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「自分が何者なのか」なんてわかるのか。哲学と自己分析

 小生は絶賛就職活動中です。特殊な業界を志しているので、普通の就活生とはだいぶ違う形で就職活動をしていますが…


 さて、就活を始めるにあたって最初にやることは何か知っていますか?

 世間でよく言われているのは「自己分析」です。

 自己分析とは、コンピテンシー(人柄)重視の企業における面接やエントリーシート対策として、自分の行動の特性や内面を過去の行動や考え方をもとに洗い出していく行為です。自己分析に関する多くの本や動画が巷に溢れています。
 要するに「自分を知る」「自分とは何者かを理解する」という行為です。自分史の作成なんかが一般的によく行われます。
 面接やエントリーシートで自己PRやガクチカを聞かれた際に自分の行動特性に一貫性を持たせて解答するために多くの就活生が取り組んでいます。
 私も一応やってみましたし、たまにやります。

 ですが、本当に「自分を理解する」ことなんて可能なんでしょうか。

 「自我とは知覚の束である」哲学者ディビッド・ヒュームはこう言います。
 彼は同一性の否定という思想で有名ですが、彼の思想にもあるように「学生時代に頑張ったことをした過去の私」と現在の私は果たして同一だと言えるのでしょうか。考え方が全く違う過去の自分を今の自分と同じだと評価して良いのでしょうか。

 「自我が自我を生み出す」ヨハン・ゴットリープ・フィヒテはこう考えました。
 彼は自我はそもそも自分を生み出すことと同時に存在していると考えました。
 では、「その企業を志望する私」は私と同時に存在していたのでしょうか。私がその企業を志望するから、「その企業を志望する私」が出来上がったのではないでしょうか。

 スピノザの心身平行論によれば、自由意志なんてものはないことになります。では、自己PRで語るエピソードにおいて私が考えていたことと実際に行った行動の間には何の因果もないのでしょうか。サークルでリーダーシップを発揮しようと考えたことと実際にリーダーシップを発揮したことは、実は単なる偶然ではないのでしょうか。

 哲学的に自己分析をしてみると自分のことなんてわかり得ないと容易にわかります。
 ですので、私は「自分を理解することなんてできない」という斜に構えた立場で自己分析に臨んでいます。

 【以下暴論故に読み流していただきたい】

・まあ実際自己分析は面接で発言と行動に齟齬がないようにするために今までの行動を整理するみたいな位置づけでしょうね
・いわゆる就活強者みたいな人達って多分読書とか勉強とかあんまりしてなさそうっすよね。読んでても「メモの魔力」「多動力」とかだろうし。
・長所も短所も自己PRもガクチカも結局は「時と場合による」「評価する人による」「文脈による」んですけどね
・フィヒテの思想は私自身あんまりよく理解できていません←重要

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