見出し画像

【159日目】不動明王と摩利支天

ご隠居からのメール:【不動明王と摩利支天】

東京オリンピック閉会式に、中学の同級生がパーフォーマーとして出演した由、入船中の同級生としては、サッカー日本代表の玉田くん以来のサプライズだ。人間、二十年も経過すれば、変わるものだね。

長谷部家の守護神は、不動明王と摩利支天。どちらも裏山に祠があった。「太陽に弓を射る男」という父・與一が祠を修理するのを手伝ったことがあるし、亀三叔父さんは「オレは摩利支天の生まれ変わりだぞ」と言っていた。二人とも、三日月を仰ぎながら、「我に七難八苦を与えたまえ」と願ったのだろうか。

不動明王は深川の不動尊(最寄りの駅は門前仲町)、摩利支天はアメ横にあるので、時々お参りしている。

>確かに、自分もベンチャー企業に入社して、多くの苦労と困難を体験して
>きた。気づくと20年経ち、今では、他の人が出来ない仕事でも気楽にこな
>せるようになった。それでも、未だに何か成し遂げたいと思ってしまうの
>は何故だろう。

おそらくそれがいちばん大事なことだと思う。自分にしかできないことが、何かあるはずだ。

返信:【Re_不動明王と摩利支天】

二十年どころではない。自分が中学生だったのは三十年前だ。ちょうど、息子と同じ歳になるね。不動明王と摩利支天はよくわからないな。仏教の教えが日本人の困難や苦労の心の拠り所として広まったことは、なんとなく認識してはいるけど、難しすぎて学ぶ気になれない。

昨日、義父が、近所の文化会館で原爆展示会を開催していたので、息子をつれて行ってきた。被ばく2世の義父は、実行委員として活動を続けている。爆心地の3キロ先の横川の自宅で、ご両親が被ばくしたそうだ。義父は翌年の1946年(昭和二十一年)に誕生している。

妻が通っていた中学校は101部隊の陸軍基地だった。お祖父ちゃんが所属していた可能性のある100部隊や731部隊と連携をとっていた登戸研究所は、車で20分ほどの距離だ。川崎市は、軍事施設が集中していた場所だから、空襲被害があったときいてるけど、なぜこの地域に軍事施設が存在していたのかは、謎だ。

平和の祭典、夏季オリンピックが終了した。「パンデミック体験記」は締切の8月末までに修正箇所がありそうだね。コロナ感染者数が増えてしまい、結論が書けないでしょう。こういうときこそ、自分の脳みそで考えないといけないね。

「いままで、大丈夫だったから自分だけは大丈夫だろう」というバイアスが生じて、思考が停止してしまう。


<<<次回の話【より道‐53】戦乱の世に至るまでの日本史_王政復古の野望「笠置山の戦い」

前回のメール【158日目】尼子経久追討令>>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?