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ボランティア活動に何を夢見る

「ボランティアという病」という本を読んだ。情報に疎いわたしからすると暴露本と言っていい内容でボランティアについてのみならず、人の生き方をも考えさせられる刺激を受けた。

「地獄への道は善意で舗装されている」という海外のことわざをよく見聞きする。
わたしは偽善が嫌いだ。とにかく鋭敏に察知してしまう。そして振り返る。わたしはどうか?常に自分も見張っていなければならない。

無料で物をもらったり、サービスを受け続けるとそれが当たり前になる。
わたしは本業においてそれを実感し困惑し、善意の塊とされるボランティアに疑問を持った。また、別分野の福祉ボランティアに関与しているがそこにも疑問は多々あるので思わずこの本を手に取った。
福祉ボラの世界にも踏み込めば闇は多いに違いないが、この本は専ら災害支援ボランティア、特に2016年の熊本地震を軸に書かれる。

Book review 4
「ボランティアという病」
丸山 千夏
出版社 宝島社 発行年 2016

被災者は飢えています!今すぐ支援を!と当事者から言われれば、人はあわてて財布を開く。
地震発生当初、(自称)支援団体がフェイスブックで一斉に集金モードに入る。クラウドファンディングを立ち上げ、募金サイトを通じてお金を集めると、みるみる集まるのが日本だ。SNSには「感動」という魔物が住んでいて、「感動」に触発された善意は暴走し批判を許さない。「笑顔」「涙」で溢れ、キラキラした支援団体に集まった巨額な寄付金はいかに使われたのだろうか。。。災害というコンテンツにお金を払っただけ、と言われると身もふたもない。寄付した者はそんな自分に満足し、もらった団体はウハウハでwin-winじゃないか、そうでいいのか、いいもわるいもない、そんな世界に生きるのがわたしたち。

ボランティアと自分探し

全国から集まった若者が汗と涙にまみれながら活動し感謝される、尊敬に値する(かもしれない)指導者がいて、仲間がいて、出会いがあって、強制はない、任期もない、団体によっては衣食住が保証されるとなれば、何者かになりたい若者(だけじゃない中年も)が集まる心理も容易に想像がついてしまう。。。(キラキラアレルギーのわたしには近寄りがたいけど)。
また、凡人には理解の及ばない奇妙奇天烈な人も集まるようだ。その中で犯罪(窃盗や性犯罪、詐欺他なんでも)も起こる。それも簡単に想像ついてしまう。。

余談・・・わたしは、阪神淡路大震災の時に神戸市芦屋に一度だけボランティア活動をしに向かったことがある。(今では著名な)先輩(当時からこういう才覚があったのだ)に誘われて、学生だったし、関東出身で被災者に知り合いも一人もいないし、実際に倒壊した街を見てみたいという本当に興味だけだった。「善」とも思っていないから偽善でもないと思う、ただの迷惑だったと思う。でも行ったからこそわかる、被災地ボラの一種の高揚感、仲間意識、統括者へのリスペクト感。。。確かに、あれが好きな人結構おるやろな。。

そもそもボランティア活動とは

定義として広辞苑などの引用やその歴史も紹介されているが、
一番しっくりきて、こうでありたい、と思って、だから似非に騙されたくない、流されたくないと思った概念を引用する。

「他者が生活していく上での困難や、社会が存続していく上での困難、またよりよい地域社会づくりへの必要性に対して、自分の心が動かされ共感し、それらの解決や改善そして実現のために、個人が持つ内発的な力を発揮する自由な意思に基づく主体的な活動」

これを読んで、ボランティアとは無償であったり、善意であったりする前に、自分の気づきとそれに基づくライフワークであるのではないか、と思った。(自分でない)○○のため、と思ったらもう偽善である、全ては自分がやりたいから自分のためにやるのだ。

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