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【278日目】: 実意丁寧

ご隠居からのメール: 【実意丁寧】

伝蔵さんの説教集には、「心配と信心」「教風の現状について」「実意丁寧」という三論文が掲載されている。コピーをとって、正月に渡すよ。先日のメールで引用した教えが、伝蔵さんの思想の核心部分だと思うが、これは「実意丁寧」にふくまれている。ロクデナシもいいが、言動は「実意丁寧」を心がけるべし。

伝蔵さんの教えは比較的わかりやすく、宗教臭も少ないが、勝手ながら、もっとわかりやすくかみくだいて現代語訳とさせてもらった。宗教臭というのは、科学的検証に耐えない迷信や誇張表現のことだが、少なくとも「実意丁寧」のこの箇所にはそのような宗教臭は感じられない。

私も若い頃から似たようなことをほぼ同じように考えていたが、伝蔵さんのようにわかりやすい文章表現はできなかった。今回は、伝蔵さんの言葉をもっとわかりやすく、かみくだいて、私がこれまでに学んだことばを添えて、次のように現代語訳させていただくことにする。

そもそも自分というものが、今もこうして生きているのは天地のおめぐみである。そして両親のおかげである。父は天なり母は地なり。父と母がいなければ自分は生まれない。ところが、父と母にも両親がいる。したがって、私には無数の親(ご先祖)がある。私は、肉体的にも精神的にも無数の親の遺伝子を受けついでおり、無数の親の総代表として今ここにこうしている。しかも、私の無数の親は善いこともしているが、悪いこともしている。徳を積む一方で、罪も重ねているのだ。積善の家に余慶あり、というのは善のほうが罪よりも多い家のことだ。逆の場合は、親の因果が子に報い、となって子は苦労する。私は無数の親の悪なる所行に対しては責任を負わなければならないが、善なる所行に対しては、徳に受け、感謝しなければならない。

伝蔵さんの教えに説得力があるのは、私の無数の親が「善いこともしているが、悪いこともしている」とみとめていることだ。知らぬが仏ーー死んだらみんな仏さまになる、という考えではないのだ。

たとえば、大震災が起こると、多くの罪のない子供たちも犠牲者になる。この世で何も悪いことをしていないのに犠牲者となるのは因果の法則に反しているのではないかとも思う。ところが、無数の親たちが悪いことをした結果を罪のない子どもたちが引き受けたと考えると、理不尽ではあるが、時代を超えた因果の法則ということで、受け入れざるをえない。

応仁の乱や尼子再興軍の戦では、親子兄弟が互いに争って殺し合っている。私は運よく負け戦で生き残ったご先祖たちのDNAを受け継いで、この世での命を授かったが、無数の親たちの罪を引き受けるとともに、無数の親たちの徳に感謝しなければならない。


返信:【RE_実意丁寧】

ロクデナシはロクデナシでいくが、徳を大切にするロクデナシを目指すよ。アウトローに憧れるしがないサラリーマンさ。幸せの道から外れる勇気は自分にはないよ。

伝蔵さんの言葉をかみ砕いた現代語訳、よくわかる。先日、近くの交差点でバイクにのった16歳の子が、バスと衝突し亡くなった事件があった。交差点の路肩には溢れんばかりの花で埋められていて、いつも、友人達が集まっている。生前の交友関係や人柄がよかったのだろう。皆に愛されている様子が想像できる。「まだ、16歳で若いのに」と家族で会話をしたが、時代を超えた因果として整理することしかできない。

「心配と信心」「教風の現状について」「実意丁寧」の言葉だけ見てインスピレーションがあるのは、むかし会社の存在を「心配だから本物になる」と表現したことがある。これもまた、ひとつの会社の性格なんだろうな。

しかし、年末になると、古い人間、創業当時のベンチャー時代を支えてきた人たちが退職するという話が舞い込んでくる。自分と同じように悩み苦しんだ人たちが、次の道に進む理由は、会社と共に夢をみた未来や大切にしたかった価値観に変化を感じたからだろうか。

時代と共に人も心も変化する。常に「バカの壁」があることを意識することは、生きるうえで、とても大切なことだね。


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