
メルク川がドナウ川に合流するポイントです。クルーズの船着き場も、木で隠れて見えませんがあの中にあるはずです。
真後ろに振り向くと、こちらは修道院の建物。
メルク修道院はUの字を右に90度倒したような形ー馬蹄型というのでしょうかーをしていまして、ここはその先端の曲がっている出っ張りの部分です。
下の方が見切れているのは、ここ(見学順路)が2階だからですね。
1階(地上)の中庭のようなスペースに降りられます。そこにはテレジア来訪記念のパネルが設置してあります。
テレジアがここを訪れた際の「もしここに来なければ、後悔していただろう。」というコメントが残っています。ちなみに私の語彙ではこのドイツ語は分かりそうで分かりません。古語と方言でしょうか、違和感が凄いです。英語の方でどうにか理解出来ました。
テレジアの娘アントワネットも、輿入れでフランスへ向かう際にここで一泊しています。というかそっちのエピソードの方が母の話より有名です。
距離的におそらくウィーンを発って最初の宿泊地だったはず。私は子供の時に母が持っていた『ベルサイユのばら』を読んだことがあるので少し感情移入してしまうのですが、15歳で異国に嫁ぐことになったアントワネットのその時の胸中はどんなものだったのでしょうか…。
ちなみに順路的にはこのポイントの次が上記の図書室や祭壇です。
こんな廊下を通って見学は終わりです。
最後にちゃっかりある土産物屋で色々購入しました。
1時間ほどで見学を終えて門を出ると、右下方向に行けば市街地なのですが、真っ直ぐ進むとレストランやまた別の土産物屋、そして駐車場があります。そのレストランで昼食をとります。(この時11時半頃)
土産物屋で買った戦利品です。
修道院行った記念に十字架、という安直な発想だったのですが、後でこの本で読んだところ「メルクの十字架」というのは重要な宝物だそうです。
その模型ですね。使っている肩掛けバッグにすぐ装着!
うん、いい感じ。
レストランでは杏のジュースをオススメされましたので頼んでみました。
炭酸が入っていて、豊かなのにくどくない、実に良い甘さです!これは美味。
標準ドイツ語で「杏」はAprikose あぷりこーぜ といいますが、オーストリアではMarille まりれ といいます。(複数形だとnがつく)
食べたのはサラダと、
ヴィーナー・シュニッツェルです。
シュニッツェル Schnitzel というとドイツ圏で肉に衣をつけて揚げ焼きしたもの、いわばカツレツのことを何肉か問わずにいいますが、ヴィーナー…「ウィーンの」が付くと仔牛の肉に限定されます。付け合わせはジャガイモに、ベリー系のジャムです。肉にジャムというのは大抵の日本人はえっと驚く組み合わせだと思いますが、これがまたよく合って味わい深くなるのです。日本でも食べられますけど、肉の味わいや衣の粉の細かさが別物です。
このレストランのシュニッツェルは美味しかったです。ここじゃなきゃダメって程でもないですけど。
添乗員さん同行のツアーでウィーンを訪れれば、決まっている昼食か夕食でまず確実に出てくる一品かと思います。
そして今回お世話になりっぱなしの、しゅにっつぇるさんのお名前はこれからですね。
やはり仔牛肉は高いので豚肉のシュニッツェルも一般的で、最近は年々増えるムスリムの需要に合わせて鶏肉のも広まっているそうです。(イスラームの戒律で原則豚は口にしてはいけない)
そういえば前回登場のムスタファくんも鶏肉シュニッツェル食べてるんだろうか。
レストランURL
食後はレストランの左隣の土産物屋に入ってみました。
お目当ては飲み水と先程の杏ジュースだったのですが、杏のリキュールの小瓶も見つけたので買ってしまいました。
これはまだ開封していないのですが、購入前に「Darf ich das mal probieren? だるふ いっひ だす まーる ぷろびーあん?(これちょっと試飲しても良いですか?)」と訊いたら快く試させてくれて、それがとても美味しかったのですぐに買いました。もし次また行ったらもっと大きい瓶を買いたいですね。
(※probieren のように動詞の不定形で、最後のeを落として「~あん」というのはオーストリア式発音です。標準ドイツ語ではそのまま「~れん」と発音します。私の先生はオーストリア人なのでオーストリアの発音を教わりました。)
杏ジュースはこの時はまだ開けないで、後日まで取っておきました。
修道院→レストラン→土産物屋の角度で見るとこのような美しい庭園があります。昇り階段が疲れそうなので写真だけ撮ってスルーしましたが。
