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【123日目】中世は核家族だったのか

ご隠居からのメール:【 中世は核家族だったのか】

西谷正浩『中世は核家族だったのか』を図書館にリクエストしたところ、貸出中だった。こんな本に関心を抱く誰かがこの近くにもいるようだ。

古代中世から近現代に至る家族史について自分の考えを整理し、文章化する必要があると思う。キーワードは一夫一妻制、結婚、分家、養子、核家族、直系家族、DNA変異、住宅難など。特に子供が複数いれば、嫁入り、婿入り、あるいは分家の選択肢に迫られる局面がある。

昭和二十年代の家族の構成メンバーは、曾祖母、祖母、父母、兄弟姉妹三人、叔父夫婦と一男二女、もう一人の未婚の叔父の十三人だった。したがって、わが家は大家族というのが子供のころのイメージだったが、昭和三十五年頃、叔父の家族が分家して、別に一家をかまえたので、核家族になった。

だが、戸籍を点検すると。祖父母勝治郎・ツネ以前の長谷部家は子宝に恵まれない核家族だった時期が長いようだ。大家族時代があったとしても、ふゆさんが分家して、信谷善右衛門さんと結婚する以前にまでさかのぼらなければならないだろう。

昭和二十年代の日本は、あわや共産主義に染まりそうな時代だったな。アメリカはルーズベルトがヤルタ会談で対日参戦をスターリンに要請したのが誤りだった。ソ連の崩壊と中国の貧富格差の拡大は、共産主義の理念の破綻をむざんに露呈している。

日本はアメリカに負けてよかった。尼子の落人でよし。武士道は五・一五事件や二・二六事件のようなテロリストの温床になるからよくない。


返信:【Re_中世は核家族だったのか】

そうすると、やはり、與左衛門さんは「何故家を新築したのか」という疑問につながると思う。今の我が家のように家が手狭になったのか。それとも築年数が古く、すきま風などが入ってくるような状況だったのか。

與左衛門さんとなかさん、三女のふゆさん、そして、弥左衛門さんの4人家族に、祖父母、曾祖父母の3世帯が住んでいたら、8人の大家族だ。長女と次女が生きていたら、10人家族になる。

時がたつと曾祖父母は亡くなり、ふゆさんは分家。喜代太郎、伊曽夫婦が一緒に住むことになるので、與左衛門さん、なかさん、弥左衛門さん、喜代太郎さん、伊曽さんの6人家族になる。

信谷家の分家をつくったときに結婚の祝いとして、数十町歩の山々を相続したと同時に喜代太郎さんと、伊曽さんのために長谷部の家も新調したのな。それとも、友次郎さんが生まれて、家が手狭になったのだろうか。どちらにしても與左衛門さんはチカラがあるよね。

共産主義の独裁者は、何故領土を広げることを視野に入れてるのだろうか。戦後の日本は、防衛はするものの、領土を奪われても広げようとは考えていない。領土が広ければ良いという考えは、合理的ではないよ。

人口1億2千万人の小さな国、日本でさえ、首都圏に人々が集中してる。アメリカのように、日本人を働かせて自分たちにお金が入る仕組みを考えた方が遥かに賢い。

ロシアが日本と平和条約を結ばないのは、まだ戦争が続いている根拠だね。中国やロシアはあわよくば、日本の領地侵略を、今でも考えてるのだろうか。


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