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【119日目】熱河作戦

ご隠居からのメール:【熱河作戦】

熱河作戦のこと、日本現代史でも知らないことだったので、すこし調べてみた。

日中戦争時における日本軍(関東軍)の中国熱河省、河北省への侵攻作戦。熱河省は地理的には内モンゴルの一部であるが、政治的には奉天軍閥の支配下に東三省(奉天、吉林、黒竜江の3省)に連なっていた。1932年3月満州国を樹立した関東軍は熱河省もその領域であると宣言したが、省主席湯玉麟とうぎょくりんはあいまいな態度をとった。関東軍は北満作戦を一段落させると、33年1月山海関で日中両軍の衝突が発生したのを機に、2月熱河制圧に着手し、第6・第8師団、混成第14・第33旅団その他の兵力を動員して熱河省へ侵攻、3月4日承徳を占領したうえ10日前後に万里の長城の線に達した。 (出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

昭和十二年に盧溝橋の一発から日中戦争が始まると、関東軍は東条英機参謀長を兵団長として熱河作戦を発動して、内蒙古に進撃したというのは、その後だから、熱河作戦ではない。つまり、「熱河作戦」と「熱河出撃」とは意味が違うのだが、これも言葉の使い方がまぎらわしい。


返信:【熱河作戦】

熱河作戦のことは、自分も知らなかったので、少し調べてみた。満州事変に含まれている作戦のように見えるね。

1928年の張作霖爆殺事件は、日本を支持していた張作霖を国民政府の仕業に見せかけ殺害。1931年の柳条湖事件は、南満州鉄道の線路を爆破し中国軍の仕業に見せかけ攻撃開始。1932年3月に「満州国設立」を宣言し、33年2月に熱河作戦をはじめ最終河北省まで軍事侵略を開始する。

熱河作戦と同時期にリットン調査団が報告をしているので、この侵攻がなければ、日本国の国連脱退はなかったかもしれないね。しかも、動機は「アヘン」権益のようだ。どさくさに紛れて欲張った結果が、日中戦争につながったと言えるね。というか、日中戦争は「アヘン戦争」ともよべるのかな。


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