市街地に降りて船着き場の方に向かう途中にツーリストインフォメーションがあったので、何か情報か暇つぶしにでもなればと思ったのですが、昼休み中とのことで入れませんでした。13時前に行ったはずなので、タイミングが悪かったですね。
川まで来るとこんなものが。
USBの充電口付きベンチ(待ち合わせ場所でもある)。
実はこの時iPhoneの電池が残り30%くらいしか無かったので、ここでしばし休息です。
ここからはメルク修道院の要塞としての一面を垣間見ることが出来ます。
しばらく充電してから船着き場まで10分近く真っすぐに歩いてきました。
クルーズ船の会社は2つあり、どちらの船に乗っても構いません。しかし修道院と同様に船も窓口で券を引き換えてもらう必要があります。
片方はBrandnerという青を基調にしたデザインの会社。
もう片方はDDSG社です。こちらは白と赤のデザイン。
『地球の歩き方』によるとDDSGのには日本語の音声ガイドが流れるとのことで、私はこちらに乗ることにしました。
ただ先に言ってしまうと、乗っていた間に日本語の案内は無かったように思います。スタッフに申し出てオーディオ機器を貸し出してもらう形式とかだったんでしょうか…。(謎)
ちなみにBrandnerとDDSGの船は季節にもよりますが、この時は出発・到着が5分違うだけで、コースや中身は全く同じでした。なので本当にどちらでも良いと思います。
メルクからクレムスまでフルで航行する船は1日3・4本のようでした。
いざ乗船です。
と思ったら制服を着た日本人の団体がドヤドヤやって来ました。
引率の先生らしきおばさまに訊ねてみると、関東某県の中学校から国際交流的なものでやって来られたそうです。(そこまで良く覚えてない)
いいなぁ、私の地元の区立中学校はそんなものは無かったですし、仮にそんなイベントがあっても当時の私はそんなのとは無縁の人間でしたよ…。
結構ギリギリまで先ほどの充電できるベンチにいたので、私は乗船待機列のかなり後方にいました。人気のある船の上層階(3階建てでした)の席は既に埋まってしまっているだろうと早々と見切りをつけ、1階のそこらへんの席に陣取ります。全て4人がけテーブル席だったので、1人の私が占領してしまうのは躊躇いがありますが、他の方に相席を願い出るよりはまだ気が楽というものです。
こんな席でした。隣にはその中学生たちが散らばった中の、お友達同士なのであろう3人がやって来ました。
席はこのあと出港直後に進行方向と反対向きだと気付いたので、すぐに反対側に移りました。クレムスまで約40㎞、1時間40分のドナウ川下りの始まりです。
(そして当時の私、なぜこの写真をデジカメではなく充電が心もとないiPhoneで撮っているんだ…?)
そういえば朝心配だった霧はしっかり晴れていました。やったぜ。
しばらくしたらスタッフが注文を取りに回ってきたので、私はすかさずシュトゥルムを頼みました。
そして隣の女子中学生たちが「どれがザッハトルテ?どれがオーストリアのもの?」と困っていたので、謎のおじ・・お兄さんとして、これとこれですよーとメニューを指さして教えてあげました。黙ってた方が良かったのかあの瞬間から未だに分かっていませんが、私は基本的にお節介なのです。
しばらくしてシュトゥルムが運ばれてきました。
…クルーズにシュトゥルム(直訳で「嵐」)って縁起でもないなぁと思い、苦笑しながらぐいっと。やっぱり美味しい!
そして気付きました。「シュトゥルムは赤の方が美味しい(ド主観)!」
私はこの前日にウィーン版オクトーバーフェストで2杯赤のを飲み、この時初めて白のを飲んでいたのですが、赤の方がブドウのコクが出ているように感じられたのです。
私は普通のワインを飲むときは圧倒的に白派(赤の渋みが苦手。そして白でもクリアな味わいのものが好き)なのですが、ことシュトゥルムに関しては赤だなと思いました。いや、もちろんこの時飲んでる白シュトゥルムもとても美味でしたけど。
食べ物はやめておきます。お腹は膨れていましたし、地味に物価が高かったので…。
船旅は順調に進みます。
これは眺めの悪い1階席からでも撮れた、数少ない絵になる写真です。
美しく青きドナウって有名な曲ありますし、船内放送でも何回か流れるんですが、ぶっちゃけそこまで綺麗な川じゃないんですよね…。
ドイツ語(たぶん)の船内放送を断片的に聞き取って窓から景色を眺めても、どこが名所なのか視野が限られているのでよく分かりません。
途中シュピッツという所と、城で有名なデュルンシュタインという所で停船して乗り降りがありました。私のいた席から出入り口は近いので、ここで私は降りていく人の方が乗ってくる人より圧倒的に多いことに気付きました。
(ならば上層階の席が空いたはずだ!)
