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#124 第19ヶ国目、懐かしのペルー🇵🇪!!

10/5夜行バスでペルー入国、さらばエクアドル🇪🇨

最近YouTubeにて簿記の勉強をとても分かりやすく教えてくれるチャンネルを見つけて以来、その視聴にハマってしまい昨日はかなり夜更かししてしまった。仕訳の意味がさっぱり理解できずに一度は投げ出してしまった自分でもこのチャンネルを観て勉強すれば3級ならいけるかもしれないと思わせてくれることに興奮させられていた。
昨夜遅くまで視聴した反動で、朝起きる気が失せてしまっていた。今日はペルーに向かう夜行バスに乗る日である。

ようやくベッドから抜け出たのは、チェックアウトぎりぎりの12時になってからだった。カウンター横に荷物を置かせてもらい、鍵を返してからバスターミナルへ歩き出す。クエンカの町は今日も眩しい光に包まれていた。20分以上歩いて到着した。

このバス会社に決めた!
ペルー・マンコラまで25ドル
構内


建物に入ると「キト、キト!、キト!!」と、エクアドルの首都・キトへ行くバスの乗客を募っている威勢良い声が響いている。
「どこへ行くのか」と聞かれたので「Voy à Perú!(ペルーに行く!)」と答える。ペルーに行くバス会社は2、3つあるようで、その内の二つのカウンターで聞いてみたが、どちらも夜9時発で、値段も変わらないようだった。最初はチクラヨという町まで行こうと考えていたが、運賃は35ドル(5222円)と想定外だったので取り止め、ペルー唯一のリゾート地と噂されるマンコラに行くことに決めた。運賃は25ドル(3730円)になる。ドルを消費するのは出来るだけ避けたい。なぜならドルを持っていれば、緊急時にどこででも両替できるからだ。基軸通貨というだけで恩恵を受けているアメリカ人が羨ましい。

急な予定変更ができるのが一人旅の魅力であることは今さら言うまでもない。切符を買って、駅前のフードコートを通ると全ての店から店員が自分を手招きする。その内の一店に座り、牛肉煮込み定食を頼んだが、値段は少々高く3ドルだった。

市内に戻り、その足でメルカドに向かった。3日間通った行きつけの店主に挨拶するためである。フライドチキン定食を食べた後、「今日の夜からペルーに行くんだ!ここのご飯は一番美味いよ、3日間ありがとう!」と伝えると、
「そうなのか!いい旅を!」と送り出してくれた。
パンを買い込み、ホステルで夜の7時半まで時間を潰して、いよいよ出発した。手元に小銭が4ドル少々残っている。ドル小銭はアメリカでは使えないので、エクアドルにいるうちに処分する必要がある。
昼間とは違うフードコート店で鶏肉定食を食べた。店主が「何処から来たのか」と問うので「日本です」と答える。
「これからペルーへ行きます。サレントには日本人は結構やって来ますか?」
「中国人や韓国人が多いかな」
と返って来た。コロナと円安の影響はまだ随分と大きそうだ。

残り1ドルと数セント。売店をウロウロしていると、おばちゃんが尋ねてきた。
「¿Qué desea?(何が欲しい?)」「ポテチを貰おうかな。いくらですか?」「1ドルだよ」「ありがとう」

手持ちはあと17セントほど。トイレに入るのに15セントを使い、歯磨きをしてバスに向かった。ここでプチハプニング。バスの駐車場まで行くのに10セント必要だという。
「トイレで小銭全部使っちゃって10セントないよ」と係員に伝える。これは20ドル札を崩すしかないか?と考えたが、横扉から通してくれた。ありがたい。

ここを通るのに0.10ドル必要だったらしい笑
バス内支給品
なかなか快適


バスの隣の席はオランダのアイドホベンという町からやって来たトニーと名乗る25歳の若者だった。
大学院が終わって最後の試験結果が出る前に旅に出た強者だった。「旅はマインドチェンジを促してくれるから良いよね」という彼の主張に同意する。
「旅を始めて6か月近く経つんだけど、帰国してから再度仕事を探さなきゃいけないのが億劫だよ」
「気持ちはわかる。でも今旅に出たのは間違いなかったとおもうけどな」「それはそうだね。」
そんな話をした。

エクアドルとペルーの国境で起こされる。「国境だ。パスポートを持って並んで。」

バスの外に出ると、今まで肌寒かったのが嘘のように温暖な気候になっていた。標高が2000m以上あるクエンカから、ずっと降りて来たのだと実感する。そもそもここは赤道に近いのだ。

イミグレに並ぶ
審査は隣合っている
パスポートコントロール全景
タクシー料金

ペルーとエクアドルの窓口は隣り合っていた。以前には両国間で戦争があったと聞いていたが、現在は良好な関係のようだ。出入国の手続きは同じ部屋で完結する。まずエクアドルの窓口で出国スタンプをもらい、次に隣のペルー窓口でスタンプをもらう。申告カード等の提出はない。ペルー側の入国審査官が日本国のパスポートだと分かると、係員が微笑んだ。7年前も思ったことだが、ペルーは日本国に好意的な国だと認識している。フジモリ大統領のお陰だろうか。
「ビザは90日間ね!」というビザ期限を言われて終了した。こうして第19か国目、久々のペルーに入国を果たしたのだった。

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