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【10日目】岡村家

自分からご隠居へ:【岡村家】

岡村家をまとめると、以下のような感じかね。                        

■おじさん(おばあちゃんの兄)
⇒京大理学部卒業
⇒豊島博子さんと結婚
⇒石原産業の重役を断り高校教師に
⇒広島市長を歴任した「佐藤信安」さんの夫婦養子となる
⇒息子の徹さんはケンブリッジ大学の学者

■おばあちゃん(お父さんのお母さん)
⇒満州で亡くなる。享年28歳
⇒息子の文孝さんは6歳で高瀬に帰郷
⇒娘の早苗さんは生後まもなく亡くなる

■おじさん(おばあちゃんの弟)
⇒1962年(昭和37年)愛知県碧南市の岡村病院開業

■おばさん(おばあちゃんの妹)
⇒神戸のおばさん享年102歳


ご隠居からのメール:【Re_岡村家】

おじさん(弟)の名前は潔さん、おばさんの長女塩田雅子さんから聞いたところによると、潔さんの学校の成績はレベルが低かったので、兄の弘さんが理数、兄嫁の博子さんが国社の猛特訓をしてやっと三重大医学部に合格した

在学中にオレと会ったことがあるが、暗い顔をしていて、「医者の時代は終わった」とぼやいていた。しかし、病院経営の才能があり、岡村病院を大きくした。妻鎮代さんの実家も医者で、その援助もあったと言われている。院長と副院長との結婚式にはオレも出席する予定だったが、たまたま大沢家の結婚式と重なったため、出席できなかった。以後親戚付き合いは皆無。長谷部家は蚊もなし、鱶もなし、それでよし。

 なお、おばさん、伊丹喜久子さんにも佐藤徹家の相続権はあったかもしれないが、今さらどうでもよい。もう一人、三重県亀山市に中根百合子さんというおばさん、96歳が健在、老人ホームで暮らしておられるという。息子は税務署勤務。このおばさんにも徹さんのことは知らせていない。


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