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【234日目】西暦五百年の日本の人口

ご隠居からのメール:【西暦五百年の日本の人口】

>>聖徳太子の事をよくしらない。雄略天皇のお祖父さんくらいの人か
ね。

ーー『古事記』は、712年(和銅五年)に成立したわが国最古の典籍。

・雄略天皇の在位期間は456-479。
・聖徳太子は574-622。
・長谷部信連は1147-1108。

したがって、聖徳太子は雄略天皇から約百年後の人であり、長谷部信連は雄略天皇から約七百年後の人だ。

日本の人口は、雄略天皇の時代で、約四百万人、聖徳太子の時代で約五百万人と推定される。

DNA解析に実行再生産数(?)を掛け合わせて計算すれば、雄略天皇の時代の約四百万人はほぼ全員がわれわれのご先祖といえるのではないか。
 
いつか、われわれのご先祖は26万系統が枝分かれしたものと書いたが、雄略天皇の時代にさかのぼれば、たぶん400万系統の上限にせまるだろう。西暦五世紀でどれほどの系統になるか、計算して、教えてくれ。


>>家庭の中にも七難八苦が存在している。

ーーその通りだ。これからが七難八苦、四苦八苦の正念場。


>>自分の考えが当たり前と思っていることを相手に押し付けてはいけな
>>い。なかなか難しく 自分らしさが消えていくようで寂しい気もする。

ーー相手から価値観を押しつけられた場合、表面的には従っても、自分らしさは消えないよ。オレは子供のころ、父や叔父の考えを押しつけられ、結婚してからは妻の考えを押しつけられてきたが、けっきょく、オレはオレの流儀で今まで生きている。他人から見れば、自分勝手な生き方をしていると思われるかもしれないが、オレはぎりぎりまで耐え、妥協してきたつもりでいる。

たいした人生ではないが、これはこれで一つの人生、サルディニアで暮らすのも一つの人生だと思う。


返信:【Re_西暦五百年の日本の人口】

現代の2021(年)から500(年)を引くと1521(年)平均25歳で子どもを産んだと仮定すると、1521÷25で約61代前が雄略天皇。夫婦2人の61乗は、もうわけがわからない。兆を超える。近親婚も含めて、この計算方法があってるかもわからないが、人類みな兄弟ということでいいんじゃないかね。

表面的妥協というのが、とても難しい。自分は、いままで猪突猛進、「歯に衣着せぬ」物言いで、筋の違うことを受けつけない傾向があった。自分の意見をまげるのが嫌なのだろう。そのことを、上司は「頑固」といってくれているのかもしれない。

頑固のなにが悪いんだと思っていたが、それこそ、相手の意見を一度受け止め、「和を以て貴しとなす」の精神で、自分のなかで表面的妥協をしていくスキルを身につけなければいけない。

次の【より道】では、ついに「ノモンハン戦争」について書き始めている。自分のような、経験も学もない人間が、戦争のことを書くというのは、おそれおおいし、誤解を招くかもしれないが、二次情報で入手した事柄を自分なりに整理して、與一さん(祖父)と貴美子さん(祖母)が過ごした満蒙での生活の様子を想像しながら簡潔に書いてみようと思っている。

司馬遼太郎さんが、調査し尽くして書かなかったと言われるノモンハン戦争。今のところの教科書は、半藤一利さんの「昭和史」。もしかしたら「ノモンハンの夏」を読んでから書いた方がいいかもしれないが、恥を覚悟のうえで、現時点の知識でやれるとこまでやってみようと思う。


ブログの文章や「note」のいいところは、何度でも修正できるところだ。「吐いた唾は飲めぬ」と言われるが、人生百年時代。反省して意識と行動を改め、人格者となるべく徳を積めば、それでいいじゃない。

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