そう確信した私はちびちび飲んでいたシュトゥルムの残りをかっと一息で飲み干し荷物をパッとまとめると、階段を勢いよく駆け上がります。
そうしたら見事に最上階の良い席が一つだけ空いていました!すかさず突撃して確保しました。
めちゃくちゃ眺めが良くなりました。反対側の舷の景色も見えます。
おそらくこれがデュルンシュタイン城ですね。
その後は眺めを存分に堪能していたら、
女性のスタッフが杏のリキュールをお盆に大量に載せて練り歩き、販売を始めたので私も飲むことにしました。(たしか3ユーロ)
なんかリッチな感じがする!(深刻な語彙力の欠如)
まずは酒でひたひたになった杏の実をガブリと。
おぉ~、がっつり酒がきいてます。これは美味しいけど何個も食べたらやばいやつ。
一旦水を挟んでから普通の持ち方にしてリキュールの方も。こちらも実に風味が良いです。
写真が残っていませんが、この頃に自動車を満載にした二階建ての船とすれ違いました。ドナウ川は単体でもドイツ、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニアを跨ぐ国際河川ですが、運河によってマイン川やライン川に接続され、遥か北海と黒海、ひいては地中海までを繋ぐ壮大な水路です。支流も含めればさらに関係国は増えます。あの自動車はどこから来てどこへ向かうのか…と考えると胸が熱くなりました。
そんなことを考えながらもちびちび杏リキュールをすすり、優雅な気分に浸っているうちにクレムスの船着き場に到着しました。
クレムスには事前調査でほとんど興味を惹かれるものが無かったので、真っ直ぐ駅に向かいます。1.5kmほど徒歩で物理的に直進します。(バスもあるようです。)
船着き場からの通りを「Bahnhof →」という看板の所で右折すると駅です。
駅前には私のクレムスでの唯一のお目当てがありました。このカフェ・ライミッツです。
『地球の歩き方』によれば、ここにはアプリコット(杏)チーズケーキがあると書いてあったので、チーズケーキが実は大好物な私は目をつけていました。この時16時過ぎ、おやつには良いタイミングです。
しかし店内のショーケースを見た所それらしいものが無く…仕方なくアイスでも食べようかなと思った時、こんなものが目に飛び込んできました。
「Marillenkugeln まりれんくーげるん」と書いてありました。
「杏の球」?
そういえば記憶をほじくり返してみれば、同じオーストリアのザルツブルクにはモーツァルトクーゲルという名物のチョコ菓子があり、オーストリア土産の定番です。
であれば、多分これは杏をペーストにして丸く成型してチョココーティングしたお菓子と見た!(大正解でした)
多分美味しいやつですし、小さくて日持ちもしそうでお土産には良さそうです。いっぱい買っていきましょう。
とりあえず「これ12個ください」と言ったら、店員さんがヒキ気味に(えっそんなに?)と目で言っていたので、「お土産です!(笑)」と言っておきました。
これは実際お土産として好評でしたし、何より「れーれりん」ことドイツ語学校で会話を私に教えてくれたオーストリア人女性の先生から大層喜ばれました。もう大絶賛。まさしく故郷の味だったのでしょう…。
このれーれりん、とにかくキャラが濃いのでいずれどこかで紹介したいものです。
クレムス駅に来てみると電車が出るまでまだ30分近くあると分かったので、しばらく駅前をうろうろして、駅にくっついたコンビニのような店に入って時間を潰していました。
いくつか目を引かれるものがありました。
1つ目はこれです。
なんじゃこの日中混じったようなデザインのお茶は。
「Honey」と書いてありますし、ボトルを手に取って裏面を見ても、原材料にガッツリ「Honig」(ほーにひ…ドイツ語で蜂蜜)」と書いてあります。
緑茶を甘くしないで…と日本人の私は心から願いますが、こっちの人にしてみれば紅茶も緑茶も同類なのでしょう、多分。いやまあ冷静に考えれば茶葉の発酵の進み具合が違うだけなので彼らの方が一理あるような気もします。
うん、でも飲みたくない。スルーしとこ。
