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#27 726ヶ所のヘアピンカーブを越え、バックパッカーの聖地、パーイへ‼︎🇹🇭

4:50分のアラーム音。3回目のコールで気づけて良かった。
共用エリアで荷物をまとめ、二日間お世話になったホステルに一礼し、バスターミナルに向かう。タクシーを捕まえるため、大通りに出た。10メートル前に、自分と同じく大きなバックパックを背負った女の子が、自分よりも急ぎ足で駅に向かっていた。
すると、背後からからソンテウのおじちゃんに呼ばれる。前を歩く彼女に、君もバスターミナルに行くのかと聞くと、そうだという。ここからわずか40バーツ(160円)で行ってくれるらしい。二人迷わずソンテウに乗った。フランスから来たという彼女は、ホテル近くのタクシーに150バーツと吹っ掛けられていたようで、少しばかりの節約ができて嬉しそうだった。
裏路地からではなく、大通りに出てタクシーを拾うと少しばかりは安くなるということを、この二十歳に成ったか成らずの若い旅人は、どうやら学んだようである。

バスターミナルで、パーイ行きチケットのカウンターを聞いて回る。6:30のミニバンが丁度発車してしまったところだったので、一時間後の便を予約した。幸運なことに、最後の一席だった。
駅のセブンイレブンで水と「DIMIN」と書かれた強力な酔い止めを買っておく。まあ、三半規管が強い自分には不要かとは思うのだが。
7:20、自分のバックパックをミニバンの上に固定してもらい、車内に乗り込む。パーイまでは三時間の道のりだ。運転手を含め、14人乗りのミニバンは座席を余すことなく出発した。

荷物は上に乗せられる

いくつものヘアピンカーブを乗り越える。もはや、タイ版のいろは坂と言ってもいいだろう。しかし、そのカーブ数は、いろは坂に比べて圧倒的に多い。
身体と荷物が左右に揺れる。シートベルトを着用し、車にしがみつかなければ投げ出されてしまうほどだ。運転手だけは慣れたもので、道路の中央線が橙色にも関わらず、対向車線にはみ出しながら猛スピードでバイクや他の車を追い越していく。そしてトップスピードを出しながら曲がれるもんだから、もういっそのこと、モナコグランプリにでも出たらそれなりの成績が出るのではないかしら。

出発して一時間半のトイレ休憩を挟み、さらに一時間半揺られ続けてようやく、パーイの村に着いた。意外なことに、道中誰も車酔いに苦しんでいる者は居なかった。
まだ今夜のホテルをとっていなかったのだが、SIMカードが相も変わらず不調なので、メイン通りの角にある店に入ってパッタイとスプライトを頼み、店のWi-Fiを借りる。ここから200m先にあるコテージ風の宿を予約した。
宿に行くと、本来のチェックイン時間よりも前に入れてくれた。ダブルベッドで竹細工の壁紙。なかなか良い内装だ。奮発した甲斐がある。



シャワーを浴びて気分を一新したのち、町の散策をする。町の温度計は41℃を示しているが、構うもんか。こちとら日焼け止めが紋所じゃ。
歩いていてすぐに、パーイを好きになって行く自分がいた。中心から少し外れると、そこには求めていた光景が広がっていた。竹で作られた橋の下をパーイ川の支流が流れている。育てている作物は何だろうか。こんな時、我が母上に聞けば一発で分かるのに。


田畑や川の風景から、田舎のおばあちゃんの家に帰省した時のようなノスタルジックな感情が湧いてきた。「長閑」とはパーイを見た先人によって造られた言葉ではなかろうか。
夕食に赤カレースープを頼み、LINEで送ってもらった動画を観る。日本に残してきた少年団の子どもたちのサッカーの試合だ。ふと、子どもたちに会いたくなった。

宿に戻る途中に学校がある。かなり大きいグランドだ。見ると3人組がサッカーをしていた。急いで宿に戻り、ボールを持っていった。敷地内に忍び込み、リフティングの調子を確かめてから、いざ、サッカーボールを通して彼らに話しかける。彼らは快く受け入れてくれた。子どもの一人は裸足だった。たまたまなのか、それとももっと深い意味を持つのかは事情を図りかねた。

夜の帳が下りる。最後に名前を聞き合う。彼らの内の一人は、「ドゥーン」と名乗った。出会いに感謝し、互いに挨拶して別れた後、ホテルに戻った。
ホテルのシャワー室にゴキブリが三匹も這っていたのは、サッカーをして気分が良かったのと、ホテルの名誉のために、見逃してやるとしよう。押すだけベープを猛プッシュしておいたが。

小腹が空いたので、メイン通りのナイトマーケットでハムサンドチーズを買って食べ歩きをする。観光客の八割が西洋からだと思われた。彼らは相変わらず、旅の夜をバーで過ごしていた。

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