見出し画像

【32日目】潮時を見きわめる力

ご隠居からのメール【潮時をみきわめる力】

いつの時代でも潮時を見きわめる力は必要だね。歴史から学ぶことがあるとすれば、それだし、その力はDNAにインプットされていると思う。

DNAは父方と母方のニ系統から伝えられているが、祖父母の時代も考えると、四系統、曾祖父母の時代も考えると、八系統、元信や誠保の時代にまでさかのぼれば、十万系統くらいになるかもしれない。

大昔のことは想像するしかない。記憶や言い伝えはせいぜいのところが曾祖父母の時代までだ。

父方 (井上→長谷部)勝次郎X(松田→大原→長谷部)つね→与一。
母方 (吉田→岡村)素X(野田→岡村)はる→喜美子


返信:【Re_潮時を見きわめる力】

元信、誠保までさかのぼると26万系統だね(笑)。でも、まぁ、「新見太平記」にあるように、長丑之介が西谷の土地をもらったときに、高瀬の土地をもらったのだと思うよ。高瀬と西谷は、わずか、20キロの距離だし。

ただ、家系図の横に書いてある文字によると長信成さんが、小早川隆景没落後、牢人となり、その後、福島正則領地に入ると、1619年に再び牢人になり
長丑之介の家を相続したと書いてあるね。

この文字はいったい誰が書いたのだろう?西谷家は、長谷部(長)の名前を簡単に西谷の名前に変えないだろうから、信成さんは、変えなければいけない理由があったのだろうか。

不思議なのは、長谷部元信は、毛利方として上月城の戦い(1578年)に参戦しているから長丑之介さんが、上月城の戦いで秀吉側として参戦したというのは一族に矛盾が生じている。別系統なのか、兄弟なのか。

<<<次回のメール【33日目】牛之助

前回のメール【31日目】サバイバル>>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?