2つ目は細長いチーズ入りのサラミ(ドライソーセージ)です。直感が美味しいと言っていたのでお買い上げです。
Käse けーぜ でチーズという意味です。値段は覚えていませんがそう高いものではなかったはずです…。
3つ目はiPhoneの充電ケーブルです。(ケーブル長さ1m)
いつも日本の家で使っているケーブルに、中欧のコンセントに対応する変換プラグを挟んで使っていたのですが、だんだんプラグを挿すのが面倒臭くなってきていたのでした。割と良くバチッと火花が飛んで怖かったですし、どうにも作りが甘くてブラブラしてたのが目についていましたし。
旅行時しか使えませんが、最初から中欧型コンセントと端子が直接繋がったこのケーブルを買えば、少なくとも使用頻度が高いiPhoneの充電にはプラグが不要になります。お値段12ユーロ少々。まあ許容範囲です。買い。
そして後で気付いたのですが、全く同じ商品がウィーン中央駅では24ユーロで売られていたのでした…。田舎で買って良かった…。
これを買ってから充電がストレスフリーになって大変良かったです。中欧の長距離電車やバスにはコンセントとWi-Fiが飛んでいることが多いので、これは重宝します。1mという長さも過不足なくて絶妙です。
私のように中欧に何回も来ようとか長期間いるという方なら、現地で買ってみるのも悪くないと思います。
そんなこんなで電車の時間ですので乗車。2階建ての通勤電車のような作りだったので、迷わず眺めの良い2階席に陣取ります。
そこからウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅までは1時間少々。今後の旅程分の『地球の歩き方』を読み込んだり、時々車窓を見やったり、合間に水を飲んで買ったばかりのサラミを齧ります。美味しかったです。ホントはビールが欲しかったのですが、いささか以上に外見が悪くなりそうなので自重しました。
電車の停まる途中駅を見てみると、何回か「ヴァグラム」という名前が付く地名を見ました。
ヴァグラムの戦いといえば、ナポレオン戦争の一幕で、フランス対オーストリアの会戦の地です(1809年)。まあオーストリアが負けたんですけどね。
戦史は好きなので、古戦場というのはちょっと胸が高鳴りますね。有名なアウステルリッツの三帝会戦が行われた現チェコのスラフコフ・ウ・ブルナには一度足を運んでみたいものです。
ここは降りる1つ前の駅、ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)です。
ここから38Aのバス(ウィーン市内です)に乗れば、ホイリゲで有名なグリンツィング(Grinzing)地区に行くことが出来ます。
また、38Aのバスをさらに乗り続ければ、ウィーンを見渡せる丘であるカーレンベルク(Kahlenberg)に行けます。第2次ウィーン包囲(1683年)の際は、オスマン軍に包囲されているウィーンに援軍に来た無敵を誇るポーランド軍のフサリア(有翼重騎兵)が、ここからオスマン軍のただ中に突撃して見事大勝利を収め、ウィーンを救いました。
さて、グリンツィングからウィーン中央部へは、トラム38番を始発から終点まで乗ればリンクシュトラーセ沿いのショッテントーア(Schottentor)に出られます。
ホイリゲ(Heurige)とはその年に自家醸造したワインを出す居酒屋です。直訳で「今年の」という意味ですね。
今回しゅにっつぇるさんにホイリゲに行こうと考えていますと相談したところ、ホイリゲとはまた異なりますが、ウィーン中心部にも良い店があると教えて頂いたので、この日は省エネしてホイリゲはやめておくことにしました。
その後は特に何事もなく、18時半前頃にウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅に到着しました。かつてのウィーン北駅ですが、正直暗くて陰気臭くて寂しい駅という印象でした。中央駅を見慣れてるせいだと思います…。
でも外側に出てみると案外明るくて綺麗でした。あれ?
