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【31日目】サバイバル

ご隠居からのメール:【サバイバル】

応仁の乱から関ヶ原までの戦国時代の乱世、及び、江戸時代初期の諸藩のお家取りつぶしの時代には、多数の牢人、つまり現在でいう失業者が大量に発生した。そんな乱世にわれわれのご先祖が生き延びるのはきわめて難しいことだったろうと想像する。

1)尼子氏の滅亡により、多数の落人が帰農、起業(山中→鴻池新六(直文))。亀井氏の津和野藩のみ存続。
2)関ヶ原の戦で西軍の敗戦により毛利藩のリストラで大量の牢人発生。
3)宇喜多秀家の軍勢は全員牢人。
4)岡山藩小早川秀秋はお家取りつぶしにより全員牢人。
5)広島藩福島氏はお家取りつぶしにより全員牢人。

 1)から5)までの事例をみると、亀井氏につくのがベストだが、その次は2)の尼子の落人と称するのが比較的プライドを保てることができたのはないかと思う。鴻池家を興した山中新六は毛利藩に多額の大名貸しをして、帳尻を合わせた。最悪は、小早川の牢人で、経歴を詐称しなければ新しい仕官の可能性はなかった。

返信:【Re_サバイバル】

今回、改めて歴史の勉強ができてとても、良い機会になった。今朝、島根県松江で火事が起きたとニュースをみた。ここに、ご先祖さまがいたんだなと思いふけると同時にこのタイミングで島根県のニュースかと思うと、何かの暗示なのではと、思ってしまった。

しかし、今までお父さんに教えてもらてきた点と点の歴史が一気につながった気がする。これは、宿命だな。

戦国時代、とくに中国地方での生き残るのは大変だ。断片的な歴史だけみると、長谷部氏は潮時を見極めるチカラに長けている。尼子氏の勢力が弱まると見極め毛利氏に寝返り関ケ原の敗戦で、浪人となり萩にも移らないし上下にも残らない。どちらに残っても相当大変だったと思う。

尼子氏やその遺臣たちには、愛や義理、人としての筋を重んじるように見える。亀井氏も多くの人を救い、山中氏も毛利氏に筋を通した。人に慕われ、人間ができている。

長谷部氏は、1600年、翁山を離れ浪人になった元信の子供一族は西軍を裏切った小早川氏にはつかず浪人の身となり名を「長野」に変えた。津山藩の関氏と懇意にしている新見氏に近づき高瀬と西谷の土地をもらったのだろうか。


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