かつてのウィーン北駅といえば聞こえは良いですが、長距離列車はことごとく中央駅の発着とされているためローカル線しか通っておらず、もっぱら通勤に使われているようです。
昔はここが、帝都からベーミッシュ・ブドヴァイス(現チェスケー・ブジェヨヴィツェ)を経由し、工業地帯ボヘミアの中心地プラーク(プラハ)までを結ぶ皇帝フランツ・ヨーゼフ鉄道の始発駅でした。なお支線でピルゼン(プルゼニュ)とも結ばれていました。
この駅からはドナウ川に繋がるドナウ運河もすぐで、ボヘミアからの工業生産物を積んだ貨物列車はここにやって来て、その積み荷は即座に水運で帝国各地に散っていったのであろうと思われます。言わば二重帝国時代の経済の大動脈であったわけで、しばし往時に思いを馳せました。
ここから少し道路を北向きに5分少々歩き、地下鉄4号線のフリーデンスブリュッケ(Friedensbrüke)駅に向かいます。実は先のハイリゲンシュタット駅がU4の始発なのでそちらで乗り換えた方が楽だったのですが、それを承知で歴史ロマンに浸るためだけにフランツ・ヨーゼフ駅に来ました。
どこを撮っても絵になるんだよなぁウィーンは。
このようなソーセージやケバブのスタンドもウィーンには多いです。レストランに入る気分ではない時はこういう所も良いでしょう。
※地下鉄は向こうでは「U-Bahn」です。Uが地面の下を表し、Bahnは鉄道。U4なら地下鉄4号線です。
フリーデンスブリュッケからU4でシュヴェーデンプラッツ駅(Schwedenplatz) ※「スウェーデン広場」という意味 でU1に乗り換えます。
後はそのまま中央駅(Südtiroler Platz/Hauptbahnhof)まで戻って来ました。
これでこの日の旅程は終わりでしたが、まだ私にはやりたい事がありました。
それは中央駅内部の巨大スーパー探検。そして1.5ℓのペットボトルに入ったシュトゥルムを買うことです!
前日にTwitterで親切な方が「そのスーパーでシュトゥルムが買える」と教えてくれたので、探してみようと思ったわけです。
ウィーン中央駅は一大ショッピングモールでもあり、地下1階に大きいスーパーと、地上階に小さいスーパーが1つずつあります。どちらも「Spar シュパー」という現地の大手スーパーです。
シュトゥルムは出来かけのワインなわけですから、ワインコーナーにあるはずでしょう。季節ものだから端っこかな?というわけでワインコーナーから見て回ります。
ワインコーナーはとても充実していて、外国産とオーストリア各連邦州別という感じで分かれています。この画像には南東部のシュタイアーマルク州と東部のブルゲンラント州のものが写っていますね。
ブルゲンラントは第1次世界大戦の後でハンガリーから譲られた新しい領土で…と歴史語りを始めると長くなりますし、今回の旅ではブルゲンラントにわざわざ1日を割いています。旅行記の今後にご期待ください。
まぁワイン作りが盛んなんです。ブルゲンラントって。今はそれだけで十分です。
で、結局ワインコーナーにはシュトゥルムの姿は無かったのでした。
スピリッツやビールのコーナー、加えてジュースのコーナーも見ましたがやはり見つけられず…あれ?どこ?
【※ネタバレ注意】
翌日ちゃんと見つかりました。情報は正しかったのです。ただ1日単位で旅行記にしている構成上、今は詳細については触れられません。
目ぼしい場所を探しても無かったので、途中目についたものだけご紹介します。
寿司!
ウィーンでの寿司ってどんなもんじゃろ?と思ったので小さいパックを1つ購入しました。ホテルに持ち帰って食べます。
あとこちらは買っていませんが豆腐も発見しました。
カレー味、胡椒味、トマト味…。緑茶に蜂蜜といい、やりたい放題だなというのが正直な感想です。ですが日本だって、いや日本こそ、現地好みのアレンジの無法地帯。怒る権利などありません…。
とりあえず水と寿司だけお会計です。
オーストリアのスーパーでお買い物をする際は、袋はレジ前で有料で売っているので、マイバッグ持参が当たり前ということと、セルフレジも増えてきていることに注意です。まあこれは日本も最近そんな感じですよね。
セルフレジは高額紙幣を崩したい時や、逆に小銭を一掃したい時に便利です。向こうの店員さんは高額紙幣を出されると露骨に不愉快そうな表情をしてきます…。
また、最近北欧や中国ではキャッシュレスが進んでいて、中欧もその流れと無縁ではないのですが、まだまだ現金が通用します。日本と同じ感覚で良いのではないかと思います。
ただしやはりキャッシュレス化は進みつつあるようで、執筆中(2019年6月)から見てつい最近には、チェコの首都プラハのトラムがキャッシュレスで乗れるようになりました。
私もこれを見て興が乗ったのでiPhoneのApple Payにメインのクレジットカードを登録しておきました。
さて、寿司を買って日本食の気分になった私は、駅1階のフードコートにあるアジア料理店に行ってみました。日中混じった感じがしますね。
焼きうどん…?焼きそば…?
散財気味なので節約したいのと野菜が欲しいので、左上の「mit Gemüse みっと げみゅーぜ」(野菜つき)を選びます。サイズはもちろん小さい方で。ソースを1つ選ぶので和風だと思われるTeriyaki(照り焼き)を。
ちなみにソースは左から「ニンニク」「甘酸っぱい」「照り焼き」です。
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こういうスタンドやフードコートのような店で食べ物を買うと、必ずここで食べるか、それとも持って帰るか、店員さんに聞かれます。そんな時は…
ここで食べます。 Ich esse hier. いっひ えっせ ひーあ
持ち帰りでお願いします。 Zum Mitnehmen,bitte. つむ みっとねーめん びって
のどちらかを言いましょう!
ちなみにこの時私はこの時フレーズを間違って覚えていて、現地人らしきおっちゃんに訂正されました(恥ずかしかったけどありがとう)!
いやマジでこのフレーズだけでも100円の価値は普通にあると思うんですよね。是非参考にしてください。
ホテル・オイゲンまでは徒歩2、3分。すぐ自室に持って帰ります。
がさごそ(展開)
とりあえず味噌汁から…。こちらではスープを音立てて啜るのはマナー違反ですが、私しかいないホテルの部屋なのでおかまいなしです。ずずっ。
…
…
ダシの味がしない…。(虚無)
麺は…ずるずる…無難に旨いです。
(※私は「美味い」と「旨い」は厳密に使い分ける人間です)
寿司は無難な味なのですが、サーモンと胡瓜しか知らんのかと言いたくなります。鮮度は問題ありません。あとワサビが絶対工業的に作った謎の練りものです。
いやいやいや待って⁉これがウィーンの一般的な「日本食」⁉
廉価だから仕方ないけど!これを日本の味と思って欲しくない!!
私は3回もウィーンに行っておいて未だに足を運んでいませんが、高級日本料理店なら違うはずです。同じだったら怒る。
ガイドブックには「雲海(うんかい)」や「日本橋(にほんばし)」という名が挙がっていますので、いずれ行ってみたいと思います。
ちなみにウィーン中央駅構内や、フランツ・ヨーゼフ駅近く、シュテファン大聖堂周辺には「Akakiko」なる謎の日本食チェーン店がありますが、こちらも建物の前でじろじろ見ただけで、入って食事はしたことはありません。ネット上のレビューは賛否両論なようですが。
さて。朝メルクで買ったものを公開しましょう。じゃん!
前日に買った服に合わせるズボンを買っていたのでした!
(ズボンの下の方は垂れてて見えないだけです。私そこまで短足じゃありません…)
メルクの中央広場近くの服屋さんのショーウィンドウにこんな感じのマネキンがあり、そういえばズボンを買っていなかったなと思い出したので購入しました。
山岳の国オーストリアの民族衣装(?)ならバイエルンのレーダーホーゼみたいに短ズボンの方が良いというか正しいのでしょうが…。しかし私は東京の都会っ子で(事実でも自分で言うなよ)、肌もなまっちろいので人に見せびらかすのは抵抗があります。
また、上着も分厚くて短ズボンとは気温的に相性が悪いです。なら長ズボンで良いか!見本もあるし!となったわけです。
これでこの日の旅はおしまいです。まだ21時頃のはずですが、休養も大事です。
次の日は隣国スロヴァキアの首都ブラチスラヴァに日帰り旅行です。
隣国といっても、オーストリアでもぐいっと東に寄ったウィーンから、スロヴァキアでもほぼ西端のブラチスラヴァまでは僅か80㎞しか離れていません。
また、両国ともシェンゲン協定を結ぶEUの国ですので国境越えにも何も障害はありません。
そんな近さでありながら、私の産まれる(1993年生まれ)直前まで、「西側」のウィーンと「東側」のブラチスラヴァの間には「鉄のカーテン」が下ろされていて、さながら異世界でした。
これが3度目の中欧旅行ですが、スロヴァキアは初です。果たしてどんなものが拝めるのでしょうか…。
次回以降も乞うご期待